落ち着かない。全く落ち着かない。なぜなら9月末にモリッシーの来日公演が迫っているからだ。
顔を洗おうとして歯磨き粉を捻り出し、ニットは裏返しに着てしまい、鼻血まで止まらなくなっている始末。大丈夫か自分。
考えたらいつもこうだ。いつもこんな想いばかりモリッシーにはさせられている。ソロデビューの時からずっと。
思えば1987年は本当についていなかった。エコー&ザ・バニーメン、サイケデリック・ファーズ、ビリー・ブラッグと、楽しみにしていた来日公演が立て続けに中止。そしてギタリストのジョニー・マー脱退後、ザ・スミスが解散した。
翌1988年、バンド解散から半年で、フロントマンのモリッシーはソロアルバム「ビバ・ヘイト」を発表。
プロデュースはスミスの遺作「ストレンジウェイズ・ヒア・ウイ・カム」も手がけた職人スティーヴン・ストリート、そしてギタリストにはドゥルッティ・コラムの極細繊細男子、ヴィニ・ライリー。全英チャート一位。
モリッシーはこれまでに10作のオリジナルアルバムを出しているが、この1stが私は一番好きだ。日本盤販促ポスターのキャッチコピーも良かったし。
「神様、スミス様、モリッシー様」なんて。
1stシングル「スエードヘッド」、泣きのギターがズブズブ刺さる「君、我を忘れようとも」、2012年日本ツアー仙台公演で ”Sunday” を “Sendai” に変えて歌ったという代表曲「エヴリディ・イズ・ライク・サンデイ」、リマスター盤でははずされてしまった「ジ・オーディナリー・ボーイズ」、ストリングスがドラマティックな「エンジェル・エンジェル」、故サッチャー元首相を死んでくれとまでこき下ろす「マーガレット・オン・ザ・ギロチン」など12曲。
全てが恨み節とは言いすぎだが、当時はモリッシーの心情を考えるだけで胸が締め付けられ、沁みた。ファンの妄想は本当に勝手だ。
「モリッシーとはジョニー・マーの不在である」とは、モリッシーのソロ活動に際してよく言われた言葉。マーがギターを弾き曲を作り、モリッシーが詩を書き歌う。お互いが最も輝く場所はお互いの隣であると、私もそう思っていた。
片翼をもがれたモリッシーは情念の塊と化す。募る思慕、届かない心、そういった全ての思いを結晶化させて作ったのが、バンド末期の状態を表題に冠したという、このデビュー作だと思う。
結果、なんだか演歌のように感じてしまった感も否めず。マー&モリッシー同性愛説もあったがBL系では人気なのか。私は彼に性的な興味は一切ないのでよくわからない。
スミスでの来日はなかったが、モリッシーは単独で1991年、95年に来日。その後2002年サマーソニック出演、04年フジロックドタキャン、09年個人的にロンドン公演を観に行ったがドタキャン(号泣)、2012年日本ツアー。
そして2016年、57歳モリッシーは再来日を果たす。ああヤバい! 緊張感ピーク!
2016.09.17
YouTube / Official Morrissey
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