八王子市夢美術館で開催中の『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』展(2018年7月13日~9月2日)に行ってきた。
ゴーリーといえばヴィクトリア朝ゴシックの雰囲気を濃厚に醸したモノクロームの線描画で、ときに残酷、ときにユーモラスな絵本を数々手掛けてきた天才アーティストだ。その彼の作品群のなかに、『おぞましい二人』と題された作品がある。今回のコラムではこの作品の元になったある殺人事件が、ポップミュージックの世界に投げかけた影を追ってみたい。
その事件とは1963年から1965年の間に起きた「ムーアズ殺人事件」である。ヒトラーの『我が闘争』を原文で読み、マルキ・ド・サドの悪徳の思想を実現せんとするイアン・ブレイディと、その恋人で職場の同僚であるマイラ・ヒンドリーの “おぞましい二人” が次々とマンチェスターの子供たちを誘拐・惨殺し、沼地(ムーア)に埋めたことでこの名がついた。英国の消えないトラウマ―― そう言っていいほどにショッキングな事件だった。
海の向こうの事件であり、なおかつシカゴ生まれのゴーリーといえども、これには驚きを隠せなかった。というのも『不幸な子供』では実の親が自らの子供と知らずに車で轢き殺すところで終わり、『蟲の神』ではさらわれた子供が昆虫の神の餌食にされるなど、ゴーリーは彼自身の絵本の中で何度も無慈悲に子供を殺してきたからだ。だから彼はこの事件に接して今まで書いてきたことが全て現実になったような恐怖を覚えた。そして、ある種の「贖罪」を形にしたのがこの『おぞましい二人』なのである。
この衝撃はマンチェスターに暮らすスティーヴン・パトリック・モリッシー少年にとっても例外ではなかった。「言葉には出来ない、表現しようのない怨霊がマンチェスターの町を覆っている。スティーヴンの目にはそんな風に映っていた」と、ザ・スミスの伝記本『モリッシー&マー 茨の同盟』でジョニー・ローガンは書いている。まるでスティーヴン・キングの『IT』を思わせる街全体が殺人鬼ペニーワイズに取り憑かれたような記述だが、実際この重々しさは誇張でも何でもなかったのだと思う。
「マンチェスター、お前は償うべきものが多過ぎる」
このリフレインが印象的な、ムーアズ殺人事件を題材にした「サファー・リトル・チルドレン」という曲を、事件発覚から15年以上の年月が過ぎたにも関わらずマー&モリッシーは作曲しているからだ――
「多分もう二度と会うこともないだろう」と、後の二人の関係を予告したような歌詞をもつデビューシングル「ハンド・イン・グローヴ」をスミスの出発点と据える人も中にはいるだろうが、キングス通り384番地のモリッシー宅で初めて二人で作った曲がこの「サファー・リトル・チルドレン」であること、そしてセルフタイトルのファーストアルバムの最後にこの鬱々たる鎮魂歌を置いた構成からも、スミスというバンドの「アルファにしてオメガ」は実はこの曲ではないかと僕は感じている。
ところで、この曲とこの事件を取り上げたのは、「聴く」ということを改めて問いたかったからでもある。そこを最後に述べて、この暗鬱としたコラムに決着をつけたい。
マイラ・ヒンドリーは死んだ。そして2017年にイアン・ブレイディも死んだ。彼らの呪いは解けたのだろうか? オウム真理教の元幹部らに対する死刑執行の記憶も新しい今、この「サファー・リトル・チルドレン」に深く耳を傾けることは、単なる懐メロ主義を超えた深い意味をもつ気がする。
事件のことを調べ、殺された子供たちの顔写真からその人生に思いを馳せ、ゴーリーの絵本の暗く沈んだデッサンに触れ、スミスの楽曲を通じて事件に「入り込む」こと。こうした絵本・写真・音楽を相互参照した「立体的聴取」(※注)からようやく浮かび上がる「体験」を大切にすること、自戒をこめて書きたかった。
ページトップにあるゴーリーの『おぞましい二人』から抜き出した絵には「一晩の大半を、二人はさまざまなやり方で子供を殺すことに費やした」とだけ文が添えられていて、具体的な描写はまったくない。そこには血塗られた衣服のようなもののと、カメラが据えられているのみだ(実際、ブレイディとヒンドリーは殺害現場を撮影・録音している)。
動きも音もまったく感じられない。しかし逆説的に、このゴーリーの沈黙のデッサンは、スミスの楽曲に併せて事件をより深く「聴く」こと、「体験」することを強烈に僕たちに促しているように思えるのだ。
※注:
ただ鳴ってる音だけを云々する「平面的聴取」の立場の否定形。
2018.08.27
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