2月14日

1990年2月14日【ローリング・ストーンズ 初来日公演】21世紀型ライブビジネスの幕開け

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ザ・ローリング・ストーンズの初来日公演初日(東京ドーム)
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photo:rollingstones.com  

スタッフサイドから見たローリング・ストーンズ初来日


記念すべき初来日公演を、部門長として迎えるという光栄―― 私がCBS・ソニー洋楽部門の責任者になった1990年、ザ・ローリング・ストーンズ(以下:ストーンズ)の初来日が決まりました。年が明けて間もない頃に発表され、この時のメディアやチケット争奪の狂乱ぶりは、記憶に生々しく残っています。そこで、今回はスタッフ側から見た初来日公演の模様などを書いていきたいと思います。

まず、洋楽アーティスト興行の一般的なフローは、プロモーターと呼ばれるウドー音楽事務所やキョードー東京、クリエイティブマン、H.I.P. といった日本の興行会社が海外のブッキングエージェントと交渉。

新譜を発表しライブをスタートさせたアーティストは、太平洋地区においてオーストラリア&ニュージーランド公演を先に確定させ、その前後に日本公演をくっつけることが多いので、エージェントからその旨の情報を待ちます。特定の会社にだけ連絡が入る事もありますが、金額を吊り上げるために、あえて競合させる場合もあったりします。

欧米のアーティストのほとんどは、特定のエージェントにライブのブッキングを委託しています。ちなみに海外のエージェントで言うと、ウィリアム・モリスやプレミア・タレントなどが有名です。エージェントは通常の来日公演やビッグ・フェスティバルは勿論、テニストーナメントやエックスゲームズといった巨大スポーツイベントから、eスポーツ、サーカスに至るまで、ありとあらゆるライブやイベントに介在しています。

また、昨今の音楽興行の世界では、従来からの大手エージェントに対抗して、新勢力も生まれています。まずは1番手にレディ・ガガで一躍有名になったライブネーション、2番手には AEG。―― この2つの会社は新しいビジネスのスキームの提案を行うと共に、米国内においてはメディアや会場、チケットの販売会社まで有しています。そうすることでアーティスト達を囲い込み、それぞれがシェアを伸ばしてきたのです。

そして、この21世紀型ライブビジネスの原型とも言えるプロトタイプが、ストーンズのツアーをきっかけに誕生し、初来日公演を実現させたのです。

ロック史上初!全世界の興行を一括して仕切る巨大ビジネス




1989年にストーンズはアルバム『スティール・ホイールズ』を発表。同時にほぼ7年ぶりのワールドツアーがアナウンスされましたが、このニュースに世界中が驚きました。なぜなら、カナダのライブ会社BCL(マイケル・コール主宰)が当時のレートで約100億円を支払い、このツアーの全世界での興行権を獲得したからです。

これはバンド側にしてみれば、最低限度のギャランティが前払いされたわけですし、リスクはゼロ。大金を叩いたBCLにしても、勝算あってのものでウィンウィンのディールだという事です。一括して全世界の興行を仕切るというやり方は、ロック興行史上初めての事でしたし、その契約金の巨額さもライブビジネスがメインのストーンズだからこそ成立しました。

つまり、この契約で、BCLがストーンズのツアーでは、マスタープロモーターと呼ばれる位置づけとなり、直接的に各国の興行主(ローカルプロモーター)と交渉、それまでアーティストに何らギャランティすることなく手数料を抜いていた中間エージェントを介在させずに、ワールドツアーを大成功させたというわけです。

初来日公演も、この流れの中で決定されました。”マスター・プロモーター・システム” は、まさにストーンズ、U2、レディー・ガガなど、スーパースターだけの特権ではありますが、昨今の巨大な興行ビジネスを牽引しています。

当時は極めてレアケース、日本のローカルプロモーターは東京ドーム


さて、次は誰が日本でのローカルプロモーターであったかですが、答えは会場でもあった東京ドーム。正式には当時の社名で『株式会社 後楽園スタヂアム』でした。

ストーンズ公演は彼らにしても初めての手打ち興行、要するに、BCLと交渉して権利を獲得したというだけですが、東京ドームを代表とした日本チームの組み方も色々と大変なものがあったはずです。スポンサーは大塚製薬でしたが、主催局は日本テレビ。後援メディアは読売新聞とFM東京、テレビによるライブ中継もありました。契約書に至っては昔の電話帳ぐらいの分厚さがあり、各項目別に重箱の隅々をつつくような詳細な条件が記されていたと聞いています。

実際にストーンズは東京ドームだけでしか公演を行っていませんし、巨大ステージの移動がない分、コストを軽減することができました。その上、自前会場ですからビジネス的に勝算もあったのです。これを会場自らが興行を打つケース、いわゆる “ハウスプロモーター” と言いますが、海外では興行会社が施設を所有しているケースが多いので、特に珍しい事ではありません。日本では、ブルーノートやビルボードライブなどが、このハウスプロモーターにあたりますが、東京ドームほどの大型施設が興行を行う事は、当時は極めてレアなケースでした。

ストーンズのツアーを切っ掛けに新しく誕生した “マスター・プロモーター・システム” でハコを持つ東京ドーム自らが興行を行った。つまり、今までに無かった組み合わせの中で、ストーンズの初来日公演は実現したのです。

ウェルカムパーティで津軽三味線に興味を示したキース・リチャーズ




この初来日、我々 CBS・ソニースタッフにとってのハイライトは宿泊ホテルで開催したウェルカム・ジャパン大パーティです。名付けて “HAPPI (はっぴ)PARTY”、コンセプトは日本の祭りでした。

ストーンズ御一行は100名ほど。日本人ゲストは、ライブ関係者、メディア、ジャーナリスト、VIP… そして、選抜された弊社所属の国内ア-ティスト達を合わせて、総勢200名。全員、色違いのハッピを着用してもらいました。ストーンズ用には、それぞれ名前がはいった特別あつらえのハッピを用意。そしてバイリンガルの女子社員5名が着物を着用し、マンツーマンで彼らに付き添います。メンバーのみなさん喜んでハッピを着てくれましたが、スタイリッシュなミックには拒否られてしまいました。

メンバー全員壇上にあがっての鏡割り。乾杯。そして、ディスク授与。セレモニーはシンプルに、ひたすら日本のお祭りを楽しんでもらおうという企画です。宴会場は射的、輪投げなど縁日風に設え、ステージには、津軽三味線のグル-プがスタンバイ。そして祝い事と言えばこの方々、海老一染之助・染太郎の登場です。ストーンズのメンバーに理解されたかどうかは甚だ疑問ですが、発砲スチロールで作った丸い石を傘の上で転がしながら、「こんぐらちゅ れいしょん~、ろーりんぐ すとーんず」と叫んでくれました。

このパーティで一番印象に残っているのは、津軽三味線の演奏が始まった時に見せたキースの表情です。とにかく十棹近い数で合奏が始まるとものすごい迫力です。すると酒を飲みながら場内をふらついていたキースの足が止まりました。ロンと一緒にその場に座り込むと真剣な目つきで食い入るように演奏を見ています。津軽三味線に興味を示したキースの顔つきを私は忘れる事ができません。この時、ある国内アーティストが、演奏に聴き入っている彼に話しかけようとしました。しかし、厳しい表情で断られてしまいました。キースは邪魔されたことに、不機嫌そうでした。

ミック・ジャガーのスイートルーム、次に入ったのがポール・マッカートニー


最後に、日本公演終了後に面白い出来事があったので紹介しておこうと思います。

ミックとキースは都内高級ホテル最上階の2部屋しかないペントハウスに滞在していました。当時で一晩30万円ほどの豪華スイートルーム。実は彼らからのリクエストもあり、2人の部屋にはSONYのオーディオセットが置かれていたのです。

スト―ンズ公演の直後にはポール・マッカートニーの初来日公演が決まっており、ポールもミックと同じ部屋に宿泊を予定していました。そして、スト―ンズが帰国するとポールのツアー斥候(せっこう)部隊が、事前に部屋のチェックにやってきました。するとミックの部屋にあったオーディオセットをいたく気に入り、「そのままポールにも使わせてくれないだろうか」と問い合わせが入ったのです。お礼に東京ドーム公演のチケットを10枚準備するから、と。もちろん断る理由もなく、私はOKしたのですが――

この当時、日本におけるポールのレコード会社は 東芝EMI。親会社、東芝にはオーレックスというオーディオブランドがあります。東芝サイドにしてみれば天下のポール・マッカートニーが、SONY製品で音楽を楽しんでいる事は想像したくないですよね。プライドにかけ、すべて東芝のセットに替えてしまいました。残念ながらチケット10枚はもらえなかったのですが、気にしてくれたポールのスタッフが5名をライブへ招待してくれました。そういうわけで私もポールの日本公演を楽しめた… というお話です。

ちなみに、ミックは自分が滞在した部屋に、その後すぐにポールが入る事を知っていました。冷蔵庫の中に「俺からのギフトだ」と書いたメモと一緒にフルーツを残していったのです。


※2017年2月14日、2020年2月14日に掲載された記事をアップデート

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2024.02.14
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