ジョン・レノンとポール・マッカートニー。2人の元ビートルズがグループ解散後に発表したクリスマスソングが、シングルレコードで11月7日に揃って再発売された。どちらもクリスマスシーズンに欠かせない名曲であり、もはやそれぞれのソロキャリアの代表曲のひとつと言ってもいいほどだ。
1979年にリリースされた「ワンダフル・クリスマスタイム」
ポール・マッカートニーのシングル「ワンダフル・クリスマスタイム」がイギリスでリリースされたのは、1979年11月のこと。日本では翌12月1日にリリースされ、それから10日後の12月11日に発表されたポール・マッカートニー&ウイングスの初来日公演への期待に沸き立つなかで、この曲も受け入れられていった… ということならば説明も簡単だったのだが、ご存知の通り、年明け1980年に来日したポールは成田空港で大麻所持のため逮捕。来日公演は幻となった。
それだけではない。この年の冬、5年間の専業主夫生活を終えたジョン・レノンが音楽活動を再開させたのも束の間、衝撃的な事件により命を落とす。そして、活動を停止していたウイングスは翌年に事実上の解散… 1980年は世界のビートルズファンにとって悪夢のような1年になった。
ーー と、いきなり古傷に塩を塗り込むようなことばかり書いてしまったが、初めて世に出たタイミングの悪さで背負ってしまったこの運命が、長らくこの曲の扱いを不遇なものにしていたような気がするのだ。この時系列を知ると、この能天気な、不穏さのかけらもない「ワンダフル・クリスマスタイム」にかえって複雑な感情を抱えてしまう感覚は、それから45年の月日が経とうとも察するにあまりある。
素敵なクリスマスの時間を楽しんで過ごそうよ
この少し前の1979年夏、のちにアルバム『マッカートニーⅡ』として発表されることになる、ポールひとりのレコーディング・セッションのなかでこの曲は生まれた。すべての楽器をポール1人が演奏し、ウイングスのメンバーは一切参加していない。よってレコードのアーティスト名義も完全にソロの “ポール・マッカートニー”。1971年のウイングス結成以来初めての事態に、熱心なファンが “グループ解散の兆しはここにあり” とこの曲にネガティブな印象を持つ原因はここにもあった。
しかし、それはおそらく考えすぎでポールにしてみれば、たまたま季節柄に合わせてプライベートな楽曲をパッと出しただけだったのではないかと思う。これをウイングスのメンバーを集めて正式録音したとしても、劇的にサウンドが変わることもなかっただろう。それは翌1980年にリリースされることになる新曲「カミング・アップ」とともにウイングスのステージで演奏されていたこのライブバージョンを聴くとよくわかる。
なにせ、すでにジョン・レノンがケチのつけようのないクリスマスソング「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」の評価をものにした後のことである。何か出せば比べられるのは避けられず、ポールはさぞやりにくかったはずだ。これは私の邪推に過ぎないが、その無意味な世間のノイズにバンドを巻き込みたくなかったのではないだろうか。この曲におけるポールの曲作りはジョンのそれとはまったく対照的で、“一切思想がない” という点で一貫している。“素敵なクリスマスの時間を楽しんで過ごそうよ” 言いたいことはそれだけである。
“ジョンがそう来るなら僕はこうだ” ーー と、ちゃんと対極になるものを持ってくることからもポールは本当に器用な人だと思う。もちろん彼が世界平和に対してまったく無思想であるはずもなく、まあ、それについては第一次大戦中の “クリスマス休戦” の実話をもとにした「パイプス・オブ・ピース」(1983年)のミュージックビデオをぜひご覧いただきたい。
ポール・マッカートニーのまったく気負いのないホリデーソング
個人的な肌感覚の話で申し訳ないが、この「ワンダフル・クリスマスタイム」がクリスマスシーズンに街中で欠かさず流れ、“いい曲” として日本で受け止められるようになったのは、この10〜15年くらいのことである。いま耳にする頻度はジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」に比べてはるかにこちらのほうが高く、クリスマスアンセムとしての地位はほとんど逆転していると言っていい。これは発表から40年近い年月を経て、ファンの世代交代などによって文頭に記したショッキングな感情が薄らいできたということも大きいだろう。
それだけではない。確かな情報として言えるのは、2010年代以降に「ワンダフル・クリスマスタイム」の評価が急速に高まり、有名無名を問わず若いミュージシャンによるカバーが急増していったことだ。これはポールのマルチプレイヤー、ひとり多重録音のパイオニアとしての再評価が背景にある。サブスクリプションなどの音楽配信のプラットフォームが整い、個人レベルでの楽曲リリースが活発になったことによって、その勢いはさらに高まった。
2020年にはコロナ禍という事態を逆手にとって、ポールの多重録音シリーズ40年ぶりの続編『マッカートニーⅢ』が作られたこともこうした機運と無関係ではないだろう。なにより大きかったのは、この曲でポールが使用したヤマハのシンセサイザー、CS-80の音色が “80年代リバイバル” の文脈と結びついたことだ。技術の進歩でこのサウンドの再現も容易になっていたことで、時代を超えて現代の流行との親和性をさらに密にしていったのである。
誰にも真似できない、ジョン・レノンの普遍的で力強い愛と平和のメッセージと、誰もが真似したっていい、ポール・マッカートニーのまったく気負いのないホリデーソング。ここでもまた2人のスタンスの違いが明確に分かれた。この、どこに対しても開かれている間口の広さが、時間をかけて楽曲を永遠のものにしたのである。
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2025.11.15