12月21日

ニュー・オーダーのダンス美学「ブルー・マンデー」は本当にブルーだったのか

36
2
 
 この日何の日? 
ニュー・オーダーのアルバム「権力の美学」が日本でリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1983年のコラム 
富田靖子デビュー!映画「アイコ十六歳」松下由樹と宮崎萬純も初お目見え

アメリカが生んだ最強デュオ、ダリル・ホール&ジョン・オーツ

ローズマリー・バトラー、邦画が生んだ日本限定の洋楽ヒット

ヴァン・ヘイレン vs アズテック・カメラ、やる気にさせる「ジャンプ」はどっち?

ジャパメタ発!44MAGNUM がニッポンのロックシーンに与えた影響

The Street Sliders「がんじがらめ」80年代のロックシーンに風穴を開けた媚びないバンド

もっとみる≫



photo:Warner Music Japan  

ファンがアーティストに抱えるイメージは、時としていい加減だ。とくに海外のアーティストについては、今のようなインターネット時代ならともかく、1980年代には情報がそれほど入ってこなかった。今回は、そのような思春期のカン違いのお話。

ニュー・オーダーというバンドを知ったのは、1983年の高校2年の頃。ラジオで耳にした「ブルー・マンデー」が、イギリスではチャートを大いに賑わせているという。当時のイギリスのチャートではエレクトロポップが人気を呼んでいたが、「ブルー・マンデー」は旋律に起伏が乏しいばかりか、サビらしいサビがない。不思議な曲だなあと思いつつ、何度も聴いているうちに、ハマッた。

同じころ、音楽誌を読むと、「ブルー・マンデー」はニュー・オーダーの前身バンド、ジョイ・ディヴィジョンのフロントマン、イアン・カーティスの自殺について歌っている… 、的なことが記されていた―― 。

1980年5月18日、韓国で軍隊がデモに参加した民衆を無差別に撲殺する “光州事件” が起きた日、イギリスではイアン・カーティスが首を吊って自らの命を絶った。翌日の月曜日にバンドは、未来を拓くはずのアメリカツアーに出発しようとしていたのに。享年23。

そう聞かされ、「ブルー・マンデー」に特別な気持ちが生まれてくるのは、死について考えるようになる17歳の多感なガキンチョには必然だ。イアンの命日が自分の誕生日の翌日であることも手伝い、無機質なダンスビートは自分のアンセムとなった。

同年12月、ついにニュー・オーダーのアルバム『権力の美学(Power, Corruption & Lies)』の国内盤が、輸入盤とは無縁の北国の田舎町でも発売される。

雪の降る日、チャリを漕いでレコ屋に行き、バイト代をはたいて買った。で、聴いてみたのだが、微妙に想像していたのとは違う。クラい曲、無機質なダンスチューンもあるにはあるが、なんというか、“明るい” のだ。何度も聴いてるうちに好きになったが、やはりどこか引っかかった。

そのズレは、少しずつはっきりしていく。すでに本国でリリースされているシングル「コンフュージョン」は黎明期の米ヒップホップシーンをリードしていたアーサー・ベイカーのプロデュースによるもの。英国のインディバンドと、米 NY のクラブシーンのカリスマの結びつきが、何とも不思議に思えた。

数年後に観た来日公演こそ、無愛想で “やっぱりね” と思ったりしもしたが、クラブミュージックのメッカ、イビザでレコーディングしたアルバム『テクニーク』は、やはりアッパーなダンス曲が主体だった。

極めつけは、90年のシングルで、サッカー、イングランドチームの応援歌「ワールド・イン・モーション」が全英チャートでナンバーワンとなったこと。ニュー・オーダーが、こんな歌を歌うとは… 。そう、彼らは暗いインディバンドではなかった。英国の国民的なバンドだったのだ。

2015年に翻訳されたフロントマン、バーナード・サムナーの自伝『ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、そしてぼく』を読むと、“死の影を引きずるダークなバンド” という十代のニュー・オーダーへのイメージが、カン違いであったことがよくわかる。

当時国内盤が出ていなかったファーストアルバム『ムーヴメント』こそイアン抜きのジョイ・ディヴィジョンのメンバー3人によってレコーディングされたが、バーナードは “陰鬱過ぎるアルバムで好きではない” と記している。その後、NY のクラブシーンを体験して、シンセサイザーにも興味を示すようになり、そのアッパーな空気感が「ブルー・マンデー」となって結実したというのが正解のようだ。

ちなみに、この曲を、歌詞を変えて CM に使用したいという飲料メーカーのリクエストに、バーナードは一度は応じたらしい。

当時、クラブミュージックとしてニュー・オーダーを聴き始めていたら、こんなに好きになっただろうか? そんなことを考えると、十代の音楽との出会いは独特だし、本当に面白いと思ったりするのだ。


※2018年5月18日に掲載された記事をアップデート

2019.05.18
36
  YouTube / mcjkok
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1966年生まれ
ソウママナブ
コラムリスト≫
24
1
9
8
6
今も昔もニューウェーブ!変わらないために変わり続けたパール兄弟
カタリベ / 公認心理師キンキー
26
2
0
1
6
心臓バクバク、カルチャー・クラブ来日公演! 32年ぶりのカマカマ大合唱 ♬
カタリベ / 親王塚 リカ
23
1
9
7
9
憂鬱な月曜日、狂気との格闘、ブームタウン・ラッツ「哀愁のマンデイ」
カタリベ / ソウマ マナブ
34
1
9
8
3
ザ・ポリス、活動休止後にグラミーを受賞したスーパートリオ最後の輝き
カタリベ / goo_chan
10
1
9
8
0
CNNデイウォッチのオープニングはOMD、三文字系アーティストは得か損か?
カタリベ / DR.ENO
11
1
9
8
9
現代に続くエレクトロの礎、デペッシュ・モードはスタジアムロックの雄!
カタリベ / 岡田 ヒロシ