デビュー40周年の節目でリイシューされたアルバム
2022年7月1日、中森明菜のデビュー40周年を記念して、彼女のデビュー年である1982年に発表されたファーストアルバム『プロローグ〈序章〉』とセカンドアルバム『バリエーション〈変奏曲〉』、そしてミニアルバム『Seventeen』がリイシューされた。
中森明菜がデビューの1982年に『プロローグ〈序章〉』(7月)、『バリエーション〈変奏曲〉』(10月)と2枚もアルバムを出していたというのは、改めて凄いと思う。しかも、彼女が「スローモーション」でデビューしたのは同じ年の5月のことで、7月にはセカンドシングル「少女A」も出ているし、11月にはサードシングル「セカンド・ラブ」も出ている。『Seventeen』は既発曲によるミニアルバムだけれど、デビューの年だけで22曲を発表していることになるのだ。
参考までに松田聖子もデビューした1980年にデビュー曲「裸足の季節」をはじめとするシングル3枚とアルバム2枚で計22曲を発表している。こうしたデータを見ると、改めてこの時代のアイドルのリリースペースの凄まじさを痛感する。
テレビとのタイアップで機能したスターづくりのシステム
ちょうどこの時代、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系 1968年スタート)、『ザ・ベストテン』(TBS系 1978年スタート)などの人気音楽系番組を持つテレビ局と有力プロダクション、そしてレコード会社がタッグを組んでヒット曲を生み出すシステムが力を持つようになっていた。
有望な歌手の新曲をテレビの歌番組で強力に露出することで、レコードセールスを伸ばすと同時にテレビ側もスターを確保することができる。さらに、テレビ局資本の音楽出版社が露出と引き換えに楽曲の権利をもつという手法も広がっていった。
テレビとのタイアップによるヒット曲およびスターづくりシステムが機能することは、テレビ局やレコード会社のビジネスの効率化につながるだけでなく、歌手にとっても大きな成功のチャンスとなった。
けれど、同時にそのシステムに乗るということは、その音楽活動のイニシアティブが自分ではなく、ビジネスのローテーションに組み込まれることでもあった。
だから、松田聖子や中森明菜がデビュー年にこれだけ多くの楽曲を発表していたということは、彼女たちがスター候補として成功裏にスタートを切っていたと同時に、無自覚であったかもしれないが、結果的に自分たちの“新曲”がテレビのローテーションによって次々と消費されていくことを受け入れていたということだった。
アイドルの個性を見せるための武器となった “アルバム”
発表する “新曲” がそれぞれの時代のなかで消費されていくということは、それ以前の流行歌手の宿命だった。しかし、常に新しい話題に“価値”を見出すテレビと手を組むことで、その “消費” のスピードは加速されていった。
時代がどんな “歌” を求めているのかをリサーチして制作された楽曲と、インパクトあるキャラクターをフィットさせて “スター” を生んでいく。そんなシステムに乗りながら、いかに自分の個性を見せていくか。1980年代のアイドルたちは、そんなきわめて困難な課題にチャレンジしていたのだ。
そんな彼女たちにとって大きな武器となっていたのがアルバムだったんじゃないかと思う。
それまでは歌謡曲歌手にとってのアルバムは、自分の “新曲” プラス自分の過去のヒット曲、またはその時代のヒット曲のカバーで構成された、ベストアルバム的企画ものがほとんどだった。
けれど、シングルよりもアルバムを主要な表現ツールとする欧米のアーティストたちの影響を受けて、1970年代には日本でもシンガーソングライターを中心にアルバムを重視する考え方が広がっていった。
中森明菜の方向性を示したセカンドアルバム「バリエーション」
こうした自分たちの表現メディアとしてアルバムをつくるという考え方は、1980年代のアイドルにも受け継がれていき、彼女たちの武器にもなっていったという気がする。
もちろん、松田聖子にしても中森明菜にしても自分で楽曲をつくっているわけではなく、制作側が用意した曲を歌っているに過ぎない。けれど、彼女たちのために書き下ろされたオリジナル曲で構成されたアルバムということでは、聴きどころの多い作品になっていると思う。
中森明菜のファーストアルバム『プロローグ〈序章〉』には、デビュー曲「スローモーション」をはじめ10曲が収められている。「スローモーション」も提供している来生えつこ(作詞)、来生たかお(作曲)の「あなたのポートレート」の他、キャンディーズの「暑中お持舞申し上げます」を作曲した佐瀬寿一、シンガーソングライターの田山雅充、ジャズ界の大御所大野雄二、SHŌGUNのギタリスト吉野藤丸など多彩な作家陣による楽曲が収録されているが、改めて聴いてみると、曲によっては、山口百恵、松田聖子、薬師丸ひろ子などをイメージさせる曲があったり、中森明菜をここからどのようなイメージでプッシュするのかの試行錯誤をしていることが感じられる。
それに対してセカンドアルバム『バリエーション〈変奏曲〉』は、前作からわずか3か月後の作品なのにもかかわらず、ひとつの方向性が打ち出されているという印象がある。そこには、やはり大ヒット曲「少女A」の存在があるのではないかと思う。
「少女A」の大きかった存在感
あらためて「少女A」(作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明)はすごい曲だと思う。当時の(今でもそうではないかと思うが)アイドルの王道である “夢見る無垢な少女” というイメージを捨てて、“性的な衝動” という思春期の現実に踏み込んでいるだけでなく “少女A” という問題性を感じさせる言葉を使うことで、このテーマに目を塞いでキレイごとで済まそうとする社会への風刺にもなっている。まさに、あの時代の日本の社会的常識への鋭い問いかけでもあった。
「少女A」の世界観に合わせる意図があったのかどうかはわからないけれど、やはり売野雅勇作詞の「キャンセル」以下、このアルバムには性的に大胆な女の子が歌われる楽曲が目立つ。社会的には“不良少女”と呼ばれるのかもしれない。けれど、一人の自立した女性として自分に正直に生きようとする意志がアルバム全体から感じられる。
しかし、当時は「少女A」がそうだったように、このアルバムも、性的に早熟な女の子の危うさに好奇の目を向けて楽しむという、どこかスキャンダラスな受け取り方をされることが多かったと思う。
スキャンダラスに受け取られることが多かったとは言え、『バリエーション〈変奏曲〉』の作品としてのクオリティは非常に高い。
楽曲的にも、歌詞に京言葉を取り入れた「脆い午後」(作詞:中里綴、作曲:三室のぼる)、南佳孝が作曲した「ヨコハマA・KU・MA」「第七感(セッティエーム・サンス)」、さらには約5分というドラマチックな大曲「カタストロフィの雨傘」(作詞:篠塚真由美、作曲:和泉常寛)など、前作よりも多彩な内容になっている。編曲陣も萩田光雄、若草恵という手練れがコンテンポラリーな感覚をもった質の高いサウンドをつくりあげている。そして『バリエーション〈変奏曲〉』は中森明菜にとって初のチャート1位獲得アルバムとなり、中森明菜の存在感を確かなものにする作品となった。
リアルだった中森明菜の表現力
しかし、このアルバムでなにより印象的なのが、これだけ幅広い楽曲を中森明菜が見事に歌いこなしていることだ。それも、表面的にきれいな歌に仕上げるのではなく、曲ごとに表現のニュアンスを変えて、それぞれの曲の主人公の感情の動きが見えてくるようなリアルな表現力があるのだ。当時の中森明菜がまだ17歳だったことを考えると「さすがに大人過ぎるでしょ」と恐ろしささえ感じてしまう。
“陽” のオーラにあふれた松田聖子に対して、中森明菜には “暗さ” の魅力があるとよく言われるけれど、「少女A」そしてアルバム『バリエーション〈変奏曲〉』こそが、そうした初期の中森明菜の “色” をつくりあげた作品と言えるだろう。
「少女A」、そして『バリエーション〈変奏曲〉』による “早熟な少女” というイメージの確立は、タレントとしての中森明菜にとって大いなる成功だったと思う。
けれど、中森明菜というアーティストの40年間の活動全体にとっては、ここで作り上げられたイメージがある種の “負荷” にもなっていったんじゃないか、そんな気もするのだ。
中森明菜40周年 1982-2022
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2022.07.03