酒の席で、ニッポンのロックの転換期をひとつ挙げるとしたらどこか? という話題。そして、それは BOØWY 以前と以後になるのではないか。という答えで満場一致、納得した。
それまでニッポンのロックというのは、必ず背景に海外のバンドからの影響があり、ルーツをたどり、それを知ることが美徳とされていた。しかし、BOØWY の登場により、そんな方法論で音楽を遡る必要がなくなったのではないだろうか? なぜなら、今そこに立っている四人のカッコよさに心酔するだけで、十代の若者が楽器を手にしたいという衝動に駆られるのに十分なインパクトがあったからだ。
そして、BOØWY と同じくらい大きな衝撃を与え、忘れてはならないのが ZIGGY の存在だ。1988年5月25日、彼らの代表曲となる「GLORIA」をリリース。BOØWY が東京ドームで “LAST GIGS” を行った少し後の出来事である。
ZIGGY と BOØWY は方向性や趣向が全く違うバンドである。しかし、そのポップで疾走感あるメロディは、ロック然とした地下のライブハウスだけでなく、例えば、それが海沿いの国道で車高の低い族車から流れてきても、そこに唯一無二の「忘れられない青春の1ページ」という光景を描くことができた。彼らが奏でる音楽はそんな美しさを兼ね備えていた―― つまり、族車のハンドルをギターに持ち替えて、人生そのものを塗り替えてしまうぐらいの影響力があるということだ。
GLORIA, I need to your love
お前の熱いHeartで
Hold me tight Lonely night
もう二度と見せないで
確かに ZIGGY の背景には、エアロスミスはもとより、ニューヨーク・ドールズ、ハノイ・ロックスというグラマラスなロックンロールバンドが基盤としてある。しかし、そんな背景を凌駕する普遍的な歌詞とポップなメロディ。それは口ずさむだけで、冴えない日常のドアを蹴飛ばし、どこか違う場所に連れていってくれるような幻想に満ち溢れていた。ロックンロールが現実から理想郷へ超特急で運んでくれる夢の乗り物だということを ZIGGY で知った人も少なくないだろう。
そして、「GLORIA」リリースから一週間後の88年6月1日。当時、バンドブームの一翼を担った雑誌『バンドやろうぜ』が宝島社から創刊される。
BOØWY の解散、ZIGGY の登場、『バンドやろうぜ』の創刊…。何かが大きく動くときは、ひとつひとつの歯車が静かに重なり合っていく―― ZIGGY のメジャーデビューと同時期に創刊された『バンドやろうぜ』はブームに拍車をかける。CD の売り上げが爆発的に増え、ミリオンセラーが続出する90年代に突入だ。
そのころ僕は、いくつかのヴィジュアル系のバンドをインタビューさせてもらったことがあるのだが、そこで共通していたことは、どんなバンドに影響を受けたかという質問に対する「歌謡曲も好きだし、なんでも聴きますよ」という答えだ。それはやはり ZIGGY の影響だなと思わずにいられない。
フロントマンであり、ソングライターの森重樹一氏が公言しているとおり、ヴォーカルパートのメロディアスな部分には、彼が幼少の頃好んで聴いていた沢田研二、西城秀樹といった “70年代黄金期の歌謡曲” の影響が色濃く見て取れる。そしてそのメロディこそが、派手なメイクや衣装、ステージアクションと相まって大きなインパクトを残しているのだ。
つまり、歌謡曲というカテゴリーの中で、お茶の間にロックを持ち込んだのが沢田研二や西城秀樹だとすれば、ロックに歌謡曲を持ち込み、それをスタンダードにしたのが ZIGGY の大きな功績ではないだろうか。
“ロックバンドはこうでなきゃならない。これを知っとかなきゃいけない”
ヴィジュアル系バンドの爆発的なブームの背景には、それまでのこうした既成概念を大きく取り払った彼らの功績がある。これもニッポンのロックバンドのひとつの在り方だ。
十代の少年が楽器を手にとるのに細かい取り決めや、理屈はいらないのだ。そして、その源流に BOØWY からバトンを受け継いだ ZIGGY の存在があるとういことを忘れてはならない。
歌詞引用:
GLORIA / ZIGGY
※2018年5月25日に掲載された記事をアップデート
2019.05.25
YouTube / retro39jp
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