忌野清志郎をリスペクトしている。彼の自由を。強さと優しさを。あの声と言葉を。音楽を。亡くなった日、雨が上がったばかりの湿った夜道を、当時まだ彼女だった妻を自転車の後ろに乗せ、ふたりで「雨あがりの夜空に」を歌いながらこいだ。あれからもう何年もたつ。
いつから僕は清志郎をリスペクトするようになったのだろう? 初めて知ったのは、小学6年生のときにヒットした「い・け・な・いルージュマジック」だった。あのときは破天荒すぎてよくわからなかった。僕が「なんだか馬鹿みたいだ」と言うと、「俺の兄貴が大ファンだから、そんなこと言ったらぶん殴られるぞ」と友達に言われて、余計にわからなくなった。
中学生になって、RCサクセションは凄いバンドだと先輩に教えられ、興味をもった。でも、テレビで観たライブ映像がローリング・ストーンズの物真似に思えて、すぐには好きにならなかった。ただ、この頃から気になり始めたのだと思う。ヒットしていた「サマーツアー」や「ベイビー! 逃げるんだ。」は好きだったし、清志郎の自由奔放な振る舞いにも慣れて、かっこいいなと感じていた。また、彼の横でギターを弾くチャボも同じくらい気になった。
高校生だったとき、清志郎が出演しているラジオ番組の録音テープを、友達が貸してくれた。その中で清志郎は自分の好きな曲をいくつかかけており、どれも古い黒人音楽だった。番組のパーソナリティーは有名な音楽評論家だったが、彼にしても馴染みのない曲ばかりだったようだ。「知らないの? ストーンズがカヴァーしてるよ」と清志郎が言った。僕は強い刺激を受け、そのテープを繰り返し聴いた。そして、RCの音楽の奥深さを垣間見た気がしたのだった。
高校を卒業した年の夏、『カバーズ』が発売された。反戦・反核を真正面から歌ったメッセージ性の高い作品で、社会的にも物議を醸したこのアルバムは、当時の僕には少し過激だった。清志郎の歌う日本語がストレートに胸にささって、洋楽ばかり聴いてきた僕にはしんどかったのだと思う。
でも、このときはっきりと認識したのは、RCサクセションが(あるいは忌野清志郎が)この国の他のアーティストとは明らかにモノが違うということだった。個人的な感覚なので言葉にするのは難しいのだけど、心の揺り動かされ方が他とはまるで違った。それは否定しようがないほどだった。
だから、僕が清志郎をリスペクトしたのは『カバーズ』の騒動があった時期からかもしれない。彼の自由さを。強さと優しさを。あの声と言葉を。音楽を。清志郎の歌を初めて聴いたときから7年が過ぎていた。
その年の冬のある晩、ラジオからRCサクセションの歌が流れてきた。それは「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」という歌だった。
ただのロックじゃないか
なんか変だな
レコード会社も新聞もTVも雑誌もFMも
馬鹿みたい
『カバーズ』には、エルヴィス・プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」を替え歌にした反核ソングが収録されている。これはそのアンサーソングというよりは、この歌に端を発した騒動に対する清志郎の本音だったのだろう。大きなことを言うでもなく、ゆったりとしたテンポで、思ったことを正直につぶやいていた。「馬鹿みたい」と。鳥肌がたったのは、冬の寒さのせいじゃなかった。そこに清志郎のナイーヴなやるせなさを感じ取ったからだと思う。
僕がRCサクセションや忌野清志郎のアルバムを買うようになったのは、大学生になってからだ。いつの間にか20歳になり、お酒も飲めるようになっていた。その翌年に RC は無期限活動休止を発表している。だから、僕にとって RC は後追いなのだ。絶頂期はよく知らない。今思えばもったいない話だが、鈍かったのだからしょうがない。今こうして楽しめているのだから、それで十分だ。
2009年5月2日、雨あがりの湿った道、自転車をふたり乗りしてこいだ夜。あれから何が変わり、何が残ったのだろう。今改めて、リスペクト清志郎。
歌詞引用:
君はLOVE ME TENDERを聴いたか? / RCサクセション
2018.05.02