「時として、言葉でものを伝達するには、現実があまりにも複雑になってしまう事がある。伝説が、それを新しい形に作り直し、世界に、送り届ける」
このようなセリフで始まる映画『A Y.M.O. FILM PROPAGANDA』は、JR鶴見線「昭和駅」周辺のあちらこちらに YMO のポスターを少年が貼るというシーンから始まります。
おそらく彼は当時の僕のような YMO の大ファンの代表として描かれており、彼の行動は YMO の魅力を知らしめたいという欲望を示しているであろうことは深く理解することができました。
そして、彼は昭和の街の片隅にパラレルワールドへの入り口を発見するのです。そこには砂浜が広がっていて、YMO が最後を飾るためのステージを大きな波が取り巻いています。周囲が暗くなるとメンバーが登場し、少年が憧れていたライブが彼の眼前で繰り広げられます。謎の女が現れ、少年を幻惑するのです。
このような感じで始まるこの映画、1983年に執り行われた YMO散開ライブの映像、音楽を中心に構成されてはいるのですが、前衛的な描写で著名である佐藤信氏を監督に据え、数々のニューミュージックアーティストの作品で知られるカメラマン、井出情児氏によって、幻想的、象徴的な描写が付加されている「作品」なのです。
YMO は 1983年のライブをもって「散開」し、活動を停止するのですが、その後に公開されたこの映画こそ、実は第一期 YMO の最後を飾っているのです。
登場人物は、少年と女、そして若干のダンサーとメンバー、ライブの観客が「虚構と現実」の間を行き来するような構成になっています。
そして我々ファンは「少年」という現実側と、「ライブのオーディエンス」という虚構側の二役を担い、終わりゆく YMO の最後の姿を見送るという立場だったように思います。
ライブもただ音楽だけが奏でられるわけではなく、足音や機械の動作音等を取り入れる事によって、また違った角度のライブ感を醸し出していますが、それを見ている私はそれらがすべて「終末への足音」に聞こえて切ない想いが募ったことを覚えています。
詳細は機会がございましたら本編をご覧になっていただくとして、最後のライブステージは武道館から初頭にお話しした海岸沿いのステージへと移ります。
演奏は佳境を迎え、テクノポリス、ライディーンと続くその時、ステージが火災に見舞われます。それでも去らないメンバー、崩れ落ちる楽器たち、壮大なセットも徐々に崩壊し、海の藻屑と化して行ってしまいます。
YMO のメンバーは、最後のシーンの演出を行うことによって、「君たちの大好きだった虚構、Yellow Magic Orchestra はもういないんだよ」という事をこれでもかという程までに我々ファンの脳裏に焼き付けるのです。こんな悲しい終末を僕は未だに知りません。
そして、焼け跡の少年は、最後にこのような言葉を吐くのです。
「僕はこの話を誰にもしてやらないことに決めた。来年の、次の年の、また次の年になったら、僕だってもうすっかり忘れているんだ」
昭和駅で始まったこの映画の話を、令和の今にお伝えするほどに私も歳をとってしまいました。つまりは彼らの思惑と異なり40周年を祝えるほど YMOファンは根強かったといえると思います。
ちなみに、YMO の最後の作品として語られているのはアルバム『サーヴィス』の最後の曲「PERSPECTIVE」と思われがちですが、実はこの映画のエンドロールに流れる曲「M16」が最後の曲となります。しかしながらこの曲、メンバー3人の手になるのですが、それまでのクレジット、「YMO」では無くメンバー3人の連名に替わっているなど、どこまでも終末を演出しておりました。
果たしてこの映画から、彼らの姿を再度見ることになるまで10年の月日を過ごさなければならなくなるわけです。
その後 YMO として、各メンバーとして、未だに新しいチャレンジをしている彼らを、未だに応援している私がいます。これからも頑張ってください。YMO の皆様。
2019.05.12
Apple Music
Information