11月14日

ツッパリと笑いのマリアージュ、アラジンとビー・バップ・ハイスクール

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アラジンのシングル「完全無欠のロックンローラー」がリリースされた日
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80年代、邦楽史上最も有名な一発屋と称されたアラジンの「完全無欠のロックンローラー」がリリースされたのが、1981年11月14日。

この年には、1月12日に横浜銀蝿の大ブレイクのきっかけとなったセカンドシングル「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」がリリースされている。

また、猫に長ラン、ボンタンといった改造学生服を着せ、ハチマキを巻いたキャラクター「全日本暴猫連合なめんなよ」、通称「なめ猫」が大ブームを巻き起こした。

70年代末から暴走族や、校内暴力がクローズアップされ、殺伐としたダークなイメージが強かった不良少年たち。つまり、そんな彼らに「ツッパリ」という称号を与えたことで、コミカルな一面が世間に浸透、大ブームを巻き起こしたのが1981年だったのだろう。

そして、「ツッパリ」という称号を与えられると同時に彼らの浮世離れした言動やファッションがクローズアップされてゆく。それは決してマイナスイメージではなかった。そして、これを見事に時流に乗せた横浜銀蝿の功績は大きい。この大きな波に乗って満を持してリリースされたのが「完全無欠のロックンローラー」だ。

アラジンのフロントマンであり、ソングライターでもある高原茂仁氏(グレート高原)は、当時大学生バンドであったアラジンを率いて、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場する。無論、ツッパリやロックンローラーだったわけではなく、グランプリ受賞を画策する中、原宿歩行者天国のローラーや竹の子族を何度も見学し、徹底したリサーチを行いこの曲が生まれたという。そしてこの曲で念願のグランプリを獲得しデビューに至った。


 昼は「750」ブッとばし
 マブいねえちゃん誘ったら
 恐いにいちゃん 横からでてきて
 (オレの女になにすんな~)
 「強いヤツにゃあめっぽう強いぜ」
 (弱い相手に逆転パンチ)
 いつもコブだらけの ロックンローラー


女性コーラスを従えたコミカルな掛け合いと、高原氏の卓越したエンタテインメント性でこの曲は一世を風靡する――

そして、この2年後、同じ世界観をそのままコミックにしたのが、ツッパリ高校留年二人組が恋にケンカに明け暮れる『ビー・バップ・ハイスクール』ではないかと思う。

「火の玉」という異名を持つ加藤浩志(ヒロシ)と「狂犬病」と言われた中間徹(トオル)、向かうところ敵なしの二人。時には悪知恵やギャグで修羅場を潜り抜け、ヒロインの泉今日子やツッパリの三原山順子(当然モデルは小泉今日子と三原順子)には、いつも果敢にアタック。しかし、大抵うまくあしらわれ、その恋の失意もギャグとして描く作風は、全国のツッパリ少年の共感を呼んだ。

『ビー・バップ・ハイスク―ル』は85年には映画化され、そのシリーズは88年の完結編まで6作品を数える。ホンモノのツッパリ少年たちを役者として出演させたリアルな乱闘シーンもさる事ながら、世代を超えて楽しめる娯楽性も兼ね備えていた。

たとえば、シリーズ第4作『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲』(87年公開)の中では、トオル(仲村トオル)がヒロシ(清水宏次朗)を助けるために、チンドン屋から奪った馬に乗って登場する。これは、50年代末、映画黄金期に制作された日活映画、小林旭主演の『渡り鳥シリーズ』に匹敵するような、荒唐無稽で無国籍なダイナミズムに溢れたものだった。

このダイナミズムにも通じるエンタテインメント性こそが、ロックンローラーの悲哀を笑いに転換し、大所帯で劇場型に演出した高原氏率いるアラジンの「完全無欠のロックンローラー」がヒットした所以でもあったろう。

人には悲哀があり、喜怒哀楽の感情を持ち合わせているのは当たり前のことだが、ツッパリ少年たちもその例外ではない。盲点でもあった当たり前の感覚を笑いとして打ち出し、アラジンは一気にお茶の間の人気者になった。そして、この曲の大ヒットにより、ツッパリカルチャーは一部の尖ったアンテナを持つものだけにではなく全国に広まっていったのだ。

『ビー・バップ・ハイスクール』(週刊ヤングマガジン)の連載スタートは、83年。すでに都市部ではツッパリ少年が絶滅危惧種になりかかった時代にも関わらず、連載は大ヒットした。そして、そのルーツには、ツッパリ少年たちのディテールをマニアックに演出した横浜銀蝿の「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」と、彼らの心情をコミカルに演出したアラジンの存在があったに違いない。


※映画『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズの菊リンこと菊永淳一役で、多くのファンに鮮烈な記憶を残した俳優、石井博泰さんが、去る(2018年)5月17日お亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2018.06.13
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  YouTube / yoshi nakaji(6分53秒から「完全無欠のロックンローラー」)


  YouTube / oscar rodriguez
 

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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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