10月9日

ブルース・スプリングスティーンの葛藤「一歩前進、二歩後退」

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ブルース・スプリングスティーンのアルバム「トンネル・オブ・ラヴ」がリリースされた日
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photo:SonyMusic  

『トンネル・オブ・ラヴ』は、ブルース・スプリングスティーンの人気絶頂期にリリースされた、とてもパーソナルなアルバムだ。前作『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』による未曾有の大成功と、それに合わせて行われたワールドツアーでの喧噪の日々は、ブルースのキャリアのピークを示すと同時に、ひとつの終わりも意味していた。

結婚をし、家庭をもち、30代半ばを過ぎると、それまでとは違う問題や葛藤が生まれる。情熱のおもむくままに走り続ける生き方とはまた別の、新しい生き方が目の前に浮かび上がってくる。ブルースも、バンドのメンバーも、そしてファンの多くもまた、そうした時期に差し掛かっていた。

『トンネル・オブ・ラヴ』は、ブルースが初めて「家」を舞台にして作ったアルバムだ。これまでの夢やロマンティックな思い込みのいくつかに片をつけ、パートナーと、この先の長い人生を生きていくために、ふたりの歩調を合わせ、新たに手に入れた大切なものを失わないように努力する。しかし、同時に何もかもぶち壊してしまいたいというネガティヴな衝動とも戦い続けることになる。

「ワン・ステップ・アップ」は、アルバムの中でも特に好きなナンバーだ。前に進めないことのもどかしさを歌った曲で、そうした状況に陥ると、目に映るすべてが、あるべき状態ではないように思えてしまうのだ。対比的な歌詞が美しく、聴く者をやるせない気持ちにさせる。

目が覚めると、暖かいはずの家が冷たい。ストーブを見ると、火が消えている。車に乗り込むが、エンジンは回ろうとしない。電線に鳥がとまっているけれど、鳴いていない。教会の前に花嫁がいるのに、鐘の音は聞こえてこない。

冷えきった家。火の消えたストーブ。動かない車。鳴かない鳥。鳴らされない鐘。こうした情景が、主人公の心の内を表している。そこから、パートナーとのすれ違いが吐露されていく。


 最近はお互い辛い話をしているけど
 僕らは何も学んでいない
 悲しい物語が繰り返される
 それが現実
 一歩前進 二歩後退


主人公は、そしておそらくパートナーである彼女も、この状況をどうにかしたいと願っているが、出口が見つからない。問題は、その出口を見つけるまで、ふたりが耐えられるかどうかだ。


 夜な夜な同じことの繰り返し
 誰が間違っていて 誰が正しいのか
 また別の争いが始まり
 俺はドアを叩き付ける
 俺たちの愚かで小さな戦争がまた始まる


なぜそうなってしまうだろう? それはふたりにも、そしておそらく、誰にもわからないことなのだ。僕がもっとも好きなのは、次のヴァースだ。


 自分自身を見てみれば
 俺がかつてなりたかった男は
 そこにはいない


主人公はここで、自分がもう昔の自分とは違うことに気づくのだ。そして、過ぎ去ったときは2度と戻らないということも。


 どこかを歩いているうちに道をはずれ
 一歩前進しては
 二歩後退するようになってしまった


こうした状況は、しばらく続いていくことになるのだろう。主人公にもそのことがわかっている。もはや打つ手はないのだ。

彼はいたたまれなくなり、バーへ向かう。カウンターにいる女が意味ありげな視線を投げてよこす。結婚しているようには見えなかったので、彼も独身を装う。でも、そこまでだ。彼は夢の中で見たパートナーのことを思い返す。そして、もし叶う事なら、これから先の長い人生、なかなか前に進めずとも、彼女と歩調を合わせていけたらと願うのだ。


 昨夜 お前を腕に抱いている夢を見た 
 音楽が流れ続け
 俺たちは夕方の空が暮れて
 暗くなるまで踊った
 一歩前進 二歩後退


実際、ブルースは『トンネル・オブ・ラヴ』をリリースした約半年後に離婚を経験している。そして、同じ年にEストリート・バンドは、長期の活動休止状態に入っている。ひとつの章が幕を閉じ、同時に新しい章が始まろうとしていた。そして、ブルースが家庭の中に幸せを見出すようになるには、あと数年待つことになる。

僕がこの曲を初めて聴いたのは、17歳のときだったから、歌われていることの意味を正しく理解できていたとは思わない。でも、美しいメロディにのせて歌われる言葉に、心を大きく動かされたのは事実だ。どこまでも続く草原のように広くて孤独な感情が、胸を満たしていくのを感じた。そして、よくわからないけれど、いつか大人になったら、自分もこんな気持ちになるのだろうと思った。

だから、ずっと聴き続けているのかもしれない。

音楽とは不思議なものだ。そして、僕がこんな気持ちになるのは、結局のところ、ブルース・スプリングスティーンだけなのだ。

2018.10.09
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  YouTube / Bruce Springsteen


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カタリベ
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