驚きに満ちたジョージ・ハリスンのアルバム「クラウド・ナイン」
「ビートルズのメンバーで誰が一番好き?」と訊ねられて、「ジョージ・ハリスン」と答えるすべてのファンにとって、『クラウド・ナイン』は驚きに満ちたアルバムだった。
まず、ジョージがニューアルバムをレコーディングしているというニュースに驚いた。というのも、80年代のジョージはすっかり音楽業界に嫌気がさしており、趣味の庭いじりをしているか、オーストラリアの別荘にいるかという生活をしていた。久しぶりに雑誌で顔を見たかと思えば、映画プロデューサーの仕事で、その手にギターはなかった。
ELOのジェフ・リンがアルバムを共同プロデュース
アルバムの共同プロデューサーが、ELOのジェフ・リンだと聞いたときも驚いた。ヒットを意識しての起用と感じたからだ。前作『ゴーン・トロッポ』は、ジョージらしいメロディーが詰まった佳作だったが、聴き手のことよりも自分の楽しみを優先させた趣味的なレコードとも言えた。
実際、ジョージはプロモーションを一切行わなかったため、『ゴーン・トロッポ』は熱心なファンが手にするにとどまった。全米チャートでの最高位は108位。「それにしても…」という結果である。そんなジョージが、再びヒットを飛ばそうとしているのかもしれない。そう思うとドキドキした。
すぐに地元のレコード屋へ予約をしに行った。仲良くしていた店員さんに「ジョージの新譜が出ますね」と言うと、「買うの? それじゃ1枚仕入れとくか」とおっしゃる。僕が驚いた顔をしていると、「だって、前のアルバムは1枚も売れなかったよ。ずっと目立つところに飾ってたのにさ」とのこと。厳しい現実を知った僕は、期待と不安を胸に発売日を待った。
全米8位を記録し、上々の評判
発売当日、レコード屋に行くと店員さんが「すみませんでした」と頭を下げてきた。なんでも、僕以外にも何人ものお客さんがジョージの新譜を買いに来たというのだ。「宮井くんが予約してくれたときに、何枚か仕入れておけばよかったよ」とのこと。僕は鼻高々だった。
もっと嬉しかったのは、実際にレコードに針をおろしたときだ。聴きすすむにつれ、胸をかすかに覆っていた雲がきれいに吹き飛んで、青空がどこまでも広がるようだった。メロディーはいつも以上にポップだったし、サウンドは明快で、アルバム全体が溌剌としていた。これは趣味のレコードではない。スーパースター、ジョージ・ハリスンのニューアルバムなのだ。「売れるかもしれない」。そんな予感が胸をよぎった。
すると、これが本当に売れたからびっくり仰天である。先行シングルの「セット・オン・ユー(Got My Mind Set on You)」は、まさかの全米ナンバーワンを獲得。ジョージが突然バック宙をして踊り出すプロモーションビデオも衝撃的だった(もちろん影武者によるもの)。
アルバムの評判も上々で、全米第8位を記録した。前作の108位から100ランクアップである。「ほらね、ジョージがその気になれば、これくらい簡単なんだよ」と友達に自慢する日が来ようとは、夢にも思わなかった。
メディア嫌いのジョージ・ハリスン、積極的にプロモーション活動
さらに驚いたのは、メディア嫌いのジョージが積極的にプロモーション活動をしたことだった。いくつもの雑誌に、ジョージの写真とインタビューが掲載された。このときのジョージのかっこよさは神がかっていたので、僕は写真を眺めているだけで満足だった。
その後、数年間に渡りジョージ・ハリスンの快進撃はつづいた。80年代後半にもっとも多くのレコードを売ったビートルはジョージだった。その事実が今も僕の心に暖かな灯をともすのだ。
そして時は流れ、2001年11月29日、ジョージ・ハリスン死去。僕は悲しみに暮れ、仕事を5日間休んだ。ひとり家でジョージを偲ぶ中で一番よく聴いたのが、このアルバムに収録されている「サムプレイス・エルス」だった。
再発のジャケットに写ったジョージ・ハリスンの姿
さらに時は流れ、2004年。契約の関係で長らく廃盤になっていた『クラウド・ナイン』が再発された。購入して僕は驚いた。いや、世界中のジョージファンが驚いたのではないだろうか。
1987年のオリジナル盤だと、裏ジャケにジョージ本人は写っておらず、愛用のギターがジャケットを着て椅子の上に置かれていた。それは見ようによっては、亡くなったギタリストを偲んでいるようなデザインだった。でも、再発されたCDの裏ジャケにはジョージが写っていたのだ。それもギターを抱え、こちらを向いてにっこりと微笑んでいるのだ。
僕は泣けた。最高のサプライズだった。ジョージ・ハリスンは健在だ。ミュージシャンに死はないのだ。
※2018年11月4日に掲載された記事のタイトルと見出しを変更
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2021.11.29