12月23日
1989年のポール・マッカートニー来日狂想曲、やっとあえるね。
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ポール・マッカートニーの来日公演が発表された日
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photo:宮井 章裕  

ポール・マッカートニーが再び日本にやって来る。

この5年間でなんと4回目の来日だ(そのうち1回はポールの体調不良により公演はキャンセル)。かつてを知る者としては隔世の感がある。1980年代において、ポールの日本公演は不可能と思われていたのだから。 

日本のロックファンにとって、80年代はポールの逮捕劇で幕を開けたと言っても過言ではない。1980年1月16日、大麻不法所持により成田空港で現行犯逮捕。そのまま拘置所に送られ、公演はすべてキャンセル。数日後に国外退去処分となった。

僕は当時10歳で、このときのことは覚えていない。しかし、その年の暮れにジョン・レノンが射殺され、ビートルズを知ることとなった。

ビートルズは僕の心を打ち抜いた。朝から晩までビートルズのことで頭がいっぱいだった。1982年4月、中学に入学したとき、ちょうどポールの最新シングル「エボニー&アイボリー」(スティーヴィー・ワンダーとの共演)がヒットチャートを駆け上がっていた。そして、あっという間に全米ナンバーワンを獲得した。「なんて凄いんだ!」。僕は興奮し、ますますビートルズにのめり込んでいった。

でも、2年前の逮捕を知っていたから、ポールがもう日本に来れないことはわかっていた。それは暗黙の了解みたいなもので、とても来日公演を期待できる状況ではなかった。また、ポール自身も80年代に入ってからライヴ活動をほとんどやらなくなってしまったので、余計にそう感じられた。そして、80年代も半ばを過ぎる頃には、ヒットチャートでもポールの名前を見つけることは極端に減ってしまった。

それでも僕らファンは一縷の望みを捨て切れずにいた。無理だと思えば思うほど、その想いは強くなった。「ポール・マッカートニーのライヴが観たい」。いつしかそれは日本のファンの共通した夢となっていった。ファンクラブの呼びかけで、ポールの入国許可を求める署名を法務省に提出したこともあった。しかし、かんばしい噂が聞こえてくることはなかった。最後にはいつも「現行犯逮捕」という言葉が、僕らの心に重くのしかかってきた。

しかし、1989年になって事態は急転する。6月5日、ポールはニューアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』を発表。エルヴィス・コステロをソングライティング・パートナーに迎えたこのアルバムは、ポップなメロディーが満載の意欲作で、メディアからの評判も上々だった。そして、秋にはこのニューアルバムを引っさげ、10年振りのツアーに乗り出すことが発表されたのだ。それも大規模な世界ツアーである。「もしかすると…」。心にざわざわと波音が立つのが聞こえた。

9月26日、ツアーはノルウェーのオスロからスタートした。音楽雑誌には、5弦ベースを持ってシャウトする長髪のポールの写真が掲載された。海外でのライヴレポートも読んだ。そのたびにポールの勇姿がまぶたに浮かび身悶えした。来日公演の噂が現実味を帯びて耳に入ってくるようになった。浪人生活の2年目、もはや受験どころではなくなっていた。

友人との話題は来たるべき日本公演に絞られた。「どうやってチケットを取ろう?」。僕らは3人でタッグを組み、役割分担を決めた。

当時は新聞発表と同時に整理券が配られるシステムだった。この整理券をなんとしてでも確保しなければならないと思った。家が一番都内に近かった大学生の友人が実動部隊となり、不便な場所で暮らす僕ともうひとりの友人(共に2浪)が新聞発表をチェックすることになった。僕らは受験勉強と称して、交代で新聞配達のバイクが来るまで起きていることにした。季節は冬で、部屋は寒かった。僕は腰まで寝袋に入り、じっとバイクの音に耳をすませていた。

1989年12月23日、その日当番じゃなかった僕はベッドで朝まで寝ていた。すると、1階からお袋の興奮した声が聞こえてきた。

「ポールが来るよ!」

僕は掛け布団を蹴り上げ、転がるようにして1階のリビングに飛び込んだ。親父が新聞を僕に突き出してきた。掴み取って開いた瞬間、絶叫した。新聞を持ってリビング中を駆け回る僕を、両親は笑って見ていた。

すぐに友人に電話をかけると、整理券の番号を告げられた。すべてが夢のようだった。「ポールに会える…」。こんな幸せなことが他にあるだろうか? 80年代が賑やかに幕を閉じようとしていた。90年代がすぐそこまで来ていた。


2017.03.25
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カタリベ
1970年生まれ
宮井章裕
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