11月25日

時代は繰り返す。笑える余裕とスーダラ伝説、分っちゃいるけどやめられねぇ

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ひと昔前、「バブル」は世間から嫌われていた。

特に氷河期世代と呼ばれる若い人たちからの評判が最悪で、「あいつら(バブル世代)は大して努力もせず、超売り手市場で大手企業に就職して、会社の経費で接待やらタクシーやら贅沢三昧。それに比べて俺たちは――」と。

まぁ、半分はその通りなんだけど(笑)、景気がいいと仕事も多いワケで、実際は忙しさも半端なかった。接待の後、会社に戻って朝まで徹夜仕事―― なんてことも珍しくなく(今、同じことをすると会社が労基から怒られそうですが)。

そんなバブルに対する潮目が変わったのは、この1、2年である。

例えば、昨年、格安スマホの『Y! mobile』のCMで桐谷美玲サンがバブル時代にタイムスリップしたり、バブル時代をネタにした平野ノラさんがブレイクしたり、今年に入って、高校ダンス部日本一を決める大会で “バブリーダンス” を披露した登美丘高校が準優勝したり、その使用曲の「ダンシング・ヒーロー」を歌った荻野目洋子さんが再ブレイクしたり―― 極め付けは、バブル時代のホイチョイ映画『私をスキーに連れてって』の公開30周年とコラボしたJR東日本のキャンペーン『私を新幹線でスキーに連れてって』の笑えるCMである。

この変化の背景にあるのは何か。

要は、景気が少し上向いて、バブル時代を笑える “余裕” ができたんですね。この心の余裕というのが意外と大事で、例えば、最新の2016年版『自殺対策白書』によると、15年の自殺者数は2万5000人を割り、それは1997年以来18年ぶりだったとか。過去最高だった2003年から1万人以上も減ったそう。

実は、かつてバブル時代も自殺者数が激減したんですね。要は、景気がよくなると物質的な豊かさもさることながら、精神的な余裕も生まれるということ。その意味では、バブルも悪い話ばかりじゃない。

少々前置きが長くなったが、バブルを笑う余裕が見えた今年―― その最後を飾るリマインダーも、かの時代へのノスタルジーで締めたいと思います。

時に、今から27年前の今日、1990年12月31日。この日放送された『第41回NHK紅白歌合戦』の歌手別視聴率で第1位となった植木等の「スーダラ伝説」が、今回の話である。

それは、植木サンにとって、実に23年ぶりの『紅白』だった(※応援団としての出場を除く)。なぜ、この年、植木サンが出場できたかというと、その数年前から植木等ブームがジワジワ来ていたからなんですね。

この辺りの話は、同じくリマインダーの書き手であるアーカイヴァーの鈴木啓之サンがお詳しいので、ぜひ「実年行進曲、クレージーキャッツと大瀧詠一の幸せな結末」をご参照ください。要は1985年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」が結成30周年を迎え、かつてクレージーの番組を手掛けたフジテレビと日本テレビが特番を組んだり、筋金入りのクレージーファンの大瀧詠一サンのプロデュースで新曲「実年行進曲」がリリースされたり、その曲に乗せてメンバーが出演するサントリーのCMが作られたり――。

87年には、植木等サンが所ジョージさんと、若くして亡くなられた高橋良明クンと親子3代の設定のドラマ『オヨビでない奴!』(TBS系)も放映された。ちなみに同ドラマ、あの遊川和彦サンの連ドラ脚本デビュー作である。

折しも、時代はバブルへ突入―― タイミングよく人々の心に、かつて一世を風靡した “無責任男” 植木等を笑える余裕ができたんですね。

そう、時代は繰り返す――。

クレージーの前身である「ハナ肇とキューバン・キャッツ」が結成されたのは、1955年である。その年は、日本の高度経済成長が始まる「神武景気」の幕開けの年。まさにクレージーは、日本経済の雄叫びと共に生まれたのである。

翌56年には谷啓サンが、更に57年には植木サンらが加入して、バンド名も「ハナ肇とクレージーキャッツ」となり、59年には初のレギュラー番組の『おとなの漫画』(フジテレビ系)がスタート。更に61年には渡辺プロの所属歌手らが総出演する『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)が始まり、クレージーはザ・ピーナッツと共に主役を務める。

ところが―― 同番組は開始から3ヶ月、視聴率が一桁と低迷し、スポンサーの牛乳石鹸から打ち切りを通告される。万事休すと思われたその時、思わぬ神風が吹く。1961年8月、軽い冗談のつもりで出したコミックソングがあれよあれよと大ヒット。その作詞者を番組の構成作家に招いたところ、彼の書くコントがこれまた大ウケ。

かくして『シャボン玉ホリデー』は息を吹き返し、視聴率は20%台へ。結局、牛乳石鹸は同番組の提供を11年間も続けることになる。


 チョイト一杯の つもりで飲んで
 いつの間にやら ハシゴ酒
 気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
 これじゃ身体に いいわきゃないよ
 分っちゃいるけど やめられねぇ


ハイ、もうお分かりですね。その歌とは「スーダラ節」。作詞者は当時、クレージーのもう一つのレギュラー番組『おとなの漫画』を構成していた青島幸男サン。作曲者はかつて「ハナ肇とキューバン・キャッツ」にも一時所属していた萩原哲晶サン。この2人の名コンビは以後、数々のクレージーキャッツのヒットソングを生み出すことになる。


 おれは この世で一番
 無責任と言われた男
 ガキの頃から調子よく
 楽してもうけるスタイル


「スーダラ節」がヒットした翌62年、1本の映画が封切られる。植木等を主役に、初めてクレージーのメンバーがメインで活躍する『ニッポン無責任時代』である。配給は東宝、監督は「シュートする!」が口癖の奇才・古澤憲吾。

主題歌の「無責任一代男」を始め、全編に青島幸男・萩原哲晶コンビによるクレージーソングが散りばめられ、まるでミュージカルのようだった。お馴染みの「スーダラ節」に、「ドント節」、「五万節」、「やせがまん節」、「ハイそれまでョ」――。


 あなただけが 生きがいなの
 お願い お願い すてないで


クレージーのメンバーは全員、楽器が演奏できて、その音楽的レベルはかなり高い。中でも植木等は歌が上手い。その曲は普段のコミックソングと違い、彼の魅惑の低音ボイスから始まる。まるでムード歌謡のようだ。あれ? クレージー、路線変更したのかと一瞬戸惑う。しかし――


 テナコト言われて ソノ気になって
 三日とあけずに キャバレーへ
 金のなる木が あるじゃなし
 質屋通いは 序の口で
 退職金まで 前借りし
 貢いだあげくが ハイ それまでョ


メロディは一転、コミック調へ。気づけばいつものノリである。ホッとすると同時に一杯食わされたおかしさが込み上げる。この秀逸なクリエイティブを青島・萩原コンビは、実に半世紀以上も前に完成させたのだ。恐るべき才能である。もちろん、これを完璧に歌い、演じる植木等という稀代のエンターテイナーあってのものだが――。

映画『ニッポン無責任時代』は、植木等演ずる主人公・平均(たいら ひとし)の突き抜けた明るさと調子の良さで大ヒットする。時に日本は高度経済成長期真っ盛り。要領よく難局を切り抜け、豪快に笑い飛ばすその男に、日本人は拍手喝采したのである。それは “余裕” のなせる業だった。


 人生で大事な事は
 タイミングにC調に無責任
 とかくこの世は無責任
 こつこつやる奴はごくろうさん


クレージー映画は以後10年間作られ続け、30作目の『日本一のショック男』で幕を下ろす。面白いことに、クレージーの活躍期間と日本の好景気は符合する。1972年にはテレビのレギュラーの『シャボン玉ホリデー』も終了し、同年、日本の高度経済成長期も終わりを告げる。翌73年はオイルショックの年である。

ここで、植木サンの素顔について触れたいと思う。テレビや映画のスクリーンから受ける “無責任男” と違い、普段の彼は酒を一滴も飲まない、物静かな人だったという。「スーダラ節」の詞を初めて見せられた時は、あまりに自堕落な詞に真剣に悩んだほど。

面白い逸話がある。「スーダラ節」を歌うべきか、植木サンは思い余って住職を務めるお父様に相談したという。すると―― 「すばらしい!」と涙を流さんばかりに感動している。ワケを聞くと、「この歌詞は、我が浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の教えそのもの。人類が生きている限り、この “わかっちゃいるけどやめられない” という生活はなくならない。そういうものを人類の真理というんだ。がんばってこい!」と逆に激励されたという。

話を1990年に戻そう。日本経済がバブルを謳歌していたその年の暮れ、植木等サンに再びスポットライトが当たる。『NHK紅白歌合戦』に23年ぶりに舞い戻った植木サンは、かつてのクレージーのヒット曲をメドレーにした「スーダラ伝説」を披露した。フルサイズ10分41秒の大作だが、『紅白』では4分50秒に短縮させられた。しかし、その程度で揺らぐ植木サンじゃない。持ち前の明るさでステージを盛り上げ、お茶の間の気持ちをガッチリ掴み、歌手別視聴率第1位の56.6%を記録したのである。


ここから先の話は長くない。

その17年後の2007年3月27日、植木サンは永眠する。享年80。

しかし―― 話は飛んで昨年、2016年。1本のCMが話題になった。

それは、「ライバルは、1964年。」と題したACジャパンのCMである。東京オリンピックが開催される2020年から、かつて東京オリンピックが行われた1964年に立ち返り、あの頃の笑顔に負けるなという内容だった。星野源サンが自作の曲と共にナレーションを務め、画面には彼が信奉する―― 若かりし頃の満面の笑みの植木等サンが登場した。

そして今年、NHKで1本の連続ドラマが放映された。かつて植木等サンの付き人兼運転手を務めた小松政夫サンの『のぼせもんやけん』を原作とした『植木等とのぼせもん』である。クレージー全盛期を描いた同ドラマはリアルな描写が評判を呼び、お茶の間の心を掴んだ。

そう、時代は繰り返す。

景気が上向き、人々の心の中に少し余裕が生まれた時、彼―― 植木等はやってくる。死してなお、僕らの心の中に植木等は生きているのだ。


最後に、この話をして、長いコラムを終えたいと思う。

それは、あの23年ぶりの『紅白』の2年後、1992年12月27日の『有馬記念』での出来事だった。レースは16頭立て中、15番人気のメジロパーマーが制し、有馬史上最高額の単勝万馬券となる。歴史的大穴レースに、中山競馬場は悲痛な叫びが響いた。

レース後、馬場の中央でミニコンサートが始まった。登場したのは、植木等サンである。ステージを見つめる観客たち。99.9%は負け組だ。かなり荒れている。不穏な空気が競馬場全体を覆う。そんな中、イントロが流れ、「スーダラ節」が始まった。1番が終わり、2番になった。


 ねらった大穴 見事にはずれ
 頭かっと来て 最終レース


そう、「スーダラ節」の2番は競馬に負ける話である。いつもなら笑って聞いていられる内容だが、時と場合による。なんたって、この日は、年の瀬の最終レース。それも有馬史上最高の番狂わせ。みんな殺気立っているのだ。

しかし―― 不思議なことが起きた。この2番を植木サンが歌っている途中で、さざ波が起きるように、観客たちが次々とハモり始めたのだ。


 気がつきゃ ボーナスァ
 すっからかんのカラカラ
 馬で金もうけ した奴ぁないよ


気が付けば、みんな総立ちだ。植木サンに合わせ、歌っている。そして、その歌声は次のフレーズでスタンドが一体となり、大合唱となった。


 分かっちゃいるけど やめられねぇ!


不思議と、あれほど荒れたレースにも関わらず、その日の中山競馬場を出る人々の顔は一様に温和だったという。

そう―― 分かっちゃいるけど やめられねぇ。あの日の、お父様の教えは正しかったのだ。

来年も、笑える年でありますように。



歌詞引用:
スーダラ節 / ハナ肇とクレージーキャッツ
無責任一代男 / ハナ肇とクレージーキャッツ
ハイそれまでョ / ハナ肇とクレージーキャッツ


2017.12.31
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