11月25日

植木等「スーダラ伝説」分かっちゃいるけど やめられねぇ!

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バブル時代を笑えるようになった “余裕”、変化の背景にあるものとは?


ひと昔前、いわゆる「バブル」―― 1980年代後半の好景気を背景としたカルチャーや、それを謳歌した世代は世間から嫌われていた。

特に氷河期世代と呼ばれる30代後半~40代からの評判が最悪で、「あいつら(バブル世代=概ね50代)は大して努力もせず、超売り手市場で大手企業に就職して、会社の経費で接待やらタクシーやら贅沢三昧。それに比べて俺たちは――」と。

まぁ、半分はその通りなんだけど(笑)、景気がいいと仕事も多いワケで、実際は忙しさも半端なかった。接待の後、会社に戻って朝まで徹夜仕事―― なんてことも珍しくなく(今、同じことをすると会社が労基から怒られそうですが)。

そんなバブルに対する潮目が変わったのは、5、6年前である。

例えば、バブル時代をネタにした平野ノラさんがブレイクしたり、2016年には格安スマホの『Y! mobile』のCMで桐谷美玲サンがバブル時代にタイムスリップしたり、その翌年には高校ダンス部日本一を決める大会で “バブリーダンス” を披露した登美丘高校が準優勝したり、その使用曲の「ダンシング・ヒーロー」を歌った荻野目洋子さんが再ブレイクしたり――。そうそう、バブル時代のホイチョイ映画『私をスキーに連れてって』の公開30周年とコラボした2017年のJR東日本のキャンペーン『私を新幹線でスキーに連れてって』ってのもあった。

これら一連の変化の背景にあるのは何か。

要は、アベノミクスの影響もあって2010年代の半ば、景気が少し上向いて、バブル時代を笑える “余裕” ができたんですね。この心の余裕というのが意外と大事で、例えば、2016年版『自殺対策白書』によると、15年の自殺者数は2万5000人を割り、それは1997年以来18年ぶりだったとか。過去最高だった2003年から1万人以上も減ったそう。

実は、かつてバブル時代も自殺者数が激減した時代だったんですね。要は、景気がよくなると物質的な豊かさもさることながら、精神的な余裕も生まれるということ。その意味では、バブルも悪い話ばかりじゃない。

少々前置きが長くなったが、バブルを笑えるようになった今の時代だからこそ、今回はその崩壊前夜を飾ったとも言われる、かの御仁を取り上げたいと思います。奇しくも今日12月25日は、今から95年前の1926年に、かの御仁―― 今は亡き植木等サンがお生まれになった日にあたる。

1990年、植木等が紅白歌合戦で歌った「スーダラ伝説」


時に、今から31年前の大晦日―― 1990年12月31日。この日放送された『第41回NHK紅白歌合戦』の歌手別視聴率で第1位となったのが、「スーダラ伝説」を披露した植木等サン、その人である。

それは、植木サンにとって、実に23年ぶりの『紅白』だった(※応援団としての出場を除く)。なぜ、この年、植木サンが出場できたかというと、その数年前から植木等ブームがジワジワ来ていたからなんですね。

この辺りの話は、同じくリマインダーの書き手であるアーカイヴァーの鈴木啓之サンがお詳しいので、ぜひ『大瀧詠一が手がけたクレージーキャッツ「実年行進曲」80年代の50〜60代ソング!』をご参照ください。要は1985年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」が結成30周年を迎え、かつてクレージーの番組を手掛けたフジテレビと日本テレビが特番を組んだり、筋金入りのクレージーファンの大瀧詠一サンのプロデュースで新曲「実年行進曲」がリリースされたり、その曲に乗せてメンバーが出演するサントリーのCMが作られたり―― つまり、クレージーキャッツに再び光が当たったんです。

で、その余波を受けて1987年には、植木等サンが所ジョージさんと、若くして亡くなられた高橋良明クンと親子3代の設定のドラマ『オヨビでない奴!』(TBS系)も放映された、と。ちなみに同ドラマ、あの遊川和彦サンの連ドラ脚本デビュー作でもある。

折しも、時代はバブルへ突入―― 要はタイミングよく人々の心に、かつて一世を風靡した “無責任男” 植木等を笑える余裕ができたんですね。その意味では、2010年代半ばとよく似ていたとも。

日本経済の雄叫びと共に生まれたクレージーキャッツ


そう、時代は繰り返す――。

クレージーの前身である「ハナ肇とキューバン・キャッツ」が結成されたのは、1955年である。その年は、日本の高度経済成長が始まる「神武景気」の幕開けの年。まさにクレージーは、日本経済の雄叫びと共に生まれたのである。

翌1956年には谷啓サンが、更に1957年には植木サンらが加入して、バンド名も「ハナ肇とクレージーキャッツ」となり、1959年には初のレギュラー番組の『おとなの漫画』(フジテレビ系)がスタート。更に1961年には渡辺プロの所属歌手らが総出演する『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)が始まり、クレージーはザ・ピーナッツと共に主役を務める。

ところが―― 同番組は開始から3ヶ月、視聴率が一桁と低迷し、スポンサーの牛乳石鹸から打ち切りを通告される。万事休すと思われたその時、思わぬ神風が吹く。1961年8月、軽い冗談のつもりで出したコミックソングがあれよあれよと大ヒット。その作詞者を番組の構成作家に招いたところ、彼の書くコントがこれまた大ウケ。

かくして『シャボン玉ホリデー』は息を吹き返し、視聴率は20%台へ。結局、牛乳石鹸は同番組の提供を11年間も続けることになる。

青島幸男、萩原哲晶の秀逸な楽曲を完璧に歌った植木等


 チョイト一杯の つもりで飲んで
 いつの間にやら ハシゴ酒
 気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
 これじゃ身体に いいわきゃないよ
 分っちゃいるけど やめられねぇ

ハイ、もうお分かりですね。その歌とは「スーダラ節」。作詞者は当時、クレージーのもう一つのレギュラー番組『おとなの漫画』を構成していた青島幸男サン。作曲者はかつて「ハナ肇とキューバン・キャッツ」にも一時所属していた萩原哲晶サン。この2人の名コンビは以後、数々のクレージーキャッツのヒットソングを生み出すことになる。

 おれは この世で一番
 無責任と言われた男
 ガキの頃から調子よく
 楽してもうけるスタイル

「スーダラ節」がヒットした翌1962年、1本の映画が封切られる。植木等を主役に、初めてクレージーのメンバーがメインで活躍する『ニッポン無責任時代』である。配給は東宝、監督は「シュートする!」が口癖の奇才・古澤憲吾。

主題歌の「無責任一代男」を始め、全編に青島幸男・萩原哲晶コンビによるクレージーソングが散りばめられ、まるでミュージカルのようだった。お馴染みの「スーダラ節」に、「ドント節」、「五万節」、「やせがまん節」、そして「ハイそれまでョ」――。

 あなただけが 生きがいなの
 お願い お願い すてないで

クレージーのメンバーは全員、楽器が演奏できて、その音楽的レベルはかなり高い。中でも植木等は歌が上手い。その曲――「ハイ、それまでョ」は他のクレージーのコミックソングと違い、彼の魅惑の低音ボイスから始まる。まるでムード歌謡のようだ。あれ? クレージー、路線変更したのかと一瞬戸惑う。しかし――

 テナコト言われて ソノ気になって
 三日とあけずに キャバレーへ
 金のなる木が あるじゃなし
 質屋通いは 序の口で
 退職金まで 前借りし
 貢いだあげくが ハイ それまでョ

メロディは一転、コミック調へ。気づけばいつものノリである。ホッとすると同時に一杯食わされたおかしさが込み上げる。この秀逸なクリエイティブを青島・萩原コンビは、実に半世紀以上も前に完成させていたのだ。恐るべき才能である。もちろん、これを完璧に歌い、演じる植木等という稀代のエンターテイナーあってのものだが――。

映画『ニッポン無責任時代』は、植木等演ずる主人公・平均(たいら ひとし)の突き抜けた明るさと調子の良さで大ヒットする。時に日本は高度経済成長期真っ盛り。要領よく難局を切り抜け、豪快に笑い飛ばすその男に、日本人は拍手喝采したのである。それは “余裕” のなせる業だった。

日本の好景気と符合するクレージーキャッツの活躍時期


 人生で大事な事は
 タイミングにC調に無責任
 とかくこの世は無責任
 こつこつやる奴はごくろうさん

クレージー映画は以後10年間作られ続け、30作目の『日本一のショック男』で幕を下ろす。面白いことに、クレージーの活躍期間と日本の好景気は符合する。1972年にはテレビのレギュラーの『シャボン玉ホリデー』も終了し、同年、日本の高度経済成長期も終わりを告げる。そう、翌1973年はオイルショックの年である。

ここで、植木サンの素顔について触れたいと思う。テレビや映画のスクリーンから受ける “無責任男” と違い、普段の彼は酒を一滴も飲まない、物静かな人だったという。「スーダラ節」の詞を初めて見せられた時は、あまりに自堕落な詞に真剣に悩んだほど。

面白い逸話がある。「スーダラ節」を歌うべきか、植木サンは思い余って住職を務めるお父様に相談したという。すると――「すばらしい!」と涙を流さんばかりに感動している。ワケを聞くと、「この歌詞は、我が浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の教えそのもの。人類が生きている限り、この “わかっちゃいるけどやめられない” という生活はなくならない。そういうものを人類の真理というんだ。がんばってこい!」と逆に激励されたという。

話を1990年に戻そう。日本経済がバブルを謳歌していたその年の暮れ、植木等サンに再びスポットライトが当たる。『NHK紅白歌合戦』に23年ぶりに舞い戻った植木サンは、かつてのクレージーのヒット曲をメドレーにした「スーダラ伝説」を披露した。フルサイズ10分41秒の大作だが、『紅白』では4分50秒に短縮させられた。しかし、その程度で揺らぐ植木サンじゃない。持ち前の明るさでステージを盛り上げ、お茶の間の気持ちをガッチリ掴み、歌手別視聴率第1位の56.6%を記録したのである。

死してなお、心の中に生きる植木等


ここから先の話は長くない。

その17年後の2007年3月27日、植木サンは永眠する。享年80。

しかし―― 話は飛んで2016年。1本のCMが話題になった。

それは、「ライバルは、1964年。」と題したACジャパンのCMである。次の東京オリンピックが開催される予定の2020年(※当時)から、かつて東京オリンピックが行われた1964年に立ち返り、あの頃の笑顔に負けるなという内容だった。星野源サンが自作の曲と共にナレーションを務め、画面には彼が信奉する―― 若かりし頃の満面の笑みの植木等サンが登場した。

そして翌2017年、NHKで1本の連続ドラマが放映された。かつて植木等サンの付き人兼運転手を務めた小松政夫サンの『のぼせもんやけん』を原作とした『植木等とのぼせもん』である。クレージー全盛期を描いた同ドラマはリアルな描写が評判を呼び、お茶の間の心を掴んだ。

そう、時代は繰り返す。

景気が上向き、人々の心の中に少し余裕が生まれた時、彼―― 植木等はやってくる。死してなお、僕らの心の中に植木等は生きているのだ。

1992年の有馬記念で「スーダラ節」大合唱


最後に、この話をして、長いコラムを終えたいと思う。

それは、23年ぶりに植木等サンが出場した『紅白』の2年後、1992年12月27日の『有馬記念』での出来事だった。レースは16頭立て中、15番人気のメジロパーマーが制し、有馬史上最高額の単勝万馬券となる。歴史的大穴レースに、中山競馬場は悲痛な叫びが響いた。

レース後、馬場の中央でミニコンサートが始まった。登場したのは―― なんと植木等サンである。険しい顔でステージを見つめる観客たち。99.9%は負け組だ。かなり荒れている。不穏な空気が競馬場全体を覆う。そんな中、イントロが流れ、「スーダラ節」が始まった。1番が終わり、2番になった。

 ねらった大穴 見事にはずれ
 頭かっと来て 最終レース

そう、「スーダラ節」の2番は競馬に負ける話である。いつもなら笑って聞いていられる内容だが、時と場合による。なんたって、この日は、年の瀬の最終レース。それも有馬史上最高の番狂わせ。みんな殺気立っているのだ。

しかし―― 不思議なことが起きた。この2番を植木サンが歌っている途中で、さざ波が起きるように、観客たちが次々とハモり始めたのだ。

 気がつきゃ ボーナスァ
 すっからかんのカラカラ
 馬で金もうけ した奴ぁないよ

気が付けば、みんな総立ちだ。植木サンに合わせ、歌っている。そして、その歌声は次のフレーズでスタンドが一体となり、大合唱となった。

 分かっちゃいるけど やめられねぇ!

不思議と、あれほど荒れたレースにも関わらず、その日の中山競馬場を出る人々の顔は一様に温和だったという。

そう―― 分かっちゃいるけど やめられねぇ。あの日の、お父様の教えは正しかったのだ。

来年、2022年は笑える年になりますように。


歌詞引用:
スーダラ節 / ハナ肇とクレージーキャッツ
無責任一代男 / ハナ肇とクレージーキャッツ
ハイそれまでョ / ハナ肇とクレージーキャッツ



※2017年12月31日に掲載された記事をアップデート

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2021.12.25
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カタリベ
1967年生まれ
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