サザンオールスターズのカバー「夏をあきらめて」
2020年の夏は、コロナ禍の地続きで、マスクをつけたまま始まった。長い梅雨が開けた喜びも束の間、あっという間に暑さ地獄に突入。東京都心では最高気温が35℃以上となる “猛暑日” が11日間となり、8月としては観測史上最多となった。そんな大変な暑さに見舞われたものの、どこかに旅行にも行き難く、友だちとスカッと遊びに行くこともしにくい… などと思っていたら、いつの間にか9月。このまま夏は過ぎていってしまうのか。
そんな季節の終わりの手前、研ナオコの「夏をあきらめて」。1982年7月にサザンオールスターズがリリースした5作目のアルバム『NUDE MAN』に収録された歌のカバーだ。
リリース当時私は5年生。大人気の日本テレビのバラエティ番組『カックラキン大放送!!』で、野口五郎とからんでいたヨボヨボの “ナオコお婆ちゃん” が、番組内でいきなりしっとりとこの歌を歌い上げ、ギャップに驚いたものだ。本家のサザンバージョンより、研ナオコの声があまりにもたそがれていて、ぐったりしていて、とても好きだった。
一文字に心理描写を込める桑田佳祐の歌詞
この歌の中で、恋人同士は、海に遊びに行く。いわゆる “めっちゃホリディ” しにいったはずだ。しかし、雨雲が近づき、海から上がった恋人たち。女の胸元が揺れて、砂にしたたるしずく。本来だったらセクシーな “水もしたたる” 女のそれを、男は言葉もなくぼーっと見ている。
その後、恋人と海岸のホテルに駆けこむ。未練たっぷり、うらめしげに渚を眺める恋人の水着は腰のあたりまで切れ込んでいるハイレグか。本来だったらセクシーな女の水着姿を、男は今度は見ることもできない。冷えた体を温めるため、熱めのお茶を飲んで、恋人はシャワーを浴びる。
ここから、この恋人同士はヒマなんだから、海岸のホテルにしけこんで、することをすればいい。しかし、恋人は泣いている。いくらなんでも、海で遊べないくらいで泣くだろうか? また雨があがったら、また明日、またもしかしたら来年、一緒に海で遊べばいいじゃないか。
よく見ると、桑田佳祐の歌詞は凝っている。一文字にも心理描写が込められている。「恋人 “も” 泣いてる」と、歌うのだ。“も” ということは、この恋人を見ている男も「泣いてる」のだ。そもそも、男が、女が、あきらめたのは “夏” だけではない。“ふたりでいること” をすでにあきらめ合っている。
だからむしろ、夏とか、海とか、湘南とかの舞台を借りて、無理にでも思い切り “めっちゃホリディ” on the beach したかったのかもしれない。でも、計算違いの雨で、暴かれてしまった。もう、終わりなんだと、わかってしまった。次なんてもうないから、女は泣いた。男も泣いている。このふたりは休暇を終えたら、別れるのだろうか。
あきらめからの始まりを、けだるく歌う研ナオコ
Darlin' Can't You See?
I'll Try To Make It Shine
Darlin' Be With Me
Let's Get To Be So Fine
という英詞部分に、男の心の声が聞こえる。ねえ、わかってる? 次はピーカンにできるように俺が頑張るから、一緒にいてよ。一緒に全部、オッケーにしようよ。
男のかすかな希望は、窓から見える岩の影のまぼろしかもしれない。しかし、虹が出ている、ということは雨が上がったのか。 雨上がりの光の中、江の島は遠くにボンヤリ寝てる。
そんな窓の外への視線を、シャワーからあがった恋人にふと移せば、彼女も横で寝ているのかもしれない。そんな恋人を見ながら、こう言う。
このまま君と あきらめの夏
最初は言葉もなく、次はふたりで泣き、最後は「このまま君と」と、あきらめの階層に変化が見られる。最後の最後、「あきらめ」から何かが始まり、恋の黄昏に射す細い細い光明が見える。ほんの少しの見込みではあるけれど、このふたりは別れないかもしれない。少なくとも、男の中の何かは、その可能性に賭けるのではないか。
それを表情も変えず、けだるく歌う研ナオコ。この歌を聞いていたら、私たちの今年の夏も、まだまだあきらめなくてもいいかもしれないと思えた。
※2017年8月25日に掲載された記事をアップデート
2020.09.05