12月7日

空前のスピルバーグブーム「バック・トゥ・ザ・フューチャー」日本公開!

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マイケル・J・フォックスと「バック・トゥ・ザ・フューチャー」


先日、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主演でお馴染みの俳優、マイケル・J・フォックスが俳優業からの引退を発表したとのニュースが伝えられた。かの映画は1985年12月7日に日本で公開されたから、折しも今日で35周年という節目の年を迎えた。これを記念して、12月4日からは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『同、PART2』『PART3』の3部作を、“4Kニューマスター版” で全国劇場で一挙公開という、画期的な試みが行われたりして、今まさにアニバーサリームード。だというのに、このタイミングでの発表は少し切ない気がしてしまう。だが裏を返せば、彼が自らの出世作となったこの作品との出会いを、どれだけ大切に思っているかという証でもある。

彼の引退の直接の要因となったパーキンソン病との闘病は、彼が30代に差し掛かろうという頃、ちょうどPART2、3の連作を撮り終えた頃に始まったというから、その年月はまさに彼の半生に等しい。19世紀に発見され、人類が未だ克服できないこの難病に罹患したことを公表し、2003年に出版した自叙伝『ラッキーマン』にはその闘病生活について書き綴られている。本はベストセラーとなり、その収益は彼がこの病気の研究のために設立した財団の基金となった。俳優を引退後はその文才を生かして執筆活動に専念し、引き続き財団の活動を続けていくという。彼の第2の人生がいつまでも健やかであるよう祈りたいものである。

時はMTV全盛期、映画情報と音楽情報のタイムラグ


ところで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は封切られる前から評判が高かった。この頃の洋画の話題作といえば、ほとんどが本国公開の半年遅れ。日本の配給会社が盆暮れ、GWに公開を寄せる傾向が今より強かったせいもあるし(シルバーウイークはまだなかった!)、何より今のような “配信” のシステムなどなかったから、“世界同時公開” など、とても考えにくい話だった。

だが音楽界、特にMTVはそうはいかない。ヒットチャートの音楽とMTVは国内にどんどん入ってきてしまうから、ストーリーこそ知らないまでも、どんな映像が観られそうかは、大方期待を寄せるには十分すぎるほどの情報をもたらしてくれる。その辺り、当時のサントラのヒットの特徴については、私だけでなく、これまでRe:minderで何人ものカタリベさんたちが書かれている通りだ(宣伝マンの心意気、音楽のヒットで映画をあてようぜ!— フットルース篇 参照)。テレビCMまで、あの炎の “ブラックマーク(タイヤ痕)” を残して、走り去っていくデロリアンの映像に似せたクルマの映像を用いる会社も現れた。

ロバート・ゼメキス? 監督はスピルバーグじゃないの?


スピルバーグが設立した「アンブリン」という映画制作会社が本格稼働し始めたのもこの頃のことだった。“スピルバーグ映画” なんて当時のメディアはざっくりと一括りにしていたから、「監督ロバート・ゼメキス? スピルバーグじゃないの? 制作総指揮… 何それ?」という程度の理解で、要するに代貸みたいなものかと妙な解釈の仕方をしていた。

1984年には『インディ・ジョーンズ』に『グレムリン』、同年には『グーニーズ』もあって、まさに “スピルバーグ祭り” 状態だったので、早い話が彼の名を騙り、手っ取り早く宣伝しようという “悪意” のようなものを感じてしまった。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はアンブリンが制作したまだ3本目の作品であり、実際にスクリーンで『E.T.』を載せた自転車のクレジットを目にしたのも、私にとってこれが最初だったかも知れない。

主題歌はヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「パワー・オブ・ラブ」


この頃は主題歌も大物アーティストとの絡みが当たり前のようになっていた。それはMTVとの映像面でのタイアップが成立していたこともあるだろうが、単に在り物の楽曲を使うというものではなく、その歌詞やタイトルにもそれらしく作品のテーマが織り込んで新たに制作されたものが目に付くようになってきた… ということだ。

アンブリン映画の前作『グーニーズ』の主題歌「グーニーズはグッド・イナフ」はシンディ・ローパーによって大ヒットしたし、そのシンディと同年初めに行われた「ウィ・アー・ザ・ワールド」プロジェクトの際に、同パートで共演したヒューイ・ルイスが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では主題歌を担当した。

メインタイトルの「パワー・オブ・ラブ」は日本での映画公開に先駆けて全米No.1の大ヒットを飛ばしていた。いかにもヒューイ・ルイスらしいストレートなロックンロールで今も耳に残る佳曲である。映画自体が時代を代表する大ヒットとなったこともあり、“愛の力” などというキャッチーなタイトルも相まって、今でもテレビCMや番組のBGMなどに使用され続けている。

負けず劣らずのエンディングテーマ「バック・イン・タイム」


もうひとつ、エンドロールで流れるテーマも彼が引き受けたものであるが、そのタイトルは「バック・イン・タイム」。タイトル的にはむしろこちらの方が、映画のテーマに沿っているようにも思えるのだが、それもそのはず、ヒューイ自身は、はじめこちらをメインテーマとして準備を進めていたのである。

ところが、期日が迫ってもなかなか歌詞だけがまとまらず、新たな発想で締切直前になって彼が送り出した作品、それが「パワー・オブ・ラブ」だった… ということらしい。だから、エンディングテーマも負けず劣らずの佳曲だと思う。“to be continued” のテロップと共に次作への期待を感じさせるブリッジの役目を見事に果たしてくれているといってもいいだろう。

知ってる? ヒューイ・ルイスと「ウィー・アー・ザ・ワールド」のパロディ


重要な2つの楽曲を担当した彼が、いかにこの作品と深く関わっていたかということを示す例としては、カメオ出演が挙げられる。主人公マーティの演奏を「音がうるさすぎる」といって不採用にするオーディションの審査員の役なのであるが、まさに映画のストーリーの中で描かれた1950年代に生まれようとしているトラディショナルなロック音楽の継承者ともいえる彼が、うるさ型の体制側のキャラクターを演じていることに制作者の遊びごころを感じることができる。

これは先の「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加した際、ソロパートで張り切りすぎて声を張り上げたヒューイに向けてプロデューサーが放った言葉のパロディになっているらしいが、果たしてその発信元が総監督を務めたクインシー・ジョーンズなのか、ボーカル指導を務めたライオネル・リッチーなのかは記録映像から読み取ることは難しいだろう。

作品全体に張り巡らされた伏線、そして見事な回収


制作者の遊び心というなら、それは作品全体を通じて、そこかしこに溢れているといってもいい。この映画のひとつの楽しみ方は、なんといっても作品全体に張り巡らされた “伏線” と、それがいかに見事に “回収” されているかを読み解くことである。

タイムトリップものには付きものの歴史の改ざん、タイムパラドックスの問題をいかに収めるか… ストーリーテラーの腕の見せ所である。それは例えば、もし織田信長を本能寺から逃がせたら… などという大それた話などではないし、だからこそ誰でも思いつくような話でもない。それは身の回りの日常の普段意識もしないちょっとしたこと。街の看板や地名、ものの呼び名が変わっていることだったりする。

初めてこの映画を観に行く時に、封切り初日に観たという映画好きのある友人は「映画前半の細かいところを油断せず見ておいた方がいいよ」と的確なアドバイスをくれた。だがどうしても特撮やジョークに気を取られて観察をおろそかにしてしまった。そして映画を観終わる頃、そのアドバイスが何を意味していたのか、ようやくすべてを理解することになる。

その時僕らがとった行動は “居座り” であった。今の時代、総入れ替え制をとるシネコンでは絶対に出来ない行為であるが、封切り間もない人気映画とはいえ、平日の昼間のガランとした劇場ならではの、学生特権のようなものであった。映画は連続視聴に耐えるほどの見事な出来栄えでもあった。

ロナルド・レーガンもお気に入りだった有名なシーン


これは多くの人がきっと共感してくれると思うが、作品中の数あるジョークの中で気に入ったもののひとつは1955年のドクが1985年から来たマーティに対して「1985年のアメリカ大統領は?」と訊ねるところだ。

マーティはおそるおそる「ロナルド… レーガン」と答える。ドクの表情はもはや驚きですらない。「ロナルド・レーガンだと! 俳優のか!?」嘘を吐くならもうちょっとましな嘘にしたらどうだと言わんばかりで、「じゃあ、副大統領はジェリー・ルイスか? ファーストレディはジェーン・ワイマンか?」と笑い飛ばして相手にしない。

これは答えるマーティの側も「これを言っても絶対信じてもらえないよなぁ」というのを、観衆の皆が分かっているから、まさに “事実は小説より奇なり” といった予定調和的なジョークとなっているし、このシーンは話題となり当のレーガン大統領のお気に入りだったという。だがおそらく “前妻” の名を使われたナンシー夫人(元女優のナンシー・デイビス)はさぞ面白くなかったことだろう。ジェーン・ワイマンはオスカーを獲得したこともある名女優だが、1955年当時には既にナンシーと再婚していたはずだから、ドクの勘違いはちょっと皮肉が効いていたかも知れない。

ビフのモデルはドナルド・トランプ、脚本のボブ・ゲイルが明言


2015年は公開30周年と、『PART2』で主人公のマーティやドクが2度目のタイムトリップに出かけた年でもあるということで、今年2020年よりも様々なイベントや番組の企画で盛り上がっていたように思う。

その中のひとつ、アメリカABCのトーク番組『ジミー・キンメル・ライブ!』では、主演のマイケル・J・フォックスとクリストファー・ロイドの2人がそれぞれ1985年からタイムトリップしてきた設定で登場、ユニークなトークを繰り広げたがその中にこのようなやり取りがあった。番組ホストのジミーにマーティが訊ねる。

「そうだ、今、ビフ・タネンは何をしている?」
「あぁ、彼なら今、アメリカの大統領選に出ているよ…」

そして彼はその選挙に勝利し、現時点でまだその地位にある… ドナルド・トランプ大統領が、マーティたちの因縁の相手ビフのモデルであると、脚本を担当したボブ・ゲイルは明言している。

作中でタイムマシンを盗んで手に入れた『スポーツ年鑑』をもとにギャンブルで大儲けし、カジノ王に君臨するビフの髪型もメイクも本人に似せてあり、彼が所有する「トレジャーパラダイス」と命名された娯楽施設は、ドナルド・トランプがマンハッタンの対岸、ニュージャージー州アトランティック・シティに建てた「トランプ・プラザ」を彷彿とさせる出来栄えである。

斬新な価値をもったキーワード “バック・トゥ・ザ・フューチャー”


“バック・トゥ・ザ・フューチャー” というワードは主人公たちがセリフの中でも度々口にするキーワードのようになっている。だが現代に暮らす我々には、思い出す過去はあったとしても、未来はまだない。だから “未来へ帰る” という言葉には斬新な価値を持った言葉だ。

もうひとつ、作中で語られた未来の中で “ニア・イコール” だった出来事といえば、2015年のシカゴ・カブスによるワールドシリーズ制覇のことだろう。かのチームは1985年当時、メジャーリーグで万年下位のチームであったが、その原因はホームスタジアムにナイター設備がなく、厳しい暑さの夏場にデーゲームを戦わなければならない環境にあったといわれていた。ところが1988年にナイター設備を整備すると年々上位を争えるチームとなり、2016年にはついにワールドシリーズ制覇を成し遂げる。2015年は惜しくもシリーズで敗退するも、的中まであと一歩までに迫ったこともまた大いに話題となった。

果たして2021年を迎える現実のドナルド・トランプがどうなるか。それより世界を席巻するCOVID-19が果たしていつ終息するか、我々の暮らしも一体どうなるかわからない。誰かがデロリアンでやってきて、シカゴ・カブスのような明るい未来をもたらすヒントを授けてくれないか、切に願う今日この頃である。




2020.12.07
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カタリベ
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