2017年 3月24日
阿佐ヶ谷のリッキー「トゥ・マッチ・トゥ・ヤング」が僕をオトナにした
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新木場スタジオコーストでザ・スペシャルズの来日公演が開催された日
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日本におけるクラブカルチャーの始まりと言われているのが、原宿にあった『ピテカントロプス・エレクトス』。音楽プロデューサーであり、スネークマンショーでも知られる桑原茂一氏が82年にオープンした店だ。

ここから約5年後、フリーフード、フリードリンクのディスコが衰退。音楽が細分化され、クラブカルチャーが隆盛を極めていく。

当時、ロック系のイベントをウリにしているクラブはいくつかあった。ピテカン無きあとにできた『クラブD』、下北沢にあった『下北ナイトクラブ』(後のZOO)や西麻布の『328』がその代表格だ。

中央線の阿佐ヶ谷駅からほど近い場所にも一軒のクラブがあった。店の名前は『リッキー』。しかし、クラブと呼ぶには少し寂れた佇まいだった。建付けの悪い木製のドアを開けると、爆音のロックンロールが炸裂する。軋むような階段を下ると、薄暗い店内、椅子とテーブルに囲まれた小さなフロアがあった。

オーナーの名前はリッキーさん。スキンヘッドのハーレー乗りでイカツイ風体。ラックの上下に設置されたターンテーブルから、ひっきりなしにスペシャルズ、クラッシュ、ストレイ・キャッツ。スカ、パンク、ロカビリーといった純度の高いレベルミュージックを朝までかけまくっていた。

80年代の終わり、土曜日ともなれば、噂を聞きつけた中央線沿線のすべての不良少年、不良少女が集まっていた。それは大変な賑わいだった。パンクス、スキンズ、ロッカーズ… みんな大英帝国のユースカルチャーにかぶれていた。

携帯も普及しておらず、インターネットもない時代。感度の良い不良だけに届く街のうわさというのが、あの頃いくつもあった。

リッキーは、入店するときに確か、500円でビールの小瓶を買えば朝までいられた。出入り自由、20人も入ればフロアは満員になるので階段に腰掛け朝まで話したり、金がないときは一度入店してから目の前の駐車場で酒屋で買ってきたビールを飲んだりしていた。そんな時見上げる東京の空にも、いくつかの星が煌いていた。

僕らは決して上客ではなかった。

でも、リッキーさんは嫌な顔ひとつしなかった。僕らはそんなリッキーさんにいつも甘えていた。

もちろん、ケンカも多かった。友達がビール瓶で頭を殴られ、真夜中の救急病院に付き添ったこともあった。大勢に絡まれ、阿佐ヶ谷の街を走り、朝まで逃げまくっていたこともあった。それでも、次の週は何事もなかったように顔を出していた。

20代のはじまりを過ごしたそんな阿佐ヶ谷の夜が僕をオトナにした。ケンカに友情に恋もして、僕は人生で大切なもののすべてを、この『リッキー』で学んだような気がする。

店内では特にスカ系の音楽がよくかかっていた。客としてよく顔を出していたMAGUMIさん率いるレピッシュの「パヤパヤ」や、ザ・スペシャルズの「ギャング・スター」、「トゥ・マッチ・トゥ・ヤング」だ。

ザ・スペシャルズがかかると、店全体がモッシュピットになるような盛り上がりを見せる。ザ・スペシャルズは80年に初来日を果たしている。そこがピークだと考えると、そこから、およそ7~8年たった時期。それでも僕らにとっては、ピカピカの最新型の音楽だった。そこには、過去も、未来もなく、あるのはこの一瞬だけ。この時の熱気は今でも僕の心の中に生き続けている。

時は流れ、2017年3月24日。僕はスペシャルズの来日公演を観るために、新木場のスタジオコーストにいた。集まった客層は、あの時リッキーにいたような、おしゃれで不良で、ロックンロールという魔法から覚めずに、若い時の面影そのままで生きているようなひとたち。

ライブは、ファーストアルバムに収録されているクラブヒット中心でフロアはモッシュの嵐だった。そのど真ん中は、おそらく僕と同じ世代のひとたちで溢れていた。

そして、ラスト近くで、「トゥ・マッチ・トゥ・ヤング」。その瞬間、時が逆行して、約30年前のリッキーに辿り着く。この長い年月が一瞬で繋がった。

あの頃、リッキーに集まっていた不良少年、不良少女はみんな僕と同じ世代。人生の終盤に差し掛かり、ふと、狂おしくも愛おしい阿佐ヶ谷の夜を思い出すことがあるのだろうか。そして相変わらず音楽に夢中になっているのだろうか。

僕はといえば、相変わらずだ。そう考えると人生も捨てたもんじゃないと思ったりもする。

2017.11.24
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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