7月14日

1985年のモントルー・ジャズ・フェスティバル、そしてマイルス・デイヴィス

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photo:montreuxjazzfestival.com  
photo:TAKARAJIMASHA  

前回、ソニー・ミュージックの国際部にいた田中章(アキ)さんの名前を書いたら、ひとつ、話を思い出しました。アキさんとの初仕事です。

1985年5月、私は EPICソニーに中途入社、既に “GONTITI” という担当アーティストがありましたが、その他は特に火急の仕事もなく、しばらく比較的のんびりとした日々を過ごしておりました。そのおかげで拝命したのが、あるバンドの海外ライブのアテンドという仕事。

バンドの名は “Apsaras(アプサラス)”。年配の人なら “トラヴェリンバンド” という高知のバンド(“フラワー… ”じゃないよ)の名を聞いたことがあるかもしれません。70年代、四国では知らない人はいないと言われたブルースロック系ジャムバンド。そのバンドが84年に再編してアプサラスとなり、EPIC と契約しました。

今でこそ地方に拠点を置いたまま活動するアーティストも珍しくありませんが、当時は売るためには東京に出るのが当たり前、高知に生まれ、暮らし、メンバー全員土佐弁丸出しで、坂本龍馬と会話しているような気分になるバンドは希少でした。

音楽性は、当時ややブームの感があった “ニューエイジ”(もはや死語ですけど)に入れられるタイプで(GONTITI なんかもそう呼ばれました)、淡々とアーシーなグルーヴが続くのが心地よいのですが、シングルヒットにはあまり縁がなさそうな感じ。話題のジャンルだからと EPIC が契約したのかどうかは知りませんが、ともかく “この手” は海外だろうという発想で、いろいろ動いていたようです。その甲斐あって、プロモーションビデオが海外のなんとかって賞をとったり、84年にリリースされた唯一のアルバム『APSARAS』は海外発売もされたそうです。その時、“モントルー・ジャズ・フェスティヴァル”へ出演のアプローチをしたのですが叶わず、と思ったら1年後になって、OK の返事が来たというしだい。

実は EPIC ではその先の見通しは立っておらず、今更行っても意味があるのか疑問でしたが、レコード会社として断るわけにもいかないと、受けることになりました。ところが発売当時の担当 A&R は人事異動で別のポジションにあり、随行できない、というわけで制作部でいちばんヒマだった私にお鉢が回ってきたのです。

とは言え、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルと聞いて、“モンタレー・ポップ・フェスティヴァル” のジャズ版? と思い、アメリカに行くんだと思っていたような私です。おまけにアプサラスのメンバーも誰一人知らないし。

ジミ・ヘンドリックスやオーティス・レディングが出演して大きな話題になった1967年のモンタレー・ポップ・フェスティヴァルは “Monterey”、アメリカのカリフォルニア州の町。一方、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルは “Montreux” で、スイスのレマン湖畔にある町なのです。で、モンタレーのほうも、ポップはあの1回こっきりなんだけど、ジャズフェスは当時も今も続いていて、たしかに紛らわしいことは紛らわしい。

そして、メンバー誰も知らないと思っていたら、キーボードを、光森英毅という、私の大学の同級生&同クラブ(軽音楽部)員だった男が担当していてビックリ、大学以来の旧交を、こんな形で温め合うことになりました。余談ですが、この光森は、後に長らく、私がドラムを担当する “おやじバンド” のメンバーでもありましたが、昨年鬼籍に入ってしまいました。

ともかく、頼りない私一人で務まるのかとビビりましたが、国際部のアキさんが同行してくれると知って安心。実際、現地でのフェスサイドとのコミュニケーションはすべてアキさんがやってくれたので、こちらは、窓から美しいレマン湖を望む贅沢なホテルに寝起きし、陽光あふれる夏のモントルーを満喫するという、贅沢旅行のような気分で過ごすことができました。たいへんだったことと言えば、楽器をたくさん持ち込んだので、“カルネ” という免税処理の煩雑な手続きと、空港税関でのチェック作業くらいかな。

そんな中で忘れられない思い出は、なんと言っても出演がマイルス・デイヴィスと同じ日だったこと。ジャズには疎い私でもマイルスの存在の大きさくらいは知っていましたから、バックステージでマイルスを見かけたときはドキドキしました。ちょうど楽屋のドアが開いたままで、着替えの途中だったのか上半身裸。黒光りする大きな背中を鮮烈に憶えています。

我々はスタッフ2人だけなので、私が写真も担当して、カメラマンのバックステージパスをもらっていましたから、マイルスのバンドのドラマーの人に、「オレの写真を撮って送ってくれ」なんて言われて。

その日のマイルスバンド、ベースがめちゃカッコよかったので名前を訊いたらダリル・ジョーンズ。そう、現ローリング・ストーンズのレギュラーメンバー。まだストーンズ加入前でした。でもドラマーの名前は思い出せません(写真送ったと思うけど…)。そこで、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのサイトを見たら、ちゃんと記録がありますねー。ドラムはヴィンセント・ウィルバーン・Jr.(Vincent Wilburn Jr.)。ギターがなんとジョン・スコフィールドです(全然印象にない)。

マイルスのステージは、シンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」を演っていたのは印象的でしたが、概してトランペットはそんなに吹かず、シンセで単音をやたら “ピ〜〜” なんて鳴らしてばかりで、あまり面白いとは思いませんでした。

アプサラスのメンバーともその時が最初で最後。今となってみれば、泡沫のような夏の数日間でした。

2019.03.18
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カタリベ
1954年生まれ
福岡智彦
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