3月11日

音楽が聴こえてきた街:日清パワーステーションが示した新しいライブの楽しみ方

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photo:NISSIN FOODS HOLDINGS  

インディーズブーム、バンドブームの礎となったライブハウス


80’Sと総称される音楽カルチャーの幕開けが1978年だとすると、この年あたりから街には新たな価値観が芽吹き始めていたことが理由となる。YMOが結成された一方で、アンダーグラウンドでは “東京ロッカーズ” というムーブメントが生まれる。S-KEN、フリクション、リザード… といった面々は、ニューヨークパンクの影響下で急速に商業化した日本の音楽シーンの色を塗り替えようと目論む。

彼らの中にはプログレッシブロックに精通している者もいたことから、この東京ロッカーズが新たな音楽の時代を切り拓く革新的な動きだったことが伺われる。特筆すべきは、彼らが「下北沢ロフト」など様々なライブハウスでインディペンデントな活動を繰り広げていたことだ。つまり、彼らを支えたライブハウスがロックを主体として街に定着していったということが、時代の転換期であることを象徴している。80年代に聖地とされる「新宿ロフト」も1978年にオープン。この時代が後のインディーズブーム、バンドブームの礎となっていった。

アーティストのサクセスストーリーと音楽シーンの新しい方向性


そんなライブハウスの定着により80年代の花開いた音楽地図が大きく変わっていくのは1988年あたりからだと言っていいだろう。1988年という年には、東京ドームでエポックメイキングとなる3つの公演が行われている。1つめは3月に日本人アーティスト初の単独公演として、ハウンド・ドッグが『Bloods Live』を開催。2つめは翌4月に、BOØWYの『LAST GIG』が行われている。そして3つめは9月に、尾崎豊が56,000人を動員したその夜限りの『LIVE CORE』。

それらは、ライブハウスから巣立ったアーティストたちが、ホールライブ → 武道館公演 → 東京ドーム公演、といったサクセスストーリーを体現した象徴的な出来事だったと言えるだろう。しかし、そのサクセスストーリーでは括ることのできない、音楽シーンの新しい方向性を示したのが、日清パワーステーション(以下パワステ)やクラブチッタ川崎といったオールスタンディングのハコの存在だ。今回は、このパワステにちなんだ話をしたい。

「日清パワーステーション(通称:パワステ)」は、ホールでも街に根付いたライブハウスでもない、中規模なライブ会場(形式的にはドリンクオーダーが必須となっているのでライブハウスとカテゴライズされるが)。ちなみにその先駆けは、1986年にオープンし1989年までという短い営業期間の中、数々の伝説が生まれた「インクスティック芝浦ファクトリー」だったと思う。これにより、アーティストとファンの距離感がだいぶ変わっていった。だから僕は、この1988年あたりを90’Sの幕開けと捉えている。

新しい価値観を提示した日清パワーステーション


さて、1988年3月『OPENING SPECIAL Ⅰ サザンオールスターズ “野沢毛ガニ” プロデュース・デイズ』というオープニングイベントで幕を開けた日清パワーステーションは、新宿のはずれ、歌舞伎町を抜けた明治通り沿いの日清本社の地下にあった。エントランスでチケットを渡すと、ドリンクチケットのかわりにコインが渡された。このコインに様々な思い出を巡らせる人も多いだろう。

パワステの客席構造は、地下1階~2階のぶち抜きだった。地下2階がステージとオールスタンディングのフロア、地下1階はステージを俯瞰して観ることができる席だ。特筆すべきはバブル期に相応しいスペシャル・ディナー・シート(SDS)と呼ばれるゆったりと食事をしながらライブを鑑賞できるテーブルと椅子が配置されていたことだ。

つまり、パワステはライブハウスの熱狂のみならず、ホールコンサートさながらに音楽にじっくり耳を傾けるという機能も兼ね備え、新たな価値観を提示してくれた。収容人数700人というキャパからも分かる通り、パワステには、ライブハウスをソールドアウトにした新人バンドの登竜門であったのと同時に、キャリアの長い玄人好みのアーティストのライブを至近距離で楽しめるという側面もあった。小田和正、高橋幸宏、遠藤賢司といった多岐にわたるジャンルのベテランアーティストたちが公演を重ね、なかでも甲斐よしひろは、閉館する1998年までの10年間で10回の公演を重ね、公演回数第3位にランクインしていたりもする。

会場を大きくするだけがサクセスストーリーではない


僕個人の思い出としても、仲井戸麗市、麗蘭、PANTA、真島昌利、町田康… といったライブハウスの縦ノリの熱狂とは違う、言葉を噛みしめるようなアーティストたちの公演が印象に残っている。そこには、コンサート会場を徐々に大きくしていくというサクセスストーリーとは無縁の音楽の深みがあった。

とりわけ印象に残っているのが、1997年6月29日~30日に行われた『THE MODS ’97 easy listening』と銘打たれたプラグレスのライブだった。29日公演では藤井尚之がゲストで出演。このライブは、同年5月21日にリリースされたアルバム『easy listening』の発売を記念してのものだった。なお、この『easy listening』は80年代の THE MODS の軌跡ともいうべきエッジの利いたナンバーをアコースティックスタイルにセルフカバーした内容だった。

このアルバム同様、当日のライブでは、80年代に彼らが放ったレベルミュージックと形容できる熱と重みがこもったナンバーがより深化していた。それを生の音で観客に届けることによって、言葉が脳裏に深く刻み込まれていった。それは、サクセスストーリーをたどってきた THE MODS の凄みと言っていいだろう。そう、従来のライブハウスでは体験できないようなロックンロールの深い部分だ。このような貴重な公演もパワステのようなヴェニューがなかったら実現しなかったと思う。

そんなふうに、パワステのステージで観た風景と敬愛するミュージシャンたちが発した言葉が、今も僕の心の中にある。それは80年代のライブハウスで観た熱狂とは全く別のものだった。

ホールやライブハウスとも違う、多様化した音楽スタイルを提示


パワステは、98年6月28日~30日の3日間『THE MUSIC NEVER STOPPED NISSIN POWER STATION LAST DAYS』と題されたクロージングイベントで幕を閉じた。出演者は山崎まさよし、ソウル・フラワー・ユニオン、ウルフルズ、コレクターズなど、80年代の終わりから90年代にかけて日本の音楽シーンの中枢を担った面々。そして忌野清志郎も登場した。パワステ最後に演奏された曲は「雨あがりの夜空に」だったという。

80年代の終わりから約10年間、パワステが僕に教えてくれたことは、生の音を噛みしめるといった、それまでの直情的な音楽との向き合い方とは全く別のものだった。ライブハウスともホールコンサートとも違った新たな価値観の音楽空間が生まれたことは、80年代の終焉あり、90年代には、この場所で多様化した音楽スタイルを提示していくようになったのだ。



2020.08.04
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カタリベ
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