それはリアルタイムで経験したファンにとっては正に悪夢と言ってよい程の衝撃だった。ポール・マッカートニーが1986年9月に発表したオリジナルアルバム『プレス・トゥ・プレイ』が全米チャートで最高30位(2週)に留まったのである。
’80年の『マッカートニーⅡ』が全米3位、’82年の『タッグ・オブ・ウォー』が全米1位と、80年代初頭のポールは70年代のウイングス同様快進撃を続けていた。それが突然つまづいたのが’83年の『パイプス・オブ・ピース』だった。1stシングルの、マイケル・ジャクソンとの共演「セイ・セイ・セイ」こそ全米6週1位の大ヒットだったのに、アルバムは最高15位に終わってしまったのだ。
オリジナルアルバムとしてはビートルズ時代を含めて初のトップ10落ちだった。翌’84年のビートルズ等のセルフカヴァーを含むサントラ盤『ヤァ!ブロード・ストリート』も21位。『プレス・トゥ・プレイ』もその低落傾向に歯止めをかけられなかった。
憶えているだろうか、ポールに限らず80年代半ばはベテランアーティストがチャート上で苦戦した時期だったことを。’86年だけで言ってもエルトン・ジョンは『レザー・ジャケッツ』で全米最高91位という自身最低の記録をマークし、ボブ・ディランの『ノックド・アウト・ローデッド』も54位止まり。ビリー・ジョエルの『ザ・ブリッジ』の全米7位もザ・ローリング・ストーンズの『ダーティー・ワーク』の全米4位も、彼らにとっては低い最高位で評価も芳しくなかった。
一方では’83年に『ハーツ・アンド・ボーンズ』で最高35位と苦汁を舐めたポール・サイモンが『グレイスランド』で全米3位とひと足お先に復活を果たしたり、ボストンが8年振りの新作で全米1位を獲得したりもしていたのだが。
ザ・ポリスやジェネシスのプロデューサーで当時売れっ子だったヒュー・パジャムを起用した『プレス・トゥ・プレイ』はファンの間では決して評判の悪いアルバムではない。曲も揃っているしエッジも立っている。往年の名カメラマン、ジョージ・ハレル撮影のジャケットも美しい。しかしセールスもきちんと気にするポールにとってこのアルバムの評価は決して芳しくない様で、今年2016年に出たオール・タイム・ベスト『ピュア・マッカートニー』の通常盤CD2枚組にも1曲も収められなかった。
この後トップ10の常連に返り咲いたポールにとって、全米最高30位は恐らく底になりそうである(次点は2001年の『ドライヴィング・レイン』の最高26位)。しかしあの80年代中盤のベテラン勢の苦戦は一体何だったのだろうか。その後皆揃って、見事に復活しているのだが。
2016.09.24
YouTube / Eduardo Robles
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