ジョン・レノンは主に “私(わたくし)” を歌った。これに対しポール・マッカートニーは主に “公(おおやけ)” = 普遍を、言い換えれば物語を歌った。 前者は具象、後者は抽象と置き換えられるかもしれない。そして一般的に歌詞は主にこの二種に分けられると言っても過言ではないだろう。 僕の独断でのジョン・レノンへの二大追悼曲は、奇しくも今から35年前の1982年の春に相次いで世に出た。いずれも今日 “サー” の称号の付くミュージシャンによるもの。しかしその歌詞は一方が “公” でもう片方が “私” と対照的であった。 今回まず取り上げるのはサー・エルトン・ジョンの「エンプティ・ガーデン」である。 前年1981年に、1974年のニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデンでのジョン・レノンとの共演3曲を追悼盤としてリリースしたエルトンが次にリリースしたのが、アルバム『ジャンプ・アップ』からのファーストシングルであるこの曲。 原題は「Empty Garden (Hey Hey Johnny)」とジョン(・レノン)の愛称も出てくる。しかしエルトンの長年の盟友バーニー・トーピンによる詩では、この “Johnny” とは腕の良い庭師のこと。ジョン・レノンは全く登場しないのだ。 “ 庭師がいなくなってしまい、庭が荒れている。雑草も涙も引き抜き、立派な収穫も挙げていたのに、たった一匹の虫けらがダメにしてしまった。誰もあの庭師の代わりなんか務まらない。 扉を叩いても誰も答えてくれない。ほぼ一日中叩いているのに。僕は呼び続ける 「ヘイ、ジョニー、外に出て来てplayしないかい」” タイトルにもある “Garden” はジョン・レノンとエルトン・ジョンの共演したマジソン・スクエア・ガーデンから取られているとも言われている。そしてサビの “Can’t you come out to play”(外に出て来てplayしないかい)という歌詞は、ビートルズの1968年のホワイトアルバムに収められているレノン作の「ディア・プルーデンス」の一節 “Won’t you come out to play” が明らかに意識されている。 この様にレノンと関係のある言葉は交えつつ、鮮やかなまでに直接には触れない抽象的かつ普遍性も有する歌詞でレノンを追悼したのである。“虫けら” という言葉に暗殺犯への怒りが込められているのも見事ではないか。 レノンの子ショーンの名付け親であるほど親交の深かったエルトンは、レノン逝去後「ザ・マン・フー・ネヴァー・ダイド」というインストルメンタルの追悼曲を録音している。最後にタイトルだけが歌われた(1985年発表)。 そこにバーニー・トーピンがレノンへの哀悼の意を巧みに抽象化、普遍化した「エンプティ・ガーデン」の歌詞を持って来る。 エルトンはこの詩に動かされ、劇的なメロディーを書きそして絶唱した。その圧倒的な迫り来る力に高2の僕も心動かされ涙したのである。ジョン・レノン逝去後1年半を経て漸くその喪失を痛感しての涙であった。 この曲は全米13位と、’70年代後半から長いスランプが続いていたエルトンにしてはまずまずの成績を残した。 しかし世間的にはアメリカで次にカットされたシングル「ブルー・アイズ」(全米12位)の方が知られていて、ベスト盤にもこちらの方が収められている。 エルトンの本格的復活は翌’83年のアルバム『トゥー・ロウ・フォー・ゼロ』からのシングル「ブルースはお好き?」(全米4位)を待たなくてはならないのだが、僕は「エンプティ・ガーデン」こそがその嚆矢だと思っている。エルトンの日本公演で一度も歌われていないのが実に残念だ。 サー・エルトンは彼らしい普遍的な、“公” 的な歌詞でジョン・レノンを追悼した。しかしもう一人のサーは、彼らしくない “私” 的な歌詞でジョンを追悼するのである。 もう一人のサーの追悼曲については、明々後日の彼の誕生日に書かせて頂くことにしよう。
2017.06.15
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