僕はプリンスの駄作を聴いたことがない。まだ未聴な作品もいくつかあるので断言はできないが、おそらく駄作はないのだろうと思っている。音楽的な水準が常に高いという意味において、プリンスのキャリアを凌ぐことは、どんなアーティストにとっても容易ではない。
その中でも『LOVESEXY』は、飛び抜けて素晴らしい内容を持つ1枚だ。このアルバムは、80年代に常人では考えられないパワーでポップミュージックの領域を押し広げてきたプリンスが、その集大成として世に放った究極のメッセージだった。
『LOVESEXY』のテーマは「愛」であり、その対比として邪悪なものの存在がある。当初、プリンスは自分の中に巣食う邪悪さを全面に押し出した『ブラック・アルバム』を完成させるも、発売日の1週間前にリリースを差し止めている。そして、『ブラック・アルバム』の対極に位置する作品として制作されたのが、この『LOVESEXY』だった。
オープニングの「アイ・ノウ」から、突き抜けたセンスにぶっ飛ばされる。勢い良く開け放たれた扉の向こうから、眩いばかりの光の洪水が流れ込んでくるかのようだ。そして、「アルファベット・ストリート」、「グラム・スラム」と恐るべき完成度を誇るナンバーが続く。まるで天国行きの列車に乗っているような気分だ。収録された曲は、どれもポジティヴなヴァイブレーションを持ち、ポップなメロディーが炸裂している。パーカッシヴなリズムも実に軽快だ。そして、ラストナンバーのタイトルが「ポジティヴィティ」。とにかく徹底しているのだ。
プリンスの最高傑作に『LOVESEXY』を挙げるファンは少なくないだろう。僕も『パレード』と並んで、このアルバムを選ぶと思う。しかし、『LOVESEXY』には、音楽以外の面で少々問題があるのだ。
まずはジャケット。花に囲まれたご本人の裸体である。プリンスなりに「愛」を表現したのだろうが、レコード店で初めて見た時はドン引きだった。漆黒に塗りつぶされたデザインの『ブラック・アルバム』から一転、ヌードになってしまう振り幅の極端さは、いかにもプリンスらしいが、表現者としてのエゴが強く出過ぎた感は拭えない。せめて、ポスターにして封入する程度にとどめてほしかった。
地元のレコード店では、ジャケットを裏にして並べられていた。僕はそれを手に取り、裏返したらあれだったので、余計にインパクトが強かったのかもしれない。アメリカでも、店頭展開を渋った店が少なからずあったと聞いている。
さらに、CD はアルバム全体で1曲の設定。つまり、トラックが切られておらず、曲を選んで聴くことができないという不便極まりない仕様だった。最初から最後まで通して聴いてほしいというプリンスの気持ちはわかるが、そんなものは聴く側の自由である。これもプリンスの表現者としてのエゴが出過ぎた結果だったと思う。
アルバムの内容は一世一代の大傑作だったのに、こうした音楽以外のことがセールスの足を引っぱった。アメリカではゴールドディスク(50万枚)を獲得するも、チャートは最高11位とトップテン入りを逃している。当時のプリンスの人気を思えば、期待したほど売れなかったと言えるだろう。
しかし、ヨーロッパでは、イギリスをはじめ数カ国でナンバーワンになるなど、大ヒットを記録している。ヌードジャケへの抵抗感が、アメリカや日本に比べて薄かったのかもしれない。
そんなわけで、僕が『LOVESEXY』を聴いたのは、発売から数年が経ってからだった。それでも十分衝撃的ではあったが、もしリアルタイムで聴いていたら、もっと凄かったに違いない。そう思うと、今でも時々悔しい気持ちになる。1989年2月には2度目の来日公演もあり、それは素晴らしいライヴだったと聞いている。自分の愚かさを、ただただ嘆くばかりだ。
最近になってまた『LOVESEXY』をよく聴いている。発売から30年以上が経ったとは思えないみずみずしさ、純度、自由なセンス、クリエイティビティの高さに、深い感銘を受けずにはいられない。まさに永遠のマスターピースだ。
先日、ジャケットをテーブルに置いておいたら、仕事から帰ってきた妻が「ギョッとしたわよ」と言った。どうやらこちらの破壊力も健在のようである。プリンスは偉大だ。
2019.04.21
YouTube / Prince
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