リアルに生きてるか 激しく生きてるか
誰かの胸にもたれて 想いを燃やしてるか
どこだったか、ライブ会場で、自分自身を奮い立たせるように、少し声を震わせながら大江千里さんが歌ってた。
一度聴いたら覚えてしまえるほどのメロディーと華やかなサウンドに気持ちが昂ぶったが、歌う彼の表情や動きを見ながら届いてくる言葉に、アルバムで聴いたときより、よけいにズキンと来た。
大江さんの思いを歌声からクリアに感じたからだ。そして、きっと彼とおなじように、ぼくにもリアルに生きてる感覚がなかったからだ。
仕事柄、83年のデビューアルバム『WAKU WAKU』は聴いたはずだが、あまり印象に残っていない。デビュー時のキャッチフレーズは、林真理子さんによるコピーだったのだとか。
「私の玉子様、スーパースターがコトン」
ぼくにはまるで刺さらないコピーだからか、覚えがない。きっとレコード会社がターゲットとしたのは中学生とか高校生くらいの、白馬の王子様願望をふわっと抱いているような女の子だったのかもしれない。
そして、そのふわっとしたコピーを見ながら、ああ、80年代だなあと今改めて思う。
モラトリアムを満喫していた大学時代に80年代を迎え、就職してからも音楽雑誌の編集者という「労働感」の薄い仕事をしていたせいかもしれないけど、ぼくにとっての80年代は、どことなくふわふわとした空気が漂っていたし、「軽さ」や「陽気さ」が好まれる時代でもあった。おそらく。
巷では、フォークソングは暗いと言われるようになり、代わりにニューミュージックという、ふわっと軽くてあいまいな、いかにもなんとなくな呼び名がもてはやされるようにもなっていた。そして、演歌や歌謡曲と、主張のあるロック、ジャズやクラシック以外はほとんどこのあいまいなジャンルに含まれていった。
そうえいば、まさに80年に入ったその年、田中康夫さんの「なんとなくクリスタル」がベストセラーになった。読んではいないが、「なんとなく」というニュアンスに、「なんとなく」共鳴した人も多かったんじゃないだろうか。
85年、初めて大江千里さんにインタビューする機会があり、新作『未成年』(85年3月21日発売)について話を伺ったとき、それまで想像していたより、ずっと真剣に音楽と向き合っている人だと思った。
自身の作品を語るとき、少しだけ大きく開かれる目から、内面に隠し持ったヒリヒリした熱が漏れてくるようだった。デビュー時のコピーが漂わせるようなふわふわしたイメージはなかった。
地面に足をついてもがいてる自分と、そんな自分から抜け出し宙に浮かぶもうひとりの自分と、ふたつに引きちぎられそうな複雑な思いも経験したかもしれない。
ちょっぴり照れくさそうな顔をして、音楽に寄せる生真面目な思いをちゃんと聞かせてくれた記憶がある。
正直なところ、もう少し軽いノリの人かと思っていたので、話を聞くぼくの背筋も少し伸びた。ハンサムで背の高い人だから、もちろんアイドル的な魅力もまとっているけど、本人はそんなことにまるで関心はなく、自分のなかにある風景や言葉が音楽になっていくことに、喜びとか感謝を感じているようだった。
ところで、当時、ぼくにはリアルな自分の気持ちを素直に伝えられる友だちはふたりしかいなかった。ほとんどの友だちとは、軽いジョークを言い合いながら、なんとなく、あたりさわりなく、何事もなく過ごしていた。
だから。
「リアルに生きてるか」
「想いを燃やしてるか」
自分自身にに問いかけるように歌う、大江千里さんの言葉にズキンときたのだ。
『未成年』という作品を作ることで、彼はモラトリアムな時代を終えたのかもしれない。宙に浮いていた目線を地面に落とし、向き合うべきものと向き合い、進むべき道に足を踏み出す。そんな決意を表明したアルバムなのだと思った。
そして最初に収録された1曲に、ぼくも背中を押してもらった。
大江さん24歳、ぼくは25歳。もうモラトリアムで許される年齢でもなかった。
2017.07.02
YouTube / ささきよ
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