7月13日

ポールにとって “人生最悪の時” だったライヴエイドの1分48秒

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ロンドンのウェンブリー・スタジアムで「ライヴエイド」が開催された日
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photo:BEATLES AND PAUL McCARTNEY ARE LOVE  

あんなに長く感じられた1分48秒は後にも先にもなかなか無いだろう。

日本時間の1985年(昭和60年)7月14日(日)早朝7時前、ロンドン、ウェンブリー・スタジアムでライヴエイドはフィナーレを迎えた。トリで登場したのは全世界が注目するポール・マッカートニー。84か国で同時中継がされている中、ピアノを弾き歌い始めたのはザ・ビートルズの名曲「レット・イット・ビー」。

しかし次の瞬間、当時大学1年の僕は文字通り耳を疑った。「ポールのヴォーカルが聞こえない!」

32年前の1985年7月13日、ロンドンとアメリカ・フィラデルフィアで、ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフが主宰するアフリカ難民救済チャリティーコンサート、ライヴエイドは開催された。それこそ枚挙に暇が無い程の一流アーティストが参加したのだが、その中でも事前に一際話題になっていたのがポール・マッカートニーだった。

1980年1月のウイングスでの日本公演が中止になって以来、盟友ジョン・レノンの不慮の逝去もあり、ポールはMV撮影時のファンクラブ会員を集めてのミニライヴを除き全くステージに立っていなかった。ポールにとってライヴエイドは’80年代初の公衆の面前でのステージとなった。

5年半振りにステージに立つポールには過大な期待が寄せられる。’70年代にちょくちょく話が出た “ビートルズ再結成” だ。しかしジョン・レノンが亡くなったのに何故また?

それには前年ジョンの遺児ジュリアン・レノンが鮮烈なデビューを果たしていたこともあった。ジュリアンを加えての “再結成” がまことしやかに噂されていたのだった。

僕らビートルズファンは “再結成” にはさほど期待せず、まずはもう生(=リアルタイム)で観られることは無いかもしれないと思っていたポールが生中継で観られることに大いに胸をときめかせながら、眠い目を擦りつつ、13日21時から始まったフジテレビの中継を徹夜で観ていたのだった。

黒いニットというラフないでたちでピアノの前に座ったポール、しかしそのヴォーカルは聞こえない。耳を澄ますと微かにそれらしき歌声が聞こえるので、ポールが歌えないというわけではなさそう。となると機材トラブルなのか…。

ファンになって5年、やっと初めて観る生ポールがこんなことになってしまっている。泣きたい気分とは正にこのことだった。しかし泣いている暇など無い。曲が終わるまでにポールのヴォーカルが聞こえる様になることを、僕は祈るほか無かった。

2コーラスめが終わった時、大きなノイズが入った。そしてポールのヴォーカルがオンになった! 観客からも大きな歓声が上がる。会場でもポールの歌声は聞こえていなかったのだ。

僕はほっと胸を撫で下ろした。歌い始めからここまで1分48秒が経っていた。

4コーラスめ、再び場内が沸く。ステージに現れる複数の人影。すわ “ビートルズ再結成” か、と思いきや、それはボブ・ゲルドフ、ピート・タウンゼント(ザ・フー)、アリソン・モイエ(ヤズー)、デヴィッド・ボウイの4人。サビをユニゾンで歌っていた。

やはり “再結成” は無かった。しかしそんなことよりも、ポールの5年振りのパフォーマンスが何とか半分の失敗で済んだことに、僕は安堵するばかりだったのだ。

トラブルの原因はポールの前にパフォーマンスしたクイーンのフレディ・マーキュリーとブライアン・メイのクルーがポールのマイクのコードまで抜いてしまったことだった。

ステージを降りた後にこのトラブルを知ったポールは自ら申し出てヴォーカルを再録。2004年にリリースされたライヴエイドのDVDでは、冒頭からポールのヴォーカルがオンになっている。

2007年にはポールも自らのDVD『ポール・マッカートニー・アンソロジー 1970 - 2005』にこの曲を収め自らコメンタリーも付けているが、“人生最悪の時” と明言している。

僕らが初めて生で観たポールは正に最悪の時のポールであった。とまれ一生無理かと思った生ポールが観られたことに僕はまずまずの達成感を抱いたのだが、実は僕らが観ていたポールは生(=リアルタイム)ではなかったのである…

続きは明日『フジテレビが中継したライヴエイド、僕らの観たスーパースターは1時間遅れ』で!



2017.07.13
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カタリベ
1965年生まれ
宮木宣嗣
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