1977年 4月5日

大橋純子&美乃家セントラル・ステイション、ブレイクへの礎となった隠れた名曲

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大橋純子&美乃家セントラル・ステイションのシングル「シンプル・ラブ」がリリースされた日
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photo:junko-ohashi.com  

大橋純子は「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス」だけじゃない


以前書いたコラム『中森明菜「ミ・アモーレ」熟成直前、その歌声の魅力』では、中森明菜にスポットをあてて、アイドルからアーティストへの成長過程の歌声を聴く楽しみをご紹介した。今回は、最初から卓越した技術を持ったアーティストのお話をしたい。

70年代にデビュー、40年以上経過した現在でも、その技術を維持しつつ、さらに進化していると断言できる女性シンガーは、大橋純子&八神純子をおいて他にない。この二人の “純子” の歌声には感嘆の溜息が出る。二人ともこの上なく素晴らしいのだが、今回はある曲を取り上げたく、大橋純子にスポットをあてる。

その曲とは、77年4月5日にリリースされたシングル「シンプル・ラブ」。この曲の魅力を2つの点からご紹介したい。

大橋純子と言えば、78年発売の「たそがれマイ・ラブ」、81年発売の「シルエット・ロマンス」が頭に浮かぶ人がほとんどだろう。私もリアルタイムで印象に残っているのは「シルエット・ロマンス」だけで、大橋純子のイメージは “しっとりとしたバラードが合う大人の歌手” というものだった。

その印象が変わったのは、「シンプル・ラブ」を聴いてから。スマッシュヒットをしたのでご存知の方もいると思うが、代表曲と言えるほどは知られていないだろう。

ハイトーンヴォイスが魅力、スマッシュヒット「シンプル・ラブ」


私がこの曲を知ったのは、10年ほど前にヴォイストレーニングの先生に勧められてからだ。前出のコラムで、自分は子供の頃からキーが低かったという話をしたが、少しでも声域を上に広げたく、そのレッスンの中で参考に聴くように言われたのだ。

パワフルで綺麗なハイトーン(高音)が出る人は、元々の声帯の影響が大きいのだが、それを訓練で出せるようにするには歌唱力の技術の一つである “強い裏声(ミドルヴォイス)” を作っていく必要がある。地声を張り上げるには限界があるからだ。

ドレミファソラシドと音を順々に上げながら声を出していくと、通常、地声と裏声の切り替わりの部分で、コロッと音質が変わってしまう。だが、ミドルヴォイスが身に着くと、その切り替わりがどこかわからなくなり、地声と裏声がつながっているような発声ができる。その技術の応用によって、実は、裏声を出しているのに、地声のように力強く聞こえ、なおかつ、苦しそうに聞こえないハイトーンを出すことができるのだ。その点で、大橋純子のハイトーン技術のクオリティはすばらしい。

パワフルな “ハイトーン” は、ともすると、うるさくなって聞き心地が悪くなることがあるが、大橋純子のそれは上記の技術が絶妙に作用していて、パワーとしなやかさを兼ね備えている。そして、地声と裏声の境目がわからない滑らかな声の流れ。その各音にハズレがない。これはまさに “アート” と言える。

“美乃家セントラル・ステイション” の結成、そして歌謡曲への抵抗


大橋純子のブレイクのきっかけは、ドラマ主題歌に採用された「たそがれマイ・ラブ」だが、後にヒットする「シルエット・ロマンス」同様、彼女はこの2曲のような、ポップスではあるものの、歌謡曲の匂いがする作品を歌う事に、相当な抵抗があったそうだ。

この話は、ヴォイストレーニングの先生から耳にしていたが、2017年12月9日、16日に BSフジで放送された『堺でございます』に大橋純子が出演した際に、はっきりと本人の口からも聞くことができた。

元々彼女は、大学時代、バンドでハードロックを歌っていた。高校時代にはセルジオ・メンデスにはまりボサノバを好む下地もあった。その後、ソウルミュージックの影響も受け、日本人離れした歌唱力を身に着けていった。そのような環境で活動してきた彼女にとっては、“バンドの中のヴォーカリスト” という立ち位置が自然で、バンドのメンバーと一緒に、自分が好きな音楽性の音を作りたいという意識を強く持っていたのだ。

その彼女の希望から結成されたのが「美乃家セントラル・ステイション」。76年のことだった。ちなみにバンド名は、メンバーであった土屋昌巳が当時通っていた電気屋「ミノヤ」と、ファンクバンド「グラハム・セントラル・ステーション」をもじってつけたそうだ。のちに夫となる佐藤健も在籍していた。

そして、「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」名義で発売した最初のシングルが「シンプル・ラブ」(作詞:松本隆 作編曲:佐藤健)。77年のことだ。

オリジナル音源もさることながら、当時のパフォーマンスを YouTube で観ると、その圧倒的な歌唱力と、洗練された楽曲とバンドの演奏力に惚れ惚れする。そして何より、大橋純子が本当に生き生きとしている。「私はこういう曲を、このバンドで歌いたい」という意志が伝わってくる。

伸び悩むバンド名義のシングル、大ヒットしたソロシングルとのギャップ


しかし「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」名義で発売したシングルは「シンプル・ラブ」のスマッシュヒット以降、売り上げが伸びない。そんな中、78年、ソロでのシングル「たそがれマイ・ラブ」が大ヒット。だが、上記の通り彼女の心は複雑だった。

「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」のコンサートツアーは続いていたが、客層が変わり「たそがれマイ・ラブ」を求められるも歌わない… という、ちぐはぐな状況に。しばらくしてバンドは解散。その後、81年、ソロで再び「シルエット・ロマンス」というヒット曲を得るも、彼女の心は満たされず、一時休業してニューヨークへ。帰国後も、しばらくこの2曲は封印される。

このように、当時の大橋純子は、ヒット曲と自分が求めるスタイルとのギャップに苦しんでいたわけだが、「たそがれマイ・ラブ」も「シルエット・ロマンス」も名曲だ。それは紛れもなく、優れた楽曲と彼女の比類ない歌声が生み出したものだ。

それでも、彼女が “歌謡曲” だと敬遠したこの2曲の歌声は、彼女がそれまでのバンド経験で培ってきた、ハードロックでの声量やハイトーン、ダイアナ・ロスや、ロバータ・フラックのようなソウルシンガーの色気や深み、ディスコやファンクでのリズム感、すべてが礎となって仕上がったものだ。そして、解散前も解散後も「美乃家セントラル・ステイション」の存在が、この時期の彼女のモチベーションを保っていたと言えるだろう。

円熟味を増す表現力、バンドサウンドでこそ躍動するヴォーカル


今回、このコラムを書くにあたり、ソロ、バンド問わず各年代のアルバムをできる限り聴いた。そして、彼女が持つ元々の桁外れの技術に、さらなる進化が遂げられていることがわかった。力の入れ方のバランスの良さ。完璧な音の切り方。より丁寧になったハイトーンの処理。それでいて多用せず。さらに艶や深みが増していた豊潤な歌声。

ただ、80年代後半~90年代前半に目立つキラキラ音や深いリバーブ、打ち込み重視の派手なサウンドでは彼女の良さが引き立たない。ジャンルは問わず、やはり、より生音に近い“シンプル” なバンドサウンドでこそ、彼女のヴォーカルは躍動する。特に、2009年発売の邦楽カバーアルバム『TERRA2』での円熟味を増した表現力に、私は心奪われずにはいられない。

また、2014年発売のセルフカバーアルバム『LIVELIFE』はデビュー40周年にして、彼女が64歳の歌声だ。特に、ハイトーンでのロングトーンシャウトには、度肝を抜かれた。正直なところ、全体的に声の艶は薄れていたが、使われ続けた声帯がハスキーさを生み、渋みという新たな魅力が加わった。

このアルバムで、ラストに収録された新曲を除くと、「シンプル・ラブ」が曲順の最後になっており、彼女のこの曲への思い入れの強さが窺われる。

食道ガンからの復帰。歌を愛し、走り続ける大橋純子


そんな彼女も2018年、食道ガンで休業を余儀なくされたが、2019年4月4日には、テレビ朝日『決定版!日本の名曲グランプリ』にて、復帰後初の歌披露を果たした。彼女が活きるバンド演奏で、「たそがれマイ・ラブ」と「シルエット・ロマンス」を見事に歌い切った。まだまだ、これからも現役で歌い続けるという固い信念を持った彼女の姿が目に焼き付いている。

そして、この翌5月22日発売の最新カバーアルバム『Terra3 ~歌は時を越えて~』では、時代、ジャンルを越えた10曲の曲達を、食道ガンを患ったとは思えない、むしろ病気を克服し、さらなる歌への情熱が注がれ、円熟味を増したハスキーヴォイスでそれぞれの心地良いアレンジをバックに歌い上げている。現在のこの世情において、特に癒される歌声だ。

その大橋純子は、4月26日で70歳になった。残念ながら、予定していたコンサートツアーはコロナウイルス騒動の影響で中止になってしまったが、事態が収まって再開となったときには封印が解かれたヒット曲たちと共に、ぜひまた「シンプル・ラブ」を生き生きと歌ってほしい。

これからも、歌を愛し、走り続ける彼女を心から応援すると共に、同じく歌を歌う身にとってはひれ伏すしかない歌声だが、それでも、彼女の域を目指して追いかけ、挑み続けたい。


※2019年4月26日に掲載された記事をアップデート

2020.04.26
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