リマインダー主催で行われた「博多ビートパレード」@スポットライト新宿は大盛況。私も年甲斐も無く楽しませてもらったが、やはり「博多縛り」故に重複して何度も同じ曲がかかる場面があった。その中で一番多くかかったのが「セル・ナンバー8」。映画『爆裂都市 BURST CITY』の中のバンド、バトル・ロッカーズの曲だ。
大音量でイントロがかかったら身体は脊髄反射。10代の時から一番カッコよくて大好きなバンドが30年以上経っても全く色褪せたりせず、むしろ今でも新宿に劇中のライブハウス20000Vが在る錯覚さえ引き起こした位の臨場感だった。
ーー 81年夏の終わりだったと思う。私は表参道で怒っていた。
実は私、『爆裂都市』のエキストラのオーデションを、今は無きダイナマイト・プロダクションで受け、年齢をサバよんで18歳設定にした書類で一次審査を通過した。大好きな石井監督の作品、ロッカーズとルースターズ、それにスターリン迄出演するなら何としても受かりたい一心で「18歳以上の健康な男女」の応募要項に対し年齢を偽ったのだ。
集団面接かと思えば私一人に対し監督含む5~6人の男性がいて、立ったり動いたり座ったり幾つか質問された中に当時10代の私に凄く悪意のある質問をした男性がいた。
私は激怒して言い返しオーデションは強制終了。絶対落ちたと思った悔しさと怒りでその日は眠れなかった。すると次の日合格の電話があり、後日助監督に言われたのは「本気で怒った顔が良かった」だったのだ。人生何が幸いするか分からないとこの時知った。
撮影は夜から朝迄で極寒。エキストラが体調不良でどんどん減って行く中、皆勤賞だったのは毎日バトル・ロッカーズの生演奏が観られるからだった。
撮影秘話はさておき、当時私は学生だったが彼らはそれぞれのバンドでライブを演って、夜来て、朝迄更にバトル・ロッカーズになる訳だ。疲労と寒さの中であの名曲の数々は信じられない短時間で生まれた。歌詞が無かったり、その場でアドリブ入れたりしながらバトル・ロッカーズが凄いエネルギーを放つ様を観ながら兎に角寒いから踊る。踊ったり跳ねたり叫んだりしなかったら本当に倒れてしまうんでは…、と言う位寒かった。
撮影中にリハから本番迄幾度となく聴いた「セル・ナンバー8」を始めとする日本一カッコいいバトル・ロッカーズは撮影以外に3回ライブを演っている。
■ 撮影中の81年に HELLO HOLIDAY という新宿のディスコ。
■ クランクアップした82年2月に旧新宿ロフト。
■ そして同年3月に新宿東映で映画の上映とライブ。
私は全部行って観たが、新宿ロフトで号泣。更に新宿東映でパンク死土役の伊勢田勇人氏がベースを叩き壊したのを観て、本当にバトル・ロッカーズが解散したのが悲しくて切なくてずっと泣いていた。
続いて始まった『爆裂都市』をずっと潤んだ目で観ながら最後のエンドロールに自分の名前を発見。隣に座っていた当時の彼氏と綺麗に2列の左右にわざわざ並べてくれたのはエキストラ皆勤賞だからと助監督の粋なはからいだった。
「俺らの名前ここに永遠に刻まれて嬉しかね!」と隣の彼氏は凄いはしゃぎようだった。私は何となく彼氏とはそう長くない予感があったので「バトル・ロッカーズは永遠だね」と涙まじりに答え、程なくして私達は別れた。
ロッカーズが解散し、ルースターズは大江さんが体調不良になり喪失感が増す中でバトル・ロッカーズの荒削りで暴発的なエネルギーは何を演ってもカッコ良いバンド永久欠番のままだ。
バトル・ロッカーズは公式ライブ3回の他に、実は映画の制作発表記者会見をした原宿クロコダイルで演奏している。この時はオリジナル曲が無い為に各バンドからの3曲だったらしい。
「非常線をぶち破れ」
「Dissatisfaction」
「ショックゲーム」
残念ながら私は未見で、バトル・ロッカーズのライブの皆勤賞は永遠に手に入らないままだ。
2019.05.08
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