わたしがカラオケで必ず歌う曲、いわゆる「十八番」は、いま流行りの曲や学生時代に流行った曲ではない。
1982年に発表された、松田聖子の『赤いスイートピー』だ。
小さいころに母の車で何度も聴き、大人になってからも何度も演奏したこの曲を歌っていると、春の香りに包まれる。
そんな『赤いスイートピー』には続編があるのをご存知だろうか?
タイトルは、『続・赤いスイートピー』。
そのままだ。
スイートピーの花言葉である「優しい思い出」「ほのかな喜び」「門出」「別離」がこの相対する曲で見事に表現されていて、『赤いスイートピー』の歌詞で歌われている2人の季節が別々の方向を向いて移り変わり、別れが来たことがわかる。
わたしは、聴くとその時の感情が全部ぶわぁっと蘇って、泣いてしまう音楽が、じつは結構ある。
情緒不安定なわけではなく、何気ない日常のなかで感じる、感情、情景、色、匂いから音楽を創るようになったからかもしれない。
思い出したくないことは人生にいくつかあるし、できればそれを思い出さないよう、出会わないように気をつければいいのだけど、海へ向かう汽車とか、春の季節とか、駅のベンチとか、赤いスイートピーは、この世からなくしようがない。
いつもは大丈夫でも、ふいに過去の時間に引き戻しあらゆる記憶をいまこの瞬間に蘇らせる。
人生はいつどこでどんな風に変わるかなんて誰も予測できない。
もしも強引にこの腕を掴んで生きてくれたら続いているの?
もしもわがままを言わずに生きれば運命はちがったの?
もしも、から始まるこの歌詞は、過去に引き戻された時間に居た「わたし」がしあわせそうに笑っていたからこそ思い浮かぶ言葉だろう。
でも、だいたい思い出のなかの「わたし」も、相手も、しあわせだった瞬間から、別れを意識した瞬間まで一気に記憶が飛んでいる気がする。
絶えず、ひとは変化している。
昨日のわたしは、今日のわたしと同じように見えて、同じじゃない。
日々起こっているちいさな変化を積み重ねながら、お互いを認め、尊敬し、愛しあうことができたなら、この2人は共に生きることができたのかもしれない。
そんなことを思いながら、赤いドレスを着て『続・赤いスイートピー』を歌う松田聖子を見ていた。
1982年に『赤いスイートピー』が発表された当時、まだ赤い色のスイートピーはなく、白やピンクのようなやわらかい色が主に存在していたそうだ。
しかし、その後品種改良などによりさまざまな色が誕生し、赤色のスイートピーも誕生している。
いまは存在しないものも、すこし先の未来には存在するかもしれない。
いまはしあわせじゃなくても、すこし先の未来にはしあわせになっているかもしれない。
もしも『続・赤いスイートピー』に続編があるのなら、赤が咲く季節に哀しみを覚える「わたし」がすこしだけでも今よりもしあわせになっていてほしい。
そんなふうに、歌詞の世界に思いを馳せた。
歌詞引用:
続・赤いスイートピー / 松田聖子
2017.07.08
YouTube / Seiko1701EX
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