6月21日

西城秀樹の新境地「セクシー・ガール」ソングライティングは横浜銀蝿

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西城秀樹が日本のロックシーンに与えた影響


西城秀樹が日本のロックシーンに与えた影響は絶大だ。それは、BOØWYやZIGGYのボーカルスタイルを見ても顕著だろう。西城秀樹が70年代に確立した “絶叫型” をモチーフにした極めてドメスティックなスタイルが、洋楽志向のサウンドと融合したからこそ、多くの若者たちを熱狂させた。それは、洋楽の知識が必要なくともロックできるぜ! という衝動の表れでもあった。この衝動に動かされるままに楽器を手にした若者たちが、ムーブメントを作っていった。

そしてこの系譜は90年代にビジュアル系という新たな趣向を生み出した。その瞬間のインパクト、熱量に勝る理屈はなかった。アイドルという立ち位置でありながら、ロック本来の衝動を70年代に誰よりも早くお茶の間に持ち込んだのが西城秀樹だった。

J-POPという言葉が生まれるずっと前、歌謡曲という大きな括りの中で唯一無二の存在感を醸し出していた西城秀樹だが、彼のルーツが極めて洋楽志向だったことも興味深い。小学3年生でジェフ・ベックに夢中になり、4年生でバンドを結成というからおそろしいぐらいに早熟だ。

ドラマーとしての腕前は周知の通りだが、ドラム以外の楽器もこなすマルチプレーヤー。1969年には『ウッドストック・フェスティバル』のステージに感銘を受け、1974年から83年まで十年連続で開催されたスタジアムコンサートを実現させる。

「セクシー・ガール」から始まる、西城秀樹80年代の新境地


そんな洋楽的基盤を持ちながらも、詫び、寂び、愁いを感じる純国産の楽曲の中で絶叫する70年代の西城秀樹は、それでも極めて純度の高いロックスターであった。

70年代に子ども時代を過ごした人なら分かると思う。グラマラスな衣装で髪を振り乱して歌う彼や、ジーンズのセットアップで疾走するジーパン刑事こと松田優作が、特撮ヒーローではない、初めてカッコいいと心底思える “生身の人間” だったってことを。それは、西城秀樹の中に潜む情熱こそがロックスピリットであり、そこには理屈を挟む隙のないほど完成されていたからだ。だからこそ、子どものハートにも響くインパクトを持っていたのだ。

絶叫型のアイドルとして確固たる位置を築き、1979年にはヴィレッジ・ピープルのカバー「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」のビッグヒットで揺るぎないトップスターとなった西城秀樹は、自らのキャリアを深化させた80年代を迎える。

1983年にヒットした、もんたよしのりがソングライティングを手掛けた「ギャランドゥ」や、通算45枚目のシングルにして、グラハム・ボネットが81年にUKヒットさせた「孤独のナイトゲームス(Night Games)のカバー「ナイトゲーム」などのハードロックテイストが真骨頂であったが、これより遡ること2年、1981年にオリコン10位のスマッシュヒットを記録した「セクシー・ガール」こそが、80年代の西城秀樹の新境地だと思う。

ソングライティングは横浜銀蝿、時流に乗ったサウンドとヴォーカル


当時隆盛を極めていた横浜銀蝿がソングライティングを手掛けたこの楽曲は、1981年というフィフティーズ、オールディーズブームの渦中に相応しい時流に乗せたテイストだった。

ポール・アンカやニール・セダカなどのロッカバラードを思わせるシンプルかつ軽妙なメロディとリズム。それは、西城秀樹の真骨頂である70年代のハードロックを思わせる熱狂とは別の位置にあった楽曲だった。サラリとしていながらも、そこにキャリアを重ねたヴォーカルが乗っかることにより、絶妙なグルーヴを生み出す。それは、シンガーとしての新たな顔であり、どのような楽曲でも自らのものとしてしまうエンターテイナーの極みでもあった。

この「セクシー・ガール」を経ての「ギャランドゥ」「ナイト・ゲーム」だったからこそ、絶叫型の70年代の持ち味とは違うアダルトな雰囲気を内包した世界観を醸し出し、以降、ワム!「ケアレス・ウィスパー」のカバーでも知られる「抱きしめてジルバ」などのヒットにも繋がっていった。

それだけに、2018年、突然の訃報は本当に堪えた。二度の病魔との戦いを乗り越えた西城秀樹は、不死身だと思っていたし、グラマラスな衣装で髪を振り乱し絶叫するその姿こそが、若さの象徴であったことは、70年代を知る誰もが思っていたことである。

そして、80年代以降の深化、成長を同じく多くの国民が目にしてきた。ロックをルーツに持ちながらも、そこに留まることなく、シンガー、パフォーマーとして、時には大衆と寄り添いながら可能性を極限まで広めてきた西城秀樹のようなスターは二度と現れないだろう。



2021.04.13
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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