「一発屋」。なんとも哀愁漂う言葉である。「一作品のみが大ヒット、または一時的に大活躍して、その後はヒットしない、または名前が聞かれなくなった人を指す」と辞書にはある。
誰かの一度限りの栄光と現在の凋落。「あの人は今?」といった悪意ある特集を見て人は、「自分は、スポットライトを浴びることはとうとうなかった人生だが、今ここで平穏無事に生きているぞ」と胸をなでおろす。
この一発屋、英語では「One-Hit Wonder」と言う。アーティスト活動を通して、ただ一曲だけビルボードチャート入りを果たしたミュージシャンを指すのだが、じつはそのミュージシャンは、出身地の国では長年大スターだったり、コンスタントにヒットを飛ばしている場合もある。あくまでアメリカという国から見て、突然現れて消えた一発屋のように見えることがあるわけだ。
その見え方でいくと、日本語の歌でいきなり全米一位になった『スキヤキ』(上を向いて歩こう)の坂本九も、韓国では今も昔も大スターだが『ガンナムスタイル』を韓国語で歌って急に盛り上がったPSYも、アメリカ人からすればOne-Hit Wonderである。
『ロック・ミー・アマデウス』のオーストリア人Falco、『踊るリッツの夜(Putiin' on the Ritz)』だけがアメリカでのヒット曲のオランダ人Tacoもそうなのだが、アメリカのチャートというのは、突然「外国人の変な曲」というのが大人気になる。もちろん『PPAP』もその系譜だ。
今回紹介する『ターザン・ボーイ』のバルティモラもその典型だ。イタリアのバンドだが、フロントマン的に立ち振る舞うのは北アイルランド出身のジミー・マクシェインで、見栄え優先で実は口パクだけして全く歌っていなかったりする。
寄せ集め的なミュージシャンの集団、企画モノといっていいグループだが、「イタロ・ディスコ」のスターとしてヨーロッパでは他にもヒット曲がある。とりわけ『ターザン・ボーイ』は全英で3位、全米で13位まで上昇し、記録と記憶に残る一発屋として名を残した。
ちょっと聴くと、「お気楽ソング」にしか思えない歌詞とサウンドだが、じつは都会に暮らす人間の果てしない孤独が陽気なメロディに乗っている。そんな普遍的なメッセージを届けているからこそ、世界中で共感を得たのだろう。
一発屋の一発は、人生をすこし御機嫌にしてくれる打ち上げ花火であることは間違いないし、聴くたびに誰かを御機嫌にしてくれる人類の宝石のひとつだと思う。
「One-Hit Wonder? 素晴らしいじゃないか」
イギリス・リヴァプールから日本に来て、ギターひとつで日本の路上で歌っている友人は言う。
彼の育った街を訪ねたことがある。おれたち労働者階級に生まれたイングランド人は、日々単純労働を繰り返し、喧嘩に明け暮れ、ちっぽけな犯罪に手を染めるんだ、と彼は語った。リヴァプールでは、街の商店にも、人々の家の窓にも、すべて頑丈な鉄格子が嵌められていた。
「ここでは誰もが夢みがちなんだ」
そんな中で若者達は、一瞬でもいい、一曲でもいい、音楽で栄光を掴もうと、ザ・ビートルズの生まれたこの街でギターをかき鳴らし、叫ぶように歌い始める。
彼は言う。
「One-Hit Wonder、素晴らしいじゃないか。なぜならほとんどの人間はノーヒットのまま死んでいくからさ」
わたしたちは時に一発屋を嗤う。自分は平穏無事だと思いたがる。だが、One-Hit Wonderの Wonder とは、誰かがこの世界に打ち上げた花火であり、人生のワンダーなのだ。
2017.01.29
YouTube / cravoecanella