サザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」はいきなり砂まじりの茅ヶ崎から始まり、江ノ島も出てくる。 ファーストアルバム『熱い胸さわぎ』には、桑田佳祐が大学2年の時に初めて作った曲「茅ヶ崎に背を向けて」が収められている。さらにセカンドアルバム『10ナンバーズ・からっと』収録の「ラチエン通りのシスター」などでサザンオールスターズ=湘南というイメージが固まった―― サザンが世に認められた時点で、“湘南サウンド” は不屈のジャンルとなったのである。 ここで着目すべきは、「勝手にシンドバッド」が世に出されるわずか5日前の78年6月20日に、加山雄三のアルバム『加山雄三通り』がリリースされていたことである。 全ての作詞を松本隆が手がけた同盤は、かつて加山が住んでいた実家の前の通りの名をタイトルに冠した表題曲のほか、インストの「七里ヶ浜」、晩夏の名曲「湘南ひき潮」まで、潮の香りに満ちている。 烏帽子岩をバックにしたジャケット写真、若大将はこのアルバムを引っ提げて―― 茅ヶ崎の後輩・桑田佳祐率いるサザンオールスターズを日本の音楽シーンに迎え入れたのだ。 80年代に入ると、『サヨナラ日劇フェスティバル』への出演をきっかけにザ・ワイルド・ワンズが本格再始動。81年に「白い水平線」でスマッシュヒットを放って役者が揃った。ブレッド&バターが「HOTEL PACIFIC」と「湘南ガール」のカップリングシングルを出したのもこの年である。 加山は映画『帰ってきた若大将』で10年ぶりの若大将を演じて「この愛いつまでも」のヒットを放ち、サザンオールスターズは名盤『ステレオ太陽族』を発表した。 このタイトルは、かつて石原慎太郎の小説『太陽の季節』から生まれ、湘南を根城としていた太陽族に由来するのは言うまでもない。映画化された『太陽の季節』でデビューした石原裕次郎が、初主演作『狂った果実』で歌った同名主題歌は湘南サウンドのルーツともいうべき一曲。これですべてが繋がったことになる。 翌82年、サザンは年が明けてすぐに出されたシングル「チャコの海岸物語」が大きなヒットとなり、より存在感を増す。同年のアルバム『NUDE MAN』では飛びきりの湘南ソング「夏をあきらめて」が生まれ、研ナオコのカヴァーヒットでスタンダード化した。 一時活動休止となる前、85年に出された2枚組のアルバム『KAMAKURA』からは、原由子がメインヴォーカルの「鎌倉物語」が生まれている。実験的なサウンドが多かった同アルバムの中での癒しのナンバーだった。 湘南サウンドの系譜として見ると、『KAMAKURA』が出される3ヶ月前に TUBE がデビューしていることが重要で、折しもサザン留守中の86年に「シーズン・イン・ザ・サン」でブレイクを果たした。 TUBE は、88年にシングル「みんなのうた」で3年ぶりに復活を遂げたサザンと並行してヒット曲を連ねる―― 90年に大名曲「真夏の果実」をヒットさせたサザン。対する TUBE は91年のシングル「湘南 My Love」と同曲を含むアルバム『湘南』で真っ向勝負に出た。 これがいよいよ湘南サウンドの到達点かと思いきや、サザンも具体的な地名などがなくとも湘南色の濃い作品を出し続ける。 伝説の茅ヶ崎ライヴが敢行された2000年、特大ヒットとなった「TSUNAMI」の次にリリースされたシングルは「HOTEL PACIFIC」。かつて茅ヶ崎のランドマークとして存在したパシフィックホテル茅ヶ崎をテーマにしており、ブレッド&バターの作品とは同名異曲である。 その後、ホテルの共同経営者であった加山雄三が、2012年のアルバム『若大将・湘南FOREVER』で同曲をカヴァーしていることは余り知られていないだろう。しかもブレッド&バター版とともに「HOTEL PACIFICメドレー」として収録されている凝り様。同アルバムは「想い出の渚」「希望の轍」「湘南 My Love」のカヴァーも収められた湘南サウンドの集大成となっている。 湘南サウンドの生みの親ともいえる加瀬邦彦は2015年に残念ながら旅立ってしまったが、加山を筆頭に、ザ・ワイルド・ワンズもサザンも現役のアーティストである。昨今では加山と桑田の共演の機会も増え、ファンとしては嬉しいところ。 デビュー40周年を迎えたサザンオールスターズが活動を続けてくれる限り、“湘南サウンド” の新たな歴史もまだまだ展開されてゆく。
2018.06.26
VIDEO
YouTube / サザンオールスターズ
VIDEO
YouTube / WAKADAISHO0217
Information