演出家、俳優、歌手として活躍中の錦織一清が自身の誕生日である5月22日に『Blues Style Collection〜10カラットな夜のグラスに〜』をリリースした。2023年に発表した『歌謡Style Collection』に続くカバーアルバム第2弾で、年輪を重ねた味のあるボーカルが評判を呼んでいる。2020年末に独立した錦織はパパイヤ鈴木とのユニット “Funky Diamond 18” としても3枚のアルバムをリリースし、ライブ活動も積極的に展開。2028年公開予定の『僕は瞳に恋してる』で映画監督デビューも決定するなど活動の幅をさらに広げている。多忙な日々を送るニッキに、音楽への想いとニューアルバムの制作秘話を2回に分けて訊く。
錦織一清、ニューアルバムに続き、初のソロ写真集を発売 ―― 錦織さんは61歳の誕生日(5月22日)にヒルトン東京・お台場でバースデーイベントを開催。当日にニューアルバム『Blues Style Collection ~10カラットな夜のグラスに~』を、その1週間後に初のソロ写真集『言魂(ことだま)-10カラットの呟きと共に-』(ワニブックス)を発売するなど、ファンを歓喜させるニュースが続いています。
錦織一清(以下:錦織):還暦を迎えてから写真集を出すことになるとは予想もしていませんでしたけど(笑)今思っていることを10の呟きとしたエッセイも書かせていただきました。タイトルを『言霊』ではなく『言魂』にしたのは普段SNSで呟いているような言葉のなかに魂の叫びがあるという想いからです。
―― アルバム、写真集ともにサブタイトルに“10カラット” というワードが使われています。
錦織:先にアルバムのサブタイトルを決めたんです。夜をイメージした10曲の構成だから『〜10カラットな夜のグラスに〜』。そのあと写真集のサブタイトルを考えた際、せっかくだから10カラットで合わせたわけです。自分の呟きをカラットで表現するのは照れ臭かったですけどね(苦笑)。
次はブルースに特化したものが作れるな ―― アルバムは2023年4月発売の『歌謡Style Collection』に続くカバーシリーズ第2弾。錦織さんは独立後、オリジナル曲や、パパイヤ鈴木さんとのユニット “Funky Diamond 18” としても楽曲をリリースしていますが、邦楽のカバーを歌うことになった動機や経緯を伺いたいところです。
錦織:第1弾の『歌謡Style Collection』に関して言うと、僕はもともと歌謡曲が好きで、自分のラジオ番組(TBSラジオ『たまむすび』内の「月刊ニッキ」コーナー / 2012年~2020年)でもお気に入りの楽曲を紹介していたんです。折に触れて “いつかこういう歌を歌ってみたい” ということも口にしていたのですが、コロナ禍で舞台の仕事などがなくなってしまったとき、その発言を憶えていたスタッフが “この時期にやってみたらどうですか” と。それがきっかけで選曲を始めたわけ。
―― ということは、いずれも以前から思い入れのある曲ばかりだと。
錦織:そうです。『歌謡Style Collection』のときは40曲くらいの候補があったんですけど、自分で作ったリストを見たらブルース系の曲が多いことが分かってね。第1弾では「五月のバラ」や「あずさ2号」「ブルースカイ ブルー」など歌謡曲の王道を歌いましたが、そのときから “次はブルースに特化したものが作れるな” と思っていたんです。
―― それがいよいよ実現したわけですね。プライベートで歌うことも多かったのでしょうか。
錦織:僕はカラオケBOXに行くことはあまりなくて、友人たちとカラオケが置いてある店に行ったときに歌うくらい。そういう場では持ち歌を披露することはほとんどなくて、今回のアルバムに入れたようなブルースを歌っているんです。そうやって馴染んできた楽曲をレコーディングできたことはすごく嬉しかったし、贅沢な経験でしたね。
ボズ・スキャッグス的なAORをやってみたかった ―― 編曲は前作に続いて冨田謙さんが担当されていて、サウンド面の統一が図られています。(注:収録曲「タロー」のみ、大山りほが担当)
錦織:冨田さんには今回も “原曲を気にせず、思うようにアレンジしてください” とお願いしました。原曲を料理の素材とするならば、冨田さんは香辛料をかけ過ぎない方なので、結果的にオリジナルからそう離れていないサウンドに仕上がっていると思います。
―― ミュージカル的なナンバーを歌い踊る少年隊のイメージが強いリスナーにとって、歌謡曲やブルースを歌う錦織さんは意外に映るかもしれません。
錦織:若い頃から “イメージと違う” と言われることが多くてさ(笑)。たとえばクルマで言うと、僕は国産のセダン派で、外車とかスポーツカーに乗ったことが一度もない。ベンツよりも、メッシュのサンダルを履いて、キャンディーズを聴きながらセドリックやグロリアを乗り回したいタイプなのよ。カバーアルバム2枚に関しては、自分のなかではボズ・スキャッグス的なAORをやってみたかったんです。ようやくそういう世界が歌える年齢になったと思うし、日本ではなかなかない方向性のような気がしてね。
―― 普段はどういう音楽を好んで聴いているのでしょう。
錦織:ジャンルにはこだわりません。もともとR&Bやモータウンが好きだけど、ヘヴィメタルやハードロックも聴く。先ほど言ったように歌謡曲も大好き。高校時代はボサノヴァにハマって、アントニオ・カルロス・ジョビンやスタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルトのアルバムも聴いていました。
―― 惹かれる楽曲に共通点はありますか?
錦織:ドライブ感とはよく言ったもので、クルマを運転しながら気持ちよく聴ける音楽が昔から好きですね。家で聴くときも “ドライブしてるな” と感じられる曲を聴くことが多いです。
まず憂歌団の楽曲を追いかけてブルースを勉強するように ―― ブルースとの出会いや、好きになったきっかけをお聞かせください。
錦織:10代の頃は、いろんな音楽を聴いていましたけど、何がブルースかはよく分かっていなかったんです。でも『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)で憂歌団の皆さんとご一緒したとき、“シブいバンドだな” と惹かれてね。出演者が座る、たまり席で木村(充揮)さんに “いいギターですね” と話しかけたら “安いギターでさぁ” と気さくに応じてくださったことがきっかけでブルースに興味を持つようになったんです。
―― 関西ブルースの雄、憂歌団が入口だったとは!
錦織:まず憂歌団の楽曲を追いかけて。その後、木村さんが僕のラジオ番組に出演してくださったとき、おススメの楽曲を質問して、そこからさらにブルースを勉強するようになりました。
―― 『Blues Style Collection』に憂歌団のカバーが2曲(「シカゴ・バウンド」「嫌んなった」)収められているのは、そういう背景もあったんですね。木村さんのハスキーボイスは“天使のダミ声” と言われていますが、錦織さんもアイドル時代の澄んだ歌声とは異なり、ときに掠れた味のあるボーカルが印象に残ります。
錦織:僕は自分の声があまり好きではなかったんですよね。敬愛する矢沢永吉さんの歌とか、渋めの曲を歌わせていただく機会もあったんですけど、永ちゃんのような風合いがまったく感じられなくて、申し訳ない気持ちになったりして。それが30代になって、つかこうへいさんのお芝居を経験してから声質が変わりました。公演中に何度も声が出なくなったので、その都度、病院に行って、吸引機のお世話にもなって、それを繰り返しているうちに今の声になったんです。でも不思議なもので昔の曲を歌うと、今の声とは違う声が出るし、今回のようなブルースでは自然と掠れた声になる。
―― 齢を重ねてブルースにマッチする声になった。
錦織:若いときは生意気だったから、大先輩が “歌というのは、この年齢からだ” みたいなことをおっしゃっていると “高音がバシッと決まった方がカッコいいよ” と思っていたんです。でも最近は、歌詞の内容を理解して伝えるには年輪がないと難しいことが分かるようになった。自分のなかでは2枚のカバーアルバムをやったことで、少しずつですけれども、歌という形になってきたのかなと感じています。
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「プカプカ」はプライベートで歌い込んでいる曲 ―― ここからは収録曲に関するお話を伺います。オープニングの「青い瞳のステラ、1962年夏・・・」は柳ジョージ&レイニーウッドが1980年に発表した曲のカバー。前作『歌謡Style Collection』では柳ジョージさんの「For Your Love」をやはり1曲目に配していましたが、それだけお好きなアーティストということでしょうか。
錦織:そうですね。「青い瞳のステラ、1962年夏…」は植草(克秀)とやったディナーショー(2022年『ふたりのSHOW&TIME』)とか、これまでに何度も歌っているんですが、CD化されたのは今回が初めて。やっと実現して感無量です。
―― 2曲目は西岡恭蔵さんの代表作「プカプカ」(1972年)。多くのアーティストによってカバーされている名曲です。
錦織:西岡さんは僕が好きな「棕櫚の影に」をはじめ、矢沢永吉さんに多くの歌詞を提供されているんです。少年隊にも書いていただきたくて、レコード会社に無理を言って「Morning Train」(1990年 / 作曲:筒美京平)を作詞していただいたこともありました。「プカプカ」はプライベートで歌い込んでいる曲なので、レコーディングはスムーズでしたね。
―― 少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」の作詞を手がけた、ちあき哲也さんも矢沢さんに歌詞を提供していますが、やはり錦織さんの希望で実現したと聞いています。
錦織:ありがたいことですが、もちろん実現しなかったこともあります。先日お亡くなりになった大野雄二さんの曲も歌ってみたかったんですけど、残念ながら叶いませんでした。ジャズミュージシャンらしい都会的なセンスがカッコよくて、特に『スペースコブラ』の主題歌が大好きだったんです。
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「嫁に来ないか」「街の灯り」は僕にとってのブルース ―― 今回のカバーアルバム、意外なところでは「嫁に来ないか」(1976年 / 新沼謙治)と「街の灯り」(1973年 / 堺正章)が収録されています。
錦織:この2曲は子供の頃、テレビだけでなく、街でもよく耳にしていました。あの頃は商店街のスピーカーからもヒット曲が流れていたんですよね。5月に開催したバースデーイベントでも歌ったのですが、“日本人としては日本語の歌をこれくらいのテンポで歌うのがいいなぁ” としみじみ感じました。“この2曲はブルースなの?” と思われるかもしれませんが、僕にとってはブルースなのよ(笑)。
―― イベントで「嫁に来ないか」を生で聴いて、撃ち抜かれた方も多かったようですが(笑)。
錦織:独身の自分と重なり合う歌ではあるんですけど、“還暦を過ぎて「嫁に来ないか」だなんて何を偉そうに” と、自分に叱られているような気分にもなって(笑)。新沼さんは飾らないトークが好きで、当時カードケースに写真を入れていた想い出があります。
―― 「街の灯り」は国民的ドラマ『時間ですよ』(TBS系)の挿入歌としても知られています。
錦織:あのドラマは当時TBSにいらした久世光彦さんの演出でね。天地真理さんや浅田美代子さんが屋根の上で歌い出したり、本筋とは違うコントがあったり、子供ながらアナーキーな演出に惹かれていました。久世さんの作品はそれまでのドラマにはない遊び心がありますよね。出演されていたマチャアキさんはコミカルな演技もできれば、「街の灯り」のような染み入る歌も表現できる。非常に多才な方で尊敬しています。
―― この2曲は奇しくも阿久悠さんの作詞です。前作『歌謡Style Collection』にも「さよならをもう一度」と「ブルースカイ ブルー」の2曲が収録されていました。
錦織:狙ったわけではありませんが、あの時代の楽曲を振り返ると、必ず阿久悠さんの歌詞に行きあたる。僕の周りでも阿久さんのファンはすごく多いですね。
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「タロー」を歌うきっかけは東日本大震災 ―― 意外な選曲という点ではもう1曲、奈良を拠点に活動するシンガー・ソングライター、やなせななさんの「タロー」(2016年)についても伺いたいところです。教恩寺の住職も務めるやなせさんは命の尊さを伝える世界観と、包容力に溢れた歌声で幅広い層から支持されていますが、どういう経緯でカバーすることになったのでしょう。
錦織:きっかけは東日本大震災です。自分にできることはないかと思って、ネットで被災地の状況などを調べていたとき、偶然やなせさんの「まけないタオル」という楽曲が復興支援歌になっていることを知りました。拝聴したら優しい歌声のなかに不思議な生命力が感じられる。素晴らしいなと思って、そこから彼女の音楽を追いかけ始めたのですが、心に染みる曲がたくさんあって、やがて自分が演出するお芝居にも使わせていただくようになったんです。あるとき、やなせさんがわざわざお芝居を観に来てくださって、そこからお付き合いさせていただくようになりました。
―― そういうご縁だったんですね。
錦織:僕は常に舞台で使えそうな音楽を探しているんですけど、やなせさんの歌は力強いのにお芝居の邪魔をしないし、登場人物の心情を表現するのにもふさわしいんです。2015年以降、再演を重ねている『あゝ同期の桜』では、毎回冒頭でやなせさんの「さくら」をかけているのですが、今ではお客様も、出演者も “これから始まるぞ” という気持ちになれるほど欠かせない曲になっています。
―― 今回カバーされた「タロー」は昔ながらの喫茶店を営むマスターが過去を回想しつつ呟く歌。やなせさんのミュージックビデオには『あゝ同期の桜』に出演されていた役者さんたちが出演されています。
錦織:この曲だけ、やなせさんが拠点とする奈良のスタジオでレコーディングをしました。3拍子のブルースなんですけど、原曲の世界観を壊したくなかったので、ハイトーンは封印。スタジオで “力を入れなくても歌えるようなキーで歌いたい” とお伝えしたら、ミュージシャンの方たちとキー合わせをしたうえで譜面を起こし、その場でオケを作ってくださったんです。初めての経験だったので、こういうことが新しい挑戦だな、と感じられて嬉しかったし、これからもそういう挑戦を続けていきたいと思いましたね。
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コンサートでも演出や構成を担当 ―― そう思える出会いや刺激があるのは素敵なことですよね。お芝居で使用する音楽に関するお話が出ましたので伺いたいのですが、数々の舞台作品で演出や脚本を手がけてこられた錦織さんはどういう方法や基準で選曲されているのでしょう。
錦織:新しい作品をやるときは、テーマやシーンに合いそうな楽曲を40〜50曲ダウンロードして、そこから絞り込むことが多いですね。こちらのイメージに合うものをネットで検索することから始まるのですが、シーンによっては歌詞がない方がいい場合もあるので、そういうときはオルゴール曲だったり、ピアノやギターのインスト曲をセレクトしたりすることもあります。その楽曲がもともと歌謡曲だったりすると、オリジナルの歌い手さんや作家についても知りたくなるので、探し始めると明け方までかかることがほとんどです。
―― 錦織さんは少年隊が23年間主演を務めたミュージカルシリーズ『PLAYZONE(プレゾン)』(1986年~2008年)をはじめ、コンサートでも演出や構成を担当されていたそうですが、“ここではこういう音楽を” という考え方はその頃に培われたものでしょうか。
錦織:自分たちのステージの構成は事務所の社長と一緒に作ってましたからね。全体の流れのなかで、ここにショーストップナンバー(ミュージカルやショーにおいて、観客の拍手や歓声が鳴り止まず、一時的に進行はストップするほど見せ場となる楽曲)を入れるとか、ラストはしんみりした曲にして、アンコールでまた盛り上げるとか、そういったことを考えていました。でもそれは僕らに限ったことではなくて、皆さんも同じだったと思いますよ。僕らが活動を始めた頃はまだレコードの時代でしたから、アルバムでもA面5曲とB面5曲で、どういう流れを作るか。B面最後はスローなバラードで締めくくるというような構成は、どのアーティストのスタッフさんも考えておられたでしょうし。
ステージで使えそうなノリのいい洋楽をいつも探していました ―― 少年隊のステージではカバー曲も多数歌われていました。
錦織:レコードデビューする前年から単独コンサートをやっていたし、「仮面舞踏会」でデビューしてからもしばらくはオリジナル曲が少ない状況だったので、ステージで使えそうなノリのいい洋楽をいつも探していました。とはいえアルバムは高かったし、テンポ感があって “これは踊れるな” という楽曲は大体1曲くらいしか入っていない。だからラジオやディスコでチェックした情報をもとにラジオ局の資料室で検索して、カセットテープにダビングしてもらっていたんです。そこは番組に出演していたタレントならではの役得でしたね。
―― 当時のコンサートのセットリストを見ると、スタイル・カウンシル、ブロウ・モンキーズ、ドゥービー・ブラザーズ、マイケル・ジャクソンなど、ダンサブルな洋楽がカバーされています。
錦織:みんな僕の趣味(笑)。これは個人的な意見ですけど、洋楽は1970年代から1980年代にかけてのシーンがいちばんエネルギーがあったような気がします。USAフォー・アフリカに参加したアーティストが活躍した時代。僕らも『ベストヒットUSA』(テレビ朝日系 / 現在はBS朝日で放送中)でカッコいい音楽をチェックしてたしね。
―― 当時の日本は欧米に追いつけ追い越せで、音楽に関してもいかに洋楽のエッセンスを採り入れるかがポイントでした。この10年、盛り上がっているシティポップはその最たる例だと思います。
錦織:歌謡曲を聴くと、その時代の洋楽のトレンドが分かったりしますよね。たとえば1960年代から1970年代前半にかけてのモダンな楽曲はラテンポップが多い。それが変化し始めたのは1970年代後半で、最近伝記映画が公開されたマイケル・ジャクソンがモータウンからエピックに移籍した頃だと思うんです。その時期からR&Bが浸透していったんじゃないかな。
*後編でもニューアルバムに関する話を中心に、音楽観や今後の活動に対する想いなどを伺います。
2026.07.03