6月30日

オフコースの日本武道館10日間公演、日本ライブ史上に残るイベントの背景

42
0
 
 この日何の日? 
オフコースが開催した「日本武道館10日間公演」の最終日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます

 
 1982年のコラム 
つちやかおり「恋と涙の17才」湯川れい子が描いた微妙な乙女心

胸に沁みるビブラート、ビートたけしのバラードは静かに聴け!

デキシーズの「カモン・アイリーン」ケルト魂の琴線に響く美しいメロディ♪

ジャニーズの王道 近藤真彦、生で1日6回聴いたハイティーン・ブギ!

山下達郎が楽曲提供した「ハイティーン・ブギ」と武田久美子の不思議な大物感

ジョン・クーガー、懐メロになんかならない「ジャックとダイアンの物語」

もっとみる≫






photo:UNIVERSAL MUSIC  

家で探し物をしていたら、1982年6月30日のオフコース武道館コンサート “over” の半券が出てきた。1982年6月15日から30日にかけて行われたオフコースの『日本武道館10日間公演』最終日のチケットだ。

真っ白なステージ、6面の巨大スクリーンいっぱいに映し出される “ひまわり” の映像、そして声を絞り出すように歌う小田和正、観客を引き込んでいく5人のダイナミックな演奏……。あの時のいろいろなシーンは、コンサートの現場にいた人には、きっと忘れられないものだったはずだ。現場に立ち会えなかった人も、映像作品『Off Course 1982・6・30 -武道館コンサート-』で追体験ができるので、ご覧いただければと思う。

ここでは、80年代の日本のライブ史上に残るイベントのひとつと言っていいだろうオフコースの武道館10日間公演の背景について触れてみたいと思う。

1964年の東京オリンピック会場として建設された日本武道館は、66年のザ・ビートルズ公演をきっかけに音楽ライブの会場としても認知されるようになる。70年代には、シカゴ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルなどの来日アーティストがこぞってライブをおこなう。

日本人アーティストでも西條秀樹(75年)、南こうせつ(76年)、矢沢永吉(77年)などがコンサートをおこなっていたが、この時代の武道館は、もっぱら外タレがコンサートをする場所というイメージが強かった。

80年代に入ると、サザンオールスターズ、高中正義、浜田省吾など、動員力をアップさせた日本のアーティストが積極的にコンサートをおこなうようになり、武道館でのコンサート開催がトップアーティストのステイタスになるという暗黙の了解も生まれていった。

収容人数約10,000人の武道館は、東京ドームが出来る88年まで、首都圏最大の屋内型イベント施設だった。ちなみに横浜アリーナは89年、さいたまスーパーアリーナは2000年オープンだ。

しかし武道館は、収容人数こそ大きかったものの、そもそもコンサート用につくられていないため、音響的に劣悪だという声も多く、使用を躊躇するアーティストもいた。オフコースもそのなかのひとつだ。

79年12月に「さよなら」でブレイクする以前から、オフコースはライブバンドとして人気が高かった。79年10月からスタートしたコンサートツアー “THREE AND TWO” の締めくくりとして80年2月に新宿の東京厚生年金会館ホール(約2,000人収容)で6日間コンサートをおこなうなど、十分な動員力はもっていた。しかし、音楽性を重視するオフコースは武道館コンサートに対しては慎重だった。

オフコースの初めての武道館ライブは、80年5月にスタートした “春のコンサートツアー” の一環として、6月27、28日の二日間おこなわれた。この時、彼らはこれまで武道館での通常のコンサートの約5倍のスピーカーを持ち込み、音の死角を無くすなど、それまでの常識を覆す素晴らしい音響を実現してみせた。

さらに、80年11月からスタートしたコンサートツアー “We are” の一環として、81年2月には4日間に渡る武道館コンサートをおこなった。この様子の一部は、当時のテレビドキュメント番組をパッケージ化した『“若い広場” オフコースの世界 1981 Aug.16 ~ Oct.30』で見ることができる。

オフコースにとって武道館コンサートは、それまで小田和正と鈴木康博のデュオグループだった彼らが、79年にバックメンバーの松尾一彦(G)、大間ジロー(D)、清水仁(B)を正式メンバーとして迎え、バンドとしてのサウンドをクリエイトしていく課程を多くのリスナーに披露する場でもあった。

そして、オフコースは、演奏、音響だけでなく、ステージセット、効果も含め、隅々にまでこだわりとアイデアが巡らされたハイクオリティなライブショーが武道館でできることを証明してみせた。

オフコースにとって3度目となる武道館コンサートは、82年1月22日からスタートした全69公演のツアー “over” のフィナーレとして6月15日から6月30日にかけての10日間公演として発表され、トータルで10万人のキャパシティに対して、50万以上の応募が寄せられた。

当時としては、まさに前代未聞のスケールとなる武道館10日間公演。しかし、その背景でもうひとつのストーリーが進んでいた。

81年のコンサートツアー “we are” の最中に、オリジナルメンバーの鈴木康博がグループ脱退の意思を表明した。メンバーが5人となり、オフコースの音楽的バランスも変化していくなか、グループとして続けていくことに疑問をもったのだろう。

話し合いの結果、彼らはグループの解散を決意する。しかし、まさに彼らはブレイクの只中にあり、発表による大きな混乱を避けるため、計画は秘密裏に進められた。この間、彼らは解散に関する話題は一切口にしなかったが伏線は張られていた。

例えば、アルバムタイトル。79年の『THREE AND TWO』、80年の『we are』というタイトルを繋げると、3人と2人で僕たち、つまりオフコースが5人のバンドとなった宣言として読み取れた。しかし、81年のアルバムタイトル『over』は大きくニュアンスが違ってくる。前作のタイトルと繋げると “We are over = 僕たちは終わり” となる。それは、オフコースからの別れのメッセージと解釈できた。

そして、武道館10日間公演が終わった翌日の7月1日、彼らは解散を発表すると同時に最後のオリジナルアルバム『I LOVE YOU』を発表することにしていた。これによってアルバムタイトルに潜ませたラストメッセージ “We are over, I LOVE YOU” が完結するハズだった。

しかし、ツアーの途中でスポーツ新聞に “オフコース解散” の記事が出され、その計画は頓挫することになった。メディアの執拗な追求に対して、彼らは口を開くことなく、ツアーは淡々と進んでいったが、彼らが沈黙を守ることよってさまざまな憶測が飛び交い、ツアーのハイライトとなる武道館10日間公演は異様な緊張感と盛り上がりを見せていくことになる。

武道館10日間公演が終わった翌日の7月1日、アルバム『I LOVE YOU』が発表された。しかし、鈴木康博がグループを離れることは発表されたが、解散については一切ふれられないままだった。そのまま彼らは2年間の沈黙を守る。そして1984年、オフコースは4人で活動を再開し、1989年まで活動を続けていった。

なお、オフコースの武道館での10日間公演という記録は、89年のハウンド・ドッグの『NO OBJECTION TOUR 武道館15Days』によって塗り替えられた。しかし、武道館で音響的にも視覚的にもハイクオリティなライブができることを証明した功績は、今も色あせていないと思う。

2019.06.30
42
  Apple Music


  Apple Music
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
コラムリスト≫
100
1
9
8
3
一人でもオフコース♪ 鈴木康博の愛に溢れたメロディをもっと聴きたい!
カタリベ / 鈴木 啓之
28
1
9
8
2
オフコース「NEXT」~ 小田和正と鈴木康博の惜別の歌 後篇
カタリベ / 宮木 宣嗣
64
1
9
8
9
オフコース解散コンサート ~ 小田和正が再び歌えなくなったあの曲
カタリベ / 宮木 宣嗣
32
1
9
8
2
オフコース「NEXT」~ 小田和正と鈴木康博の惜別の歌 前篇
カタリベ / 宮木 宣嗣
46
1
9
8
7
小田和正の名曲「君住む街へ」を生んだオフコース1987年のツアー
カタリベ / 宮木 宣嗣
81
1
9
8
2
小田和正が見せた涙。言葉にできない ~ 前篇
カタリベ / 宮木 宣嗣
Re:minder - リマインダー