1979年から1980年のイエロー・マジック・オーケストラ(以下 YMO)は『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』、『増殖』のスマッシュヒット。2度のワールドツアーの成功など、社会現象化し、大きな盛り上がりを見せていました。
その一方で、自らの音楽を「実験」と位置付けて迎えた1981年の彼らについてお話ししようと思います。
当時、世間的には YMO に対して、シングルヒットにもなった「ライディーン」「テクノポリス」といったテクノポップがまた作られるのではないか、という期待があったように思いますが、それはものの見事に裏切られます。
1981年に発売された YMO のアルバムは『BGM』と『テクノデリック』の2枚。いずれもシンセサイザーを軸としたサウンドは踏襲されていますが、『BGM』ではデジタルで録音したマルチトラックをわざわざ一旦アナログでミックスダウンするなど、ヨーロッパの耽美主義的な要素が取り入れられています。片や『テクノデリック』はデジタルループを多用するなど、実験的な色合いの濃いアルバムでした。
この2枚、聴いた感想が「最高」か「最低」かどちらかに割れるという、見事にふるいとしての効果を発揮してフォロワーの選別に成功するのです。
そして、その年もライヴを実施するのですが、前年までのロック感は鳴りを潜め、寒色系を中心とした照明、漆黒の衣装、そしてなによりも機械音を中心としたインダストリアルなデジタルループで幕を開けるという、当時としては一種異様な光景が展開されました。
メンバーの中心に位置する高橋幸宏氏はドラムを叩いていません… 何やら四角い箱のようなものを叩いているように見えます。シンセドラムでもなく、工場の機械音、一斗缶を叩いた音、加工された重いスネアドラムの音など、多彩な音色を奏でるこの謎めいた不思議なマシンに注目が集まりました。
これが「LMD - 649」と言われる “手作りの” サンプリングマシンです。
松武秀樹氏のブランドである Logic の「L」、設計・製作を行った東芝 EMI(当時)の村田研二さんの「M」、ドラムの「D」、そして「ロジック」の語呂合わせで「649」というのが命名の由来。
1980年まではライヴ会場において、いわゆるタンス(Moog-Ⅲc)や Emu モジュラーシステムを MC-8で華麗にコントロールしていた松武氏ですが、「LMD - 649」の登場でその役割は大きく変わり、さらに YMO サウンドの根幹を支える存在となっていきます。
キーボードも従来のプロフェット5に加え、イミュレーターといったサンプリングキーボードを導入。ピアノの音を再現するなどのアプローチを取り始めます。プログラマーである松武氏をライヴで起用した時のような大胆さは、ここでもベクトルを変え姿を現しました。
こうして、YMO は「シンセサイザー・サウンド」から「サンプリング」を代表するデジタル的な手法に舵を切り、それをライヴパフォーマンスにまで広げていきます。あくまでもマニュアルで操作できる余地を残しているところは、彼ららしいところだと思います。こうした流れの中で、むしろ音作りが先鋭化していったと言っても良いでしょう。
その後、サンプリングという手法は一般化し多用されるようになりますが、ポップシーンの中で、このような実験が行われてきたことが後に電子楽器・電子音楽の普及に貢献したように思えるのですが、いかがでしょうか。
YMO は『ウィンター・ライヴ 1981ツアー』を終えると翌82年、新たな実験を始めるための準備期間だったのでしょうか。一年間の休息を迎えることになります。
2018.12.03
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