先日浅草を歩いていたら、アメリカ人とおぼしき観光客が吾妻橋の欄干に寄りかかってビールを飲んでいた。
その外国人の風貌は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくる悪役「ビフ」のようなチョイ悪風で、缶ビールを持つ太い腕には日本語で「です」という入れ墨が彫られていた。
以前、
ザ・ナックの「マイ・シャローナ」を紹介した時にも述べたのだが、私は中学の1年間(79~80年)をアメリカの片田舎で過ごした。当時通っていた学校に日本人は私と姉しかおらず、日本の情報はすべて私達から伝達された。
例えば私の彼女は石野真子であったり、日本の大統領はランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんの三人体制で運用されていたりと、事実が分からないのをいい事に、好き勝手な事を言いたい放題だった。
入学当初、昼休みになると物珍しさで、私を見に来る外人が多かった。
「ユーはカラテをするのか?」
「ライスボールとはどんな食べ物だ?」
などなど質問の嵐である。その都度カタコトの英語で適当に答えていたのだが、それ以外にも「俺の名前を日本語で書いてくれ」という注文が多かった。例えば「Michael」なら「まいける」、「Bob」なら「ぼぶ」といった風に、彼らが話す名前の発音をそのまま “ひらがな” で書いてあげていた。
ある時フィルというチョイ悪風のクラスメイトがやって来た。
1980年代初頭のアメリカ人の不良は「強い=筋肉」ということになっており、冬でもジャンパーの下は「ピチティ」を着て自慢の筋肉を披露していた。フィルもご多分に漏れず、ラッパ型のジーンズにピチティであった。
「ハーイ、機嫌はどうよ? ちょっと俺の名前も日本語にしてくれないか?」
恐らくそんな感じの事を言っていたのだろう。まだ全然英語が判らない中1の私は勝手にそう解釈した。
「OK、なんて書けばいいんだい?」
チョイ悪のフィルが言った「Death」だ。
―― この流れで行けば「Death」を「死」と答えるのではなく「です」と教えるのは自然の摂理と言えよう。後から思い返してみれば、先日浅草にいた外国人はもしかしたらクラスメイトのフィルだったのかも知れない。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアン号があったら、40年前に戻って「死」という日本語をチョイ悪の彼に教え直してあげたいと思った。
2018.02.19