「黄金の6年間」という言葉がある。
世のスターと呼ばれる人たちの全盛期を表す言葉だ。いわゆる脂が乗り切っていた時期のこと。打つ手打つ手が、ことごとく時代とシンクロしていた期間である。不思議と、これが一様に6年間なのだ。
例えば、かのビートルズがアメリカに渡って社会現象となった1964年から、事実上のラストアルバム『アビイ・ロード』をリリースした69年までが6年間。ユーミンで言えば、年2枚のオリジナルアルバムを出していた78年から83年までが6年間。松田聖子のデビューから結婚まで、中森明菜のデビューから「難破船」までも、いずれも6年間である。
そして―― これからお話しする女優もまた、1970年代末から80年代前半にかけて、その美貌に最も磨きがかかり、打つ手打つ手が全て当たった。その期間もまた、6年間だった。
女優の名は松坂慶子。
今日―― 7月1日は、今から39年前の1979年、まさに “黄金の6年間” の最中に彼女が歌い、ヒットさせた「愛の水中花」がリリースされた日である。
これも愛 あれも愛
たぶん愛 きっと愛
『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』で歌う彼女は、決まって深いスリットの入った黒のセクシーなドレスに、網タイツ姿だった。それが、ボリュームを持たせたウェーブヘアにフィットして、艶やかなシルエットを作り出していた。当時、小学校の僕の担任の鈴木先生(30代・男)は「お前らには分からないだろうが、あれが大人の女性の色気だ」と言っていたが、そんなことは言われなくても分かっていた。
僕ら小学生が松坂慶子という女優を初めて意識したのは、1977年の夏休みに公開された映画『坊っちゃん』だったと記憶する。
主人公・坊っちゃんを演じるのは、ドラマ『われら青春!』や『俺たちの旅』で、当時スターだった中村雅俊。マドンナ役が松坂さんだった。坊っちゃんの優柔不断な性格に対し、凛とした美しさと勝気な性格のマドンナは、彼女のハマり役だった。当時の映画は2本立てなので、寅さんの併映扱いだったが、意外にも『坊っちゃん』の方が面白かった。
そう、松坂慶子は当時、松竹の専属女優だった。だが、清純派の彼女はコンスタントに出演作を重ねるも、今ひとつブレイクできずにいた。気が付けば、松竹に入って6年目―― 彼女は25になっていた。もう、清純派と呼ばれる年齢でもない。
その年の冬、彼女は1本の連続テレビドラマと出会う。そして―― この作品が、彼女の運命を大きく変える。『青春の門・第二部(自立編)』(TBS系)である。原作はご存知、直木賞作家の五木寛之。彼女の役は娼婦のカオルで、それまで清純派で通した女優の転身に世間は驚き、そして評判となった。作者の五木も彼女の演技にほれ込んだ。新生・松坂慶子の誕生である。
そして―― いよいよ運命の年、1978年を迎える。この年、彼女は『砂の器』で知られる巨匠・野村芳太郎監督の映画『事件』に出演する。
演じるは、容疑者の工員(永島敏行)を妹(大竹しのぶ)と取り合うキャバレーのホステスだ。この映画で、なんと彼女は初めてヌードになる。文字通り、清純派女優からの完全脱皮。同映画は前年に制定されたばかりの日本アカデミー賞の最優秀作品賞を受賞し、ここから女優・松坂慶子の黄金の6年間が幕開ける。
作家・五木寛之が、主人公・梨絵を松坂慶子で当て書きして、小説新潮に『水中花』の連載を始めるのが、このタイミングである。そう、ドラマ『水中花』は原作の段階で、既にヒロインが決まっていたのだ。
1979年7月、単行本の発売からわずか一ヶ月後、TBSの木曜夜10時の枠で、連続ドラマ『水中花』が始まる。ヒロインは五木寛之直々の指名で松坂慶子。しかも、主題歌を彼女に歌わせるよう提案したのも五木だった。そればかりか、彼は自ら作詞まで買って出る。「愛の水中花」である。
だって淋しいものよ 泣けないなんて
そっと涙でほほを 濡らしてみたいわ
ひとりぼっちの部屋のベッドの上で
ちょっとブルーな恋の 夢を見ている
物語は、松坂演じる速記者である美貌の女性・梨絵が、妹が作った多額の弁済金を償うため、銀座の一流クラブでレディー・ドールとして働き始めるも、その “二つの顔” を持つ美しきヒロインを巡り、周囲の男たちの野望と倦怠が渦巻く―― というもの。大人のメロドラマだ。
乾いたこの花に 水をあたえてください
金色のレモンひとつ 胸にしぼってください
わたしは愛の水中花
―― “水中花” とは、昼間は堅実に働くヒロインが、全くの畑違いの夜の銀座の水商売の世界に体を浸した時、鮮やかに変貌するという意味合いの五木流の比喩である。まさに、かつて清純派と謳われた松坂慶子の転身ぶりを思わせた。
ドラマ『水中花』は大当たりした。視聴率は夜10時台にも関わらず、常に15%超え(当時は今と違い、高視聴率の番組は夜7時~9時台が多かった)。中でも評判だったのが、オープニングのタイトルバックを始め、劇中で松坂が魅せるバニーガール姿である。スパンコール地の衣装に、黒の網タイツ。時に松坂慶子27歳。日本中の中年男性が皆、彼女を愛人にしたいと思った。
これも愛 あれも愛
たぶん愛 きっと愛
意外なことに、彼女は歌が上手かった。ドラマと同じ放送局の『ザ・ベストテン』には同じ年の10月25日から6週ランクインするが、生歌でも十分イケた。聞けば、彼女は高校時代、あの古賀政男に師事して、2年間レッスンに通っていたという。既に師匠は1年前に亡くなっていたが、かつての教え子の艶姿を、天国から目を細めて眺めていたに違いない。
思えば、彼女ほど男の影を思わせる女優もいなかった。いや、悪い意味ではない。かつての古賀政男を始め、『事件』の野村芳太郎監督に、『水中花』の五木寛之―― いずれも名だたる名士である。俗に、銀座の女は男を踏み台に出世するというが、まさに女優という階段を上る彼女は、リアル水中花だった。
この2年後、彼女は深作欣二監督と出会い、映画『青春の門』で大胆なヌードを披露して、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝く。更に翌年、再び深作監督と組んで、映画『蒲田行進曲』で大胆な濡れ場を演じ、2年連続で最優秀主演女優賞を受賞する。この時期、既に中学生になっていた思春期の僕が彼女の “女優魂” に歓喜したのは言うまでもない
気が付けば、芸能界という世界で日本一ギャラを稼ぐ女優に上り詰めた松坂慶子。だが――「黄金の6年間」の法則に従えば、時代とリンクできる賞味期限はあと1年と迫っていた。
当時、公然の秘密と噂された深作欣二監督との仲が、わずかにきしみ始めていた。
歌詞引用:
愛の水中花 / 松坂慶子
2018.07.01
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