渋谷という街は四方を坂に囲まれている。
何処に行くにも坂を上り、上ったら下らなければならない。道玄坂、宮益坂、桜ヶ丘、坂だらけだ。そして神南の公園通り。
この公園通り、かつては区役所通りと呼ばれていた―― 確かになだらかな坂を上ると代々木公園があるにはあるが、実はそう名付けられたのは、西武グループの「PARCO=公園」からだ。
前回書いた
『これがホントの電撃バップ! ラモーンズと渋谷PARCOの女子トイレ事情』など、渋谷PARCOの西武劇場では想い出深いライブを洋邦沢山観た。特に当時、PARCO の宣伝はミュージシャン絡みが多く非常に斬新。CM も最先端でお洒落感に溢れていた。
1979年、The B-52's(ザ・ビー・フィフティートゥーズ)というバンドの日本盤を目にした。ギラギラした色使いのジャケットにレトロな髪型の女性とダリみたいな男性のビジュアル。曲目は「ロック・ロブスター」やら「52ガールズ」など、その頃ハマり始めたいわゆるB級カルト映画みたいなタイトルで迷わず購入。どこか懐かしい、それでいて新しい。サントラ風でもあり、ダンスミュージックでもあり、兎に角ライブを観たくなった。あの髪型は実はウィッグで、そのウィッグの番号がバンド名の由来と後に知ったが、それからすぐに、彼らの来日公演が決まった。
79年12月。70年代の最後の締めは、西武劇場初めての洋楽ライブ The B-52's。前座はデビュー目前のプラスチックス。学生の私にはただただ、眩しくて… 全てが圧倒的な新しさと高揚感。
「僕らはパーティーバンドだ」と The B-52's のリーダー、フレッドは公言していたし、プラスチックスも確か業界のパーティーから発生したバンドだ。両バンド共にあの時ミラーボールみたいにキラキラして見えた。毎日こんな風にキラキラお洒落してパーティーしたい! ずっと踊っていたい! そんな気持ちのまま西武劇場を後にした。
ディスコからクラブへ… パンク、ニューウェイヴが枝分かれしてポストロックやテクノになって行く変遷をあの日の夜は肌に感じることができた。帰宅後も興奮し余り眠れなかった。
それから程なくして The B-52's は PARCO の CM で普通にお茶の間に登場する。これが私の80年代の始まり。
今観ても色褪せないキラキラ感、チープなのにカッコ良い。PARCO が一番攻めていた時代のはじまり。広告戦略、サブカルの代名詞となる『ビックリハウス』(PARCO出版)など世の中に与えた影響は計り知れない。
まさにその幕開けにふさわしいパーティーバンドが The B-52's だった。
2018.11.16