6月10日

5月18日は槇原敬之の誕生日 − 時代が求めたメロディ「どんなときも。」

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メロディが9割 Vol.4
どんなときも。 / 槇原敬之


天才は天才を知る、当時16歳の槇原敬之を坂本龍一が異例の厚遇


俗に、天才は天才を知るという。

時に1985年11月26日―― この日、放送されたNHK-FM『サウンドストリート』にて、火曜日担当のDJ・教授こと坂本龍一サンが自身の名物企画「デモテープ特集」の中で、ある1本のテープを流した際、こんな感想を漏らした。

「かなり好きです、僕、こういうの。ほんっとに新しいと思うんです。16になりたてくらいで、きちんとできてますよ…… もう、このまま出せちゃうんじゃないですか、シングルが」

デモテープの送り主は、当時、大阪府立春日丘高校1年に在学中の槇原敬之サン。もちろん、まだ一介の16歳の少年に過ぎない。楽曲のタイトルは彼の作詞・作曲のオリジナルの「HALF」。YouTubeで探せば聴けるけど、声こそ10代の少年らしく若いが、耳に馴染みやすいメロディラインと切ない恋心を綴った歌詞は、既に往年の槇原節が完成している。

 HALF HALF HALF 半分大人の僕がいて
 HALF HALF HALF 半分大人の君がいる

実際、教授もかなり同曲がお気に召したらしく、他の応募者と違ってフルコーラスをかける異例の厚遇ぶりを見せた。槇原さんがシングル「どんなときも。」でオリコン1位に輝く、実に5年8ヶ月前の話である。そう、天才は天才を知る――。

そんな次第で、今回は稀代の天才ミュージシャン、槇原敬之サンの話である。奇しくも今日、5月18日は、彼の誕生日にあたる。今から31年前に天才が一躍ブレイクした楽曲の話を少しさせていただこう。

槇原敬之「どんなときも。」映画「就職戦線異状なし」の主題歌に起用


 僕の背中は自分が
 思うより正直かい?
 誰かに聞かなきゃ
 不安になってしまうよ

「どんなときも。」は、槇原サンのサードシングルである。フジテレビ製作の映画『就職戦線異状なし』の主題歌に起用され、映画のスマッシュヒットと共に火が点いて、あれよあれよとオリコン1位となり、ミリオンセラーを記録。当時、ほとんど無名だった槇原サンの名を一躍メジャーに押し上げた。

同曲は、コンペ方式で採用されたという。一般に、映画の主題歌というのは、映画の制作から独立して音楽プロデューサーが動いて(映画の内容と必ずしもリンクしないのはそのため)、安心安全の大物に依頼するか、次に来そうな新人を起用するかのどちらかのパターンが多い。槇原サンの場合、後者のケースで、コンペが行われたのだろう。

実際、僕も参加したホイチョイ映画『バブルへGO!』(監督:馬場康夫)も、音楽プロデューサーの「今、加藤ミリヤが来てるよ」みたいな話から、主題歌が決まったと記憶している。ちなみに、その前のホイチョイ映画『メッセンジャー』(監督:馬場康夫)では、主題歌候補の一人に世間に見つかる直前の宇多田ヒカルさんがいて、あろうことかスルーするという失態を犯している(笑)。

売れた理由は、等身大の瑞々しい詞と類稀なるメロディメイク


 あの泥だらけのスニーカーじゃ
 追い越せないのは
 電車でも時間でもなく
 僕かもしれないけど

とにかく―― 槇原サンは見事、「どんなときも。」が同映画の主題歌に選ばれ、ミリオンセラーの大ヒットとなった。それにしても、ほとんど無名の新人ミュージシャンの曲が、なぜそこまで売れたのか?

1つは、その等身大の瑞々しい詞だろう。誰かが言ってたけど、槇原サンほど “僕” が似合うミュージシャンもいないと。同曲はいわゆる夢追いソングだけど、使われているフレーズは「古ぼけた教室」とか「あの泥だらけのスニーカー」とか、やたら視覚的で、誰もが共感しやすいワード。意外にも、彼の曲作りは “詞先” らしいが、根本的には詩人なんだと思う。

そして、もう1つは―― その類稀なるメロディメイクである。圧倒的にメロディがいい。僕はかねがね「名曲はメロディが9割」理論を唱えているが、同曲が売れたのも、シンプルにメロディだと思う。詞の評価は後付けである。

これは音楽評論家に限らず、一般のユーザーもそうだけど、曲に対する評論や感想で多いのは、圧倒的に “詞” か “サウンド” である。一方、“メロディ” が言葉として語られる機会は少ない。槇原サンの場合、元々のワードセンスがいいので、詞が評価されがちだ。でも―― 僕は敢えて唱えたい。「彼の才能は優れたメロディメイクにある」と。なぜなら、槇原サンがデビューできたのも、時代がメロディを求めていたからである。

槇原敬之デビュー曲「NG」に見る、“メロディの時代” 到来の予感


槇原敬之サンのデビューは、「どんなときも。」の前年、1990年の10月である。デビュー曲の「NG」は、同年3月に行われた「AXIA MUSIC AUDITION '89」でグランプリを獲得した楽曲。なんと、サポートギタリストは従兄の寺西一雄サン(現・ROLLY)だったという。

同オーディションで特筆すべきは、プロの審査員によるグランプリ発表と同時に、デモテープを聴いた一般の音楽ファンからの投票で選ばれる「一万人審査員賞」も発表したこと。そして、槇原サンの「NG」は見事―― ダブル受賞したのである。

これは僕の勝手な推察だけど、一万人がいいと思う楽曲は、間違いなくメロディが共感されたから。そう、“メロディの時代” が、すぐそこまで来ていたのだ。

90年代に再び脚光を浴びた、万人に受け入れられるメロディワーク


思えば、80年代後半、音楽はサウンド志向を強め、いわゆる玄人受けする楽曲が増えていった。ディスコはユーロビートからブラックミュージックへ移行し、アイドルは冬の時代を迎え、『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』は視聴率を落とし、やがて姿を消した。

音楽業界に漂う閉塞感―― だが、そんな時代の空気感は90年夏に一変する。作詞・さくらももこ、作曲・織田哲郎によるB.B.クイーンズの「おどるポンポコリン」の大ヒットである。同曲により、再び万人に受け入れられるメロディワークが脚光を浴びたのだ。

その流れは、同年暮れのKANの「愛は勝つ」、そして翌1991年初頭の小田和正「ラブストーリーは突然に」のロングヒットへと連鎖的に繋がっていく。

メロディの時代、それはベテランも新人も等しく売れるチャンス?


メロディの時代がいいのは、誰もがホームランを打てるチャンスがあるからである。ベテランも新人も等しく売れるチャンスがある。業界のコネがなくとも、優れたメロディひとつでユーザーの支持を集められたら、ミリオンが狙えた。かつて70年代から80年代前半にかけて、ポプコンが毎年のように新人ミュージシャンを輩出できたのも、メロディの時代だったからである。

 どんなときも どんなときも
 僕が僕らしくあるために
 「好きなモノは好き!」と
 言えるきもち 抱きしめてたい

1991年、日本の音楽界は再び、メロディの時代を迎えた。映画『就職戦線異状なし』は6月の公開に向け、主題歌選びに着手した。槇原敬之サンはネクストバッターズサークルから立ち上がり、静かに歩き出した。


※2021年6月10日に掲載された記事をアップデート

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2022.05.18
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カタリベ
1967年生まれ
指南役
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