語り伝えによると、1982年、当時マイケル・ジャクソンのプロデューサーであったクインシー・ジョーンズは『スリラー』の録音セッションも終盤に入る頃、ほぼ同時期に発売となるプリンスの『1999』のデモテープを手にスタジオに入って来るなりこう言った。
「君のシンセもこんな風でなきゃ!」
2016年4月にプリンスの訃報に接して、幾つか追悼記事を斜め読みしていた。そこで眼にしたのがこのエピソードだ(フランスの日刊紙『ル・モンド』2016年4月22日付。ステファヌ・ダヴェによる記事より)。
プリンスのファンならすでに常識なのかもしれないし、そもそも僕には出元がわからない。でもこれを読んで僕は思わず頷いた。
この記事では2009年にこの世を去ったマイケルによる「世界中どこでも通じる音楽」との比較がなされ、プリンスの芸術性と影響について論じられていた。
プリンスは80年代にリズムの純化とデジタル化に並々ならぬ関心を抱き創作に取組んでいた。その影響はベックやファレル・ウィリアムスといった個々のミュージシャンにとどまらず、R&Bやヒップホップなどのジャンルにまで及ぶ… 云々。
でも僕の気を惹いたのは、プリンスについて語る時、やはりフランスでも、それもごく自然にマイケルを引き合いに出してくることだった。
1982年のことだから当たり前なのだが、『パープル・レイン』ではなく『1999』なのも面白い。
『1999』の打ち込みを多用したリズムトラック、シンセサイザーの鮮烈な音、ひたすら繰り返される単調なメロディラインは確かに一度聴いたら耳から離れない。
僕にしてみればあの独特な歌声と叫びより、はたまた「リトル・レッド・コルヴェット」の隠微な歌詞より、シンセばかりが記憶に残るアルバムだった。
省みて、このシンセの音こそが80年代幕開けにふさわしい… なんてうそぶいても通りそうだ。
そして誰もが『スリラー』を持ち出してくる。ほぼ全曲がシングルカットされた『スリラー』は、誰もがどの曲でも口ずさめる極上のポップアルバムで売り上げも記録的。
でも「今夜はビート・イット」や「ビリージーン」を聴いて咄嗟にシンセの音を想い浮かべる人がどれだけいるだろう。
商業的には『スリラー』の足下にも及ばないアルバムからのシンセの影響なんて誰も気にしなくてもいいはずなのに、やっぱりみんなプリンスとマイケルを比較する。まるで是が非でもそうしなくてはならないかのように。
それで僕も思わず頷いたのだった。
※2016年4月29日に掲載された記事をアップデート
2019.10.27
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