だけど、彼らは代わりの人材を引き入れるでもなく、何事もなかったかのように淡々と、1年2ヶ月後には次のアルバムをリリースします。7枚目のアルバム『トリック・オブ・ザ・テイル』(A Trick of the Tail)ですが、それまでの作品より劣るどころか、過去一の売上となりました。これはひとえにコリンズのおかげでしょう。
そして、ウィキでは1979年から95年までを ”スタジアムロック期” としています。さらにギタリストのスティーヴ・ハケットもバンドを離れて、コリンズと、マイク・ラザフォード(ベース / ギター)、トニー・バンクス(キーボード)の3人体制になり、その名も『そして3人が残った』(..And Then There Were Three...)というアルバムが1978年、その次のアルバム『デューク』が1980年ですから、ウィキに従えば、その間にスタジアムロックに変わったことになりますが、そんなことはありません。音楽性でいえば、1981年のアルバム『アバカブ』(Abacab)からが、堂々たるポップロックとなり、メジャー感が倍増しているので、ここからスタジアムロックとしたほうがいいでしょう。
コリンズは残念ながら関係修復に失敗、つまり離婚となって、失意のうちにロンドンに戻りました。曲はいろいろつくっていて、「夜の囁き」(In the Air Tonight)も既にできていたのですが、ソロアルバムの計画もあって、「夜の囁き」含め、目ぼしい曲は初のソロアルバム『夜の囁き』(Face Value)に収録されることになります。
シングルカットされた「君のTVショウ」(Turn It on Again)は、ポップ路線を意識したのか、彼らとしてはおそらく初めての、8分刻みのギターコード・カッティングにトライ。でも4拍子を基調にしながら2拍子や3拍子も入ってくるという、プログレ野郎の悪いクセが出てしまって、ポップになりきれてないという残念曲。「誤解」(Misunderstanding)もシングルですが、もう少しアレンジが思い切りよければ、ジェリー・フィッシュの「ニュー・ミステイク」(New Mistake)やTOTOの「ホールド・ザ・ライン」(Hold the Line)のようにカッコよくなったのに、とこれも残念。