さて、リマインダーと BS12 『ザ・カセットテープ・ミュージック』のコラボレーション企画、80年代に特化したトーク&ライブイベント「リスペクト」第2弾が発表されました。
題して、
『Re:spect vol.2 ー 人間交差点 ♪ 伊藤銀次』。2018年9月24日(月・祝)13時30分~代官山 WGT にて、限定80席。前売4,900円。当日は、私がホストを務めさせていただきます。ぜひお越しください。
というわけで、このイベント開催を記念して、ここから数回、伊藤銀次氏の歩みをたどる記事を書いていきたいと思います。ちょうど今年、氏の音楽人生を振り返る本=
『伊藤銀次 自伝 MY LIFE, POP LIFE』(シンコーミュージック・エンタテイメント)が発売されました。イベント当日は、この貴重な本を教科書として活用したいと思います。
そして、今回の記事シリーズでも、この本の中にある、伊藤銀次氏を取り巻いた様々な音楽家による、印象的なコトバを追っていくことで、氏のリアルな歩みを、人間臭くたどっていきたいと思います。題して、「人間交差点・コトバの交差点 ♪ 伊藤銀次」。
まずその第1回のコトバは、これです――。
「南海ホークスとして、パ・リーグでやっていくつもりなら、俺はやらない。両リーグで覇権を獲る、巨人と戦って日本シリーズで勝つという気持ちがあるなら、東京へ来なさい」
コトバの主は、大滝詠一。伊藤銀次氏が、大阪で活動していた自身のバンド=ごまのはえのプロデュースを依頼したときに、大滝詠一が返したコトバだそうです。
このコトバの背景として、伊藤銀次氏が南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)のファンだったということがあります。対して、大滝詠一は有名な巨人ファン。
時間軸的には、本の内容より、72年の暮れか73年初頭のことと思われますので、野球人気は、パ・リーグではなくセ・リーグに偏っていた頃。そして、そのパ・リーグは阪急ブレーブス全盛時代になっており、南海ホークスの勢いが落ちてきた頃なのです。
このコトバは深い。大滝詠一という人の、強烈なポップ志向を表しているからです。要するに「パ・リーグ(大阪)という狭いところで、地味にやっていくなら、手は貸さない。日本シリーズ(全国規模)で勝つという意気込みがあるなら手を貸すぞ」ということなのですから。
この言葉が更に深いのは、この73年のシーズン、南海ホークスは、阪急ブレーブスとのプレーオフに勝ち、巨人との日本シリーズに、本当に出場するからなのです。ただし、伊藤銀次氏、そして大滝詠一の2人が、日本シリーズほどのメジャーな舞台で活躍するのは、もう少しあとのことなのですが。
少し余談になりますが、最近本で読んで知った、大滝詠一の新しいエピソードをご紹介します。その本とは、音楽プロデューサーとして名高い牧村憲一による『「ヒットソング」の作り方 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』(NHK出版新書)です。この本に、当時の大滝詠一の面倒くささを象徴する、激烈なエピソードが書かれていました。
ご存知の通り、『ナイアガラ・トライアングル VOL.1』は、大滝詠一・伊藤銀次・山下達郎の3人でしたが、実は当初、山下達郎ではなく、センチメンタル・シティ・ロマンスの告井延隆が候補になっていたそうです。しかし、ある「すれ違い」があって、告井延隆は候補から外されたというのです。それは――
―― ファンの間で「告井破門事件」として知られるラーメンをめぐるやり取りです。福生45スタジオ(鈴木註:大滝詠一の自宅スタジオ)で大滝さんの作ったラーメンを食した告井さんが、「不味い」と言ってしまったことで、即刻「破門」になったというエピソードです(牧村憲一『「ヒットソング」の作り方』-NHK出版新書-)
どんな状況だったのか、どれほど「不味い」ラーメンだったのかは分かりませんが、とは言え、ラーメンはラーメン。こういう些細なことでキレるあたり、当時の大滝詠一という人は、かなり面倒くさい人だったのでしょう。
話を戻すと、そういう大滝詠一に、「日本シリーズで戦ってみろ」とけしかけられ、伊藤銀次氏(と南海ホークス)は東京に向かい、大滝詠一(読売ジャイアンツ)と真っ向からぶつかることになります。そして、大滝詠一に始まり、山下達郎、沢田研二、佐野元春… などの新しい才能と、次々と「交差」していくことになるのですが、それはまた次回に。
今回のイベント当日は、当時の大滝詠一(の面倒くささ)をめぐるエピソードなども、いろいろうかがってみたいと思います。
ぜひお越しくださいませ。
2018.08.26