日本映画の主題歌に抜擢された「レット・イット・ビー」
SONYのステレオカセットプレーヤー、「WALKMAN」を手に入れたのは1981年、中学2年の夏のこと。母が会社の同僚からお古を譲り受けてきてくれた。田舎の青森にお盆帰省する時、旅のお供にと。近所のスーパー「サンコー」で気になっていたビートルズのバラードベスト集のカセットテープも買ってもらった。ちょっと憂鬱な旅の始まり。
なぜ憂鬱かといえば、私は乗り物酔いがひどかったからだ。田舎は本州最北端に近い小さな村で、東京から到着まで列車なら一日がかり。寝台車は好きだけど酔って寝られない。だから、夜中に一人で起きて窓辺でビートルズを聴いていた。北へ向かう夜行列車。真夜中に通過する人っ子ひとりいない駅。目の前の風景と音楽がシンクロしていく。日本語訳を読みながら気分の悪い自分に言い聞かせる。「あるがままに」、それがビートルズとの出会いだった。
秋になってその曲が大々的にテレビCMで流れ始めた時にはびっくりした。耳の中で鳴っていた「レット・イット・ビー」が、日本映画の主題歌に抜擢されたのだ。
キャッチコピーがまたおどろおどろしい。
「鵺の鳴く夜は恐ろしい… 悪霊島」
ぎゃあああああああ。まさかの横溝映画!
もしやナレーターは来宮良子だろうか。恐怖をあおる映像と楽曲のミスマッチが逆に斬新で、CMは一発で刷り込まれた。未だに「レット・イット・ビー」を聴くとまず『悪霊島』を思い浮かべてしまう。
角川映画で公開、横溝正史最後の金田一シリーズ「悪霊島」
『悪霊島』は、1979~80年にかけて連載された横溝正史最後の金田一シリーズとなる長編小説だ。その小説を1981年秋に映画公開するというスピード感は、角川らしいというべきか。
映画冒頭で1980年12月のジョン・レノン暗殺のニュースをぶっ込み(角川春樹氏のカメオあり)、「レット・イット・ビー」のインストをかぶせるという離れ業。そこから古尾谷雅人演じる三津木五郎の青春時代への事件回想録となっていく。古尾谷登場シーンでは「ゲット・バック」も挿入歌として流れた。ちなみに横溝正史は映画公開直後の1981年12月に逝去されており、訃報は宣伝に一役買ったという。『悪霊島』をめぐる時間軸は本当に目まぐるしい。
横溝映画といえば、70年代末に小学生だった私には「たたりじゃー」といったドリフターズのコントのイメージしかなかった。だから鹿賀丈史のアフロ金田一はすごくエポックメイキングだった。制作側に大ヒットした既成作品へのチャレンジといった気概があったのだとしたら、そこは物語ともリンクしているように思う。舞台は広島・刑部島。古い因習(ザ・横溝ワールド)の中に、新事業という破壊者がやってくる。事件そのものはどろどろの血の呪いなのだが、勃発は新旧軋轢による摩擦といえなくもない。時代は安保闘争まみれの1969年。古尾谷雅人もヒッピーの格好だ。Tシャツが「Do!」ブランド(たぶん)なのは80年代制作臭を醸しているけど。
旧因習派が佐分利信や岩下志麻、石橋蓮司だとしたら、改革派は伊丹十三や古尾谷雅人、鹿賀丈史ということになるのだろう。ラストシーンでは、生き残った真帆こと岸本加世子が白い喪服姿で金田一の乗った船を見送る。ここに「レット・イット・ビー」がかかると、旧因習時代終焉へのノスタルジーが胸をかすめ、テレビ『月曜ロードショー』(荻昌弘!)で観た時は胸がいっぱいになって泣いてしまった。
楽曲の使用権問題で差し替え?「悪霊島」で聴けなくなったビートルズ
だが『悪霊島』でビートルズはもう聴くことができない。80年代のテレビ放送とビデオソフトはオリジナル版だったが、楽曲の使用権が切れてしまい、2004年発売のDVDでは、「ゲット・バック」はビリー・プレストン、「レット・イット・ビー」はレオ・セイヤーのカバーバージョンに差し替えられてしまった。近年のCS等でのテレビ放映等はその変更バージョンが使われている。まるで別の曲かと思えるほどの「レット・イット・ビー」。違和感に苛まれながらも、いわゆる権利問題がさらに当時の新たなる時代の波を感じさせ、『悪霊島』の唯一無二感を際立たせるのだ。
ちなみに、私的な見どころは以下5つ。
1. アラレちゃんのようなツインテールの根岸季衣(旅館勤務)
2. 双子の片割れ、片帆(岸本加世子)の死体の腕をくわえて誇らしげに走る犬
3. 巴御寮人(岩下志麻)を逃がすための、吉太郎(石橋蓮司)必死のおてもやん的女装
4. 巴御寮人の本気◯◯シーンと、洞窟での驚愕落下シーンの形相
5. アメリカ帰りの億万長者、越智竜平(伊丹十三)のクルーザー上の短パン姿
以上です、編集長。
※2019年4月19日に掲載された記事をアップデート
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2021.10.03