ビートルズのジョン・レノンをして、「ロックンロールに別名があるとすれば、それはチャック・ベリーだ」とまで言わしめた男が亡くなって、今日、2019年3月18日で、もう2年が経つ。まぎれもないロックの巨星の1人。今回はその凄さの秘密、いわば裏の顔、B面に迫ってみたい。
最初にラジオで聴いて、心にガツンと来たのはビートルズがカヴァーした「ロック・アンド・ロール・ミュージック」。無論、ジョンレノンの、ど頭の歌い出しに打ちのめされた。早速ビートルズとストーンズがカバーした曲のオムニバス CD を入手、チャックベリーが書いた数曲を期待しながら聴いてみた。一聴して曲の根幹にあるギターのリフとサビが、確かにスッと引っかかってはくるが、拍子抜けするぐらいシンプルなアレンジが多い。曲の良さは感じられたが、アルバムを全部聴きたい! とか、ライブを観たい! とまでは、まだ思えなかった。
僕が彼の音楽的な業績と、その存在の凄さを深く実感したのは、ストーンズのキース・リチャーズが音楽プロデューサーを務めた生誕60周年記念ライブを記録した映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』(1987年)を観た時だった。ライヴ本編は勿論、その錚々たる顔ぶれにも驚いたが、リハーサルでキースが「キャロル」のイントロのリフを弾きはじめるたびに、チャックが、全くもって音楽的なアドバイスとは程遠い、上から目線の駄目出し!「嫌な野郎だなぁ、おい!」って正直呆れた。キースも相手がチャックじゃなかったら、掴みあいの喧嘩になっていたに違いない。苛立ちを発散させているキースを見て、僕はチャック・ベリーは “筋金入りのろくでなし” なんだって感じた。
その後も、ロック暴露本の類を興味本位で読むたび、チャックについて出る話題といえば、絵に描いたようなトラブルメーカーで放蕩三味(苦笑)。ロックンロールを最初に鳴らした首謀者の1人であるにも関わらず、何が彼をそうさせたのか?
今、考え直してみると、チャックの乱行は、彼の長い人生の中で、本人にしか知り得ない、無数の偏見や差別も含む、あらゆる体験から会得した「ブルースを笑い飛ばすのに必要な」彼なりの確信犯的な処世術だったと思える。彼の隠された本音は、すべて彼の音楽の中に込められている。
ブルース・スプリングスティーンは、チャック・ベリーがロックンロールの中に、ティーンエイジャーの日常生活のテーマ(恋愛、車、音楽、etc.)を意識的に取り入れた最初の1人であること、その歌詞の詩的な完成度から深遠な音楽的影響を受けたことをインタビューで告白している。映画『パルプ・フィクション』(94年)でも絶妙なタイミングで流れた「ユー・ネヴァー・キャン・テル」を最近のライブでカバーして披露しているぐらいで、その演奏を一聴するだけで チャック・ベリーの音楽への傾倒が感じられる。
そう、チャックの書いた曲の音楽的余波は、最高の形で世界に浸透していた。デビューから70年代初頭までにチャックがリリースしたタイトルを並べただけで目が眩むようだが、世界中の無数のティーンエイジャーたちがカヴァーし、手のひらの中に受け継ぎ、その幾人かが文字通りロックスターになった。
その最大の恩恵として、チャックは本当に亡くなる寸前まで、ギターとアタッシュケースを片手に自由きままに世界をツアーしながら、その日暮らしすることができた。2015年には御年89歳で、移動も含めた過酷な3日連続公演の後に過労でダウン。その様子が Twitter で速報されて、ファンをやきもきさせたりしたほどだ。
またチャックは、79年を最後に2016年まで37年(!)もスタジオアルバムを制作していなかった。「ずっと連れ添って亡くなった奥さんに捧げたい」という粋な理由で制作中だったラストアルバム『チャック~ロックンロールよ、永遠に。(CHUCK)』は、チャックの息子や娘も制作に参加し、2017年、無事リリースされた。やはり最後まで自身の音楽に、“Less talk,more music” という意思を込めたことを、身内は誰よりも理解していた。
今日2019年3月18日、東京は下北沢で
『チャック・ベリーは生きている』と題されたトリビュートコンサートが開催される。
チャック・ベリーを宿した面子が総出で出演! はたまた91歳のフリしたチャックが赤いギブソンを抱えて、天から舞い降りるかもしれない。ステージの後ろのほうで「ジョニー・B.グッド」を弾きながらニヤッと不敵に笑っていないか、確認する絶好のチャンスだ。
Go! Johnny Go! Chuck!
LIVE FOREVER
2019.03.18