9月24日
ちょっと皮肉な出世作、ジョン・サイクスの「どうか私を置いていかないで」
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ジョン・サイクスのシングル「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」が英国でリリースされた日
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photo:UNIVERSAL MUSIC JAPAN  

先日、とある記事を見かけた。

2018年10月26日、『ムーア・ブルース・フォー・ゲイリー』世界同時発売。

それは、伊藤政則氏に人間国宝と称された故ゲイリー・ムーア(1952年4月4日生 - 2011年2月6日没)のトリビュートアルバム発売決定という知らせだった。その参加アーティストの中には黒のギブソン・レスポール カスタムがトレードマークのジョン・サイクスの名があった。

ジョン・サイクスは、ゲイリー・ムーアのギター演奏に大きな影響を受けたらしく、そのアルバムでは「スティル・ゴット・ザ・ブルース」を弾いているらしい。ただ、同じゲイリー・ムーアの名曲ならば、個人的には「パリの散歩道(Parisienne Walkways)」のほうがジョン・サイクスには合ってるのではないかと、そんなことを思った。

なぜなら、ジョン自身が「パリの散歩道」に劣らない名曲「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」を持っているだけに聴いてみたかったからである。この2つの曲にはシン・リジィのフィル・ライノットが参加していた。このことが、さらに私の興味を引いたのだ。ゲイリー・ムーア、ジョン・サイクス、それぞれ時期は違うが、かつてこの二人はシン・リジィのメンバーであった。

ジョン・サイクスがフィル・ライノットに出会うのはシン・リジィ加入前の82年である。当時、タイガース・オブ・パンタンのギタリストとして活躍していたジョンだが、メンバーとの人間関係が悪化… そこへオジー・オズボーンのマネージャーであるシャロン・アーデン(現シャロン・オズボーン)から「アメリカンツアーでプレイしないか」とのオファーがあり、突然の脱退となった。しかしその後、連絡はなくオジーのツアーでギターを弾いたのは、ナイト・レンジャーのブラッド・ギルスだった。

それから、ソロの話が持ち上がったジョンはフィル・ライノットを紹介されアイルランドでシングルの制作に取りかかる。

面白いことにそこへまたオジーからオーディションの電話が入る―― 結局、ジョンはロンドンでオジーと会うのだが、またまた結果を知らされないままアイルランドへ戻る。すると今度はフィル・ライノットがジョンをシン・リジィに誘った。こうしてジョンはシン・リジィのギタリストになることを決めた。

当時のオジー・オズボーンと言えば、ランディ・ローズの事故死によりギタリストを探していた時期であり、結局はオジーのそうした内部事情にジョンは振り回されたのだろう。

だが、もしかすると、こうした一連の流れがフィル・ライノットにジョン・サイクスの勧誘を決断させたのかもしれない。二人が「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」の制作に入った時点でこれは運命だったのだろう。

それからのジョン・サイクスはと言うと、低迷中だったシン・リジィに加入しハードロック色を強め、NWOBHM の波にも乗って「サンダー・アンド・ライトニング」(1983年)をヒットさせる。だが、ほどなくしてバンドは解散。

その後、ホワイトスネイクに加入し、今度は大ヒットアルバム『白蛇の紋章~サーペンス・アルバス(Whitesnake)』を完成させるが、今度はアルバムの発表前に解雇されてしまう。こうしてヒットアルバムに貢献しながらも加入したバンドから再び去ることになる。

―― とはいえ、ジョン・サイクスの才能を広く世界に知らしめたのはシン・リジィ、ホワイトスネイクだったことは間違いない。フィル・ライノットと出会い、作り上げた「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」からすべてが始まったのだ。楽曲は作者の分身なんて言われるが、「どうか私を置いていかないで」から始まったのかと思うと何とも皮肉である。

同曲は82年8月に発売されたが、当時は「幻の7インチ」と呼ばれ高額な値段で取り引きされるなど貴重なシングルとなり、日本では海賊盤も横行した。

そして、それから10年後の92年12月、MCA とジョン・サイクス本人の承諾によりオフィシャルな形で―― 「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」のオリジナル、エディット、インストの3ヴァージョンにタイガース・オブ・パンタン時代のシングルコレクションを加え、コンピレーションアルバムとして発売されることになった。

92年3月にデンマーク出身のプリティ・メイズがリリースしたアルバム『シン・ディケイド』では、オリジナルに近い演奏で「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」がカヴァーされている。こうして再び話題になったことも、コンピレーションアルバムの発売を後押しすることになったのではないかと思う。

ハードロック史上に残る「幻の7インチ」と言われた楽曲が CD になって甦り、手に入れられるようになったことを待ち望んでいたのは、言うまでもなく私だけではなかっただろう。

2018.09.14
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