東京ドームでは嵐、東京ドームシティホールでは甲斐バンドのコンサートが開催された師走のある日。
水道橋駅を出ると「チケットを譲ってください」というプラカードを掲げた女の子達の列、列、列。あんな光景は初めて見ました。そんな私は甲斐バンドのツアーファイナルを鑑賞。ロックを知り尽くした人達の奏でる音に、終始身を委ねる気持ち良さ。圧巻のステージでした!
数年前は「安奈」と「HERO」しか知らなかったのに、どの曲でもリズムに合わせて身体を揺らしている私がいました。周りの大人達と一緒に音を楽しんでいる、そんな自分が嬉しかったです。
実は、私のマネージャーが甲斐よしひろさんのマネージメントも兼務している関係で、甲斐さんのソロコンサートや甲斐バンドのコンサートを観せて頂く機会がこれまでもありました。日比谷野音、東京国際フォーラムA、ビルボード大阪、ビルボード東京、東京ドームシティホールなど、もう8回くらい観たのかな。
季節は12月。クリスマスに聴く曲といえば沢山ありますが、大ヒットした「安奈」もこの季節にぴったりですよね。今までライブ会場で何度も聴かせて頂きましたが、歌詞もメロディーも心に沁みます。「安奈」にはこんなエピソードがあります。
偶然立ち寄った函館のバーで1番の歌詞を思いつき、コースターの裏に書き留め、その書いたコースターが何枚にも重なっていったらしいです。そして、2番の歌詞は渋谷のバーで書き上げたとか。名曲がバーで誕生するなんてとてもお洒落!
また「安奈」をリリースしたこの年には85回のコンサートを開催し、なんと20万人を動員したという。「安奈」のヒット以外にも「HERO」が180万枚、「裏切りの街角」は80万枚のセールスを記録。1982年まで動員数No.1のバンドとなるなど、ロックシーンを牽引してきたスーパーバンドなのです。
そんな甲斐よしひろさんと、三軒茶屋や下北沢で何度かお食事をご一緒させて頂いたことがあります。メジャーデビュー前に甲斐さんの行きつけのバーで、「デビューが決まったもののレコード会社に宣伝してもらえるかどうか不安だ」という気持ちを相談した時に、「そんなんじゃダメだ! デビューさせてくれるレコード会社に失礼だろう」と喝を入れられ、号泣してしまった苦い思い出。
そして甲斐さんは言いました。「いいか? インディーズだろうがメジャーだろうが、俺達は一枚、一枚、結果を残さないとダメなんだ!」と。結果を残してきた大先輩からの大きな助言。
泣きじゃくる私に、「泣いたらもう飲まないぞ!」と言われ、それは嫌だと涙を拭ったあの日。あれから3年近くの月日が経ちましたが、その時言い返してしまったので、今でも怒っているだろうなと思い、ライブは観に行かせてもらっても挨拶は諦めて帰っていたのですが、マネージャーの計らいで、デビュー後、久々に再会することができました。
正直なところ、デビュー前に悩んでいた通り、メジャーデビューしたら宣伝を沢山してもらえると思っていた私の理想は打ち砕かれた数年間でした。インディーズ時代に、某大御所アーティストの方からも言われた「今の時代、インディーズもメジャーも大して変わらないから、そこまでこだわらない方が良いよ」という言葉の意味もよくわかりました。
でも、私にとってはずっと目指してきたメジャーという場所。なんとかこのフィールドで、もう少し踏ん張りたい気持ちがありました。結局その後、私はデビューしたレコード会社から別のメジャーレーベルへと移籍し、ファーストアルバムをリリース。そして、その作品『東京恋文』で昨年度のレコード大賞企画賞を頂きました。
受賞式に登壇した時に、「今はなかなかCDの売れない時代で、次の作品が出せるかどうかわからないという危機感を持ちながら音楽活動をして参りました。もしかしたら、これが最初で最後のアルバムになるかもしれないとの想いで魂を込めて作り上げました」とスピーチしました。
レコード会社の担当者や審査委員の方から、「なんであんなネガティブな発言をしたの?」と後で言われましたが、かつて私がメジャーを目指していた10年以上前とは違い、今はCDが売れない時代。レコード会社と契約を結んでも「年契約をして、シングルを何枚、アルバムは何枚出しましょう」という契約を、皆が当たり前にしてもらえる状況ではないのです。
「いいか? 俺達は、一枚、一枚、結果を残さないとダメなんだ!」と言われた言葉の重みを感じます。
甲斐さんのように大きな結果はまだ残せていませんが、音楽活動を続けていける限り、ヒット作を生み出したい! 良い曲を作りたい! という気持ちを忘れずに、より多くの方達の心に届く曲を作っていきたいと強く思います。
2017.12.22
YouTube / へのへのもへじ
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