はじめて、ニール・ヤングを知ったのは、グランジの頃。クレイジー・ホースとの作品なんかを聴いたんだと思います。カートが遺書で「ヘイ・ヘイ、マイ・マイ」の歌詞を引用したというのは有名な話ですよね。でも当時はまったくピンときませんでした。 その10年後フジロックにやってきたときは、裏のニュー・オーダー (with ビリー・コーガン)を観ていたのでほとんど観ていなくて、でもフジのライブの評判がすこぶるよかったので観に行った日本武道館公演は、前半が劇、後半はバンドセットという変則構成でこれまたピンとこなかった。 そんなすれ違いを続けたニールとの邂逅は、タワーレコードの販促部時代。ニールのドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ゴールド ~孤独の旅路~』に合わせたキャンペーンの冊子をつくることになり、タワーレコードのニール好きたちが名盤のレビューを寄稿してくれたのですが、そこではじめてニールの全米1位シングルが1972年の「孤独の旅路(Heart Of Gold)」1曲だけだということを知ります。 <商業的成功がニールには居心地が悪かったのだろう、その後はヒットチャートから距離をおくことになる…> そんな寄稿だったと思うんだけど、それがすごく記憶に残っています。 小さな村に原子力発電所ができて… というコンセプトアルバムを出したり、遺伝子組み換え食品や除草剤などで知られる大企業モンサントを公然と批判しちゃったり、日本であれば業界を干されて… となること確実なんだけど、ニールにはそんなのぜんぜん関係ないんですよね。 僕は何を思ったか、3年半前にタワーレコードを辞め、縁もゆかりもなかった岡山に移住して「ソーシャル・ビジネス」「ローカル・ベンチャー」なんて呼ばれる世界で起業しちゃいまして、最近は『地方創生』とかいうんですけど、既得権益的なことだったり、ちっちゃな政治の話だったりとかあったりするんです。 だからかな、ここで聴くニール・ヤング、すごく届くんです。東京にいた頃の100倍くらい。商業的に成功してもいないのに。勇気出して「それが地域ダメにしてますよ」って言おうって思えるんです。
2016.02.24
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