9月5日

ジャニーズじゃない男性アイドル列伝!息っ子クラブとは男性版のおニャン子クラブ!

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織田裕二もオーディションを受けた男性版おニャン子クラブ


このシリーズは、必ずしもメインストリームには属さなかった80年代の男性アイドルの存在をリマインドするものである。今回取り上げたいのは、1986年に “男性版おニャン子クラブ” として結成された息っ子クラブだ。

彼らは、おニャン子クラブのホームグラウンドである夕方の帯番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)で告知された、男性を対象としたオーディションの合格者により結成されたグループである。オーディションの審査には、おニャン子クラブ関連のレコードをリリースしていたCBS・ソニー、EPICソニー、キャニオン、フォーライフ、ワーナー・パイオニアという5つのレコード会社がかかわっていた(社名は当時)。各社がそれぞれ優勝者を決め、そのメンバーによりグループを結成するとともに、全員がそれぞれの社からソロデビューするという前提になっていたのだ。

当初は、沢向要士(CBS・ソニー)、佐藤吉紀(EPICソニー)、清水光(キャニオン)、岩城憲(フォーライフ)、雫廣充(ワーナー・パイオニア)という5名の優勝者と、詳細は不明ながら準優勝的な扱いの並木秀介、織田裕二の2名、計7名が「息っ子クラブ」として発表された。ここに名前のある織田裕二とはつまり「事件は会議室で起きてるんじゃない」「地球に生まれてよかったぁー!」の織田裕二である。

ところが織田はグループへの加入を辞退し、代わりに篠崎裕利という人物がメンバーに加わった。息っ子クラブの結成には、雑誌『セブンティーン』(集英社)も関与しており、同誌のボーイズコンテストの上位入賞者が息っ子クラブのメンバーと重複していた。以後も『セブンティーン』は彼らを誌面で推していく。

背番号制を採用していた息っ子クラブ


おニャン子クラブのメンバーには会員番号が振り分けられていたが、息っ子クラブは背番号制を採用していた。これを踏まえ、改めてメンバー名と生年月日を確認したい。最年長の沢向要士は、おニャン子クラブの国生さゆり、福永恵規、内海和子、高井麻巳子と同学年。最年少の佐藤吉紀は白石麻子、渡辺美奈代と同学年だった。

背番号1:沢向要士/さわむかいようじ(1966年9月1日)
背番号2:並木秀介/なみきしゅうすけ(1968年4月15日 )
背番号3:岩城憲/いわしろけん(1967年6月13日 )
背番号4:雫廣充/しずくひろみつ(1968年2月16日)
背番号5:佐藤吉紀/さとうよしのり(1970年2月11日)
背番号6:篠崎裕利/しのざきひろとし(1967年8月5日)
背番号7:清水光/しみずこう(1968年9月24日)



1986年5月2日に正式に結成された彼らは『夕やけニャンニャン』の金曜日と、同日の19時から放送がスタートした新番組『夕食ニャンニャン』に出演を続けた。後者は、ゴールデンタイム版『夕やけニャンニャン』といった趣の30分番組であり、息っ子クラブを売り出すための企画でもあった。番組内では彼らのミニドラマコーナーもあった。なお、いろいろな問題を懸念して、息っ子クラブのメンバーはおニャン子クラブとの直接のコミュニケーションは避けられていた。バックステージでの会話も禁止されていたといわれる。

光GENJIより早かった7人組男性アイドル


息っ子クラブには男性アイドル史において特筆すべき点がある。それまで、(バンドや企画物ではない)男性アイドルグループは、主に3人組、または4人組がほとんどだった。5人以上となると、1975年に旧ジャニーズ事務所を離脱したメンバーで結成されたメッツという6人組の例がある程度だ。これに対し、息っ子クラブは男性アイドルグループとして7人と前例のないメンバー数だったのである。7人組グループである光GENJIの登場は1987年のことだ。

息っ子クラブは結成から4ヶ月後の9月にEPICソニーより「僕達のSEASON」(作詞:秋元康/作曲:東郷昌和/編曲:新川博)でレコードデビューを果たす。メインボーカルは佐藤吉紀が務めた。歌唱時にメンバーが楽器を演奏するパフォーマンスを披露していたが、継続的なバンド活動を行っていたわけではない。”佐藤吉紀 with 息っ子クラブ” 名義でのB面曲「彼女はガールフレンド」は振り付けをしながら歌うスタイルだった。なお、同曲は森永製菓のチョコレート商品「こニャン子クラブ」のCM曲で、CMには佐藤が単独で出演していた。



武道館公演でまさかの出来事が…


毎週のテレビ露出と『セブンティーン』のプッシュにより、息っ子クラブは一定のファンを獲得したものの、おニャン子クラブのような爆発的な人気を得るには至らなかった。オリコンのシングル週間チャートで「僕達のSEASON」は最高19位。おニャン子関連のシングルが軒並み初登場1位を記録する当時の状況を考えると物足りない結果だったかもしれない。

さらに視聴率が伸び悩んだ『夕食ニャンニャン』は息っ子クラブのデビュー直後に終了。これにより彼らの露出の機会が半減してしまった。12月にはセカンドシングル「ちょっと辛いあいつ」(作詞:秋元康/作曲:長畠ぜんじ/編曲:矢島賢)がアニメ『ハイスクール!奇面組』のエンディングテーマとして起用されるも、セールスとランキングでデビュー曲を越えることができなかった。

年が明け、1987年になると風向きが変わったようなムードがあった。沢向要士が1月より斉藤由貴主演のテレビドラマ『あまえないでョ!』(フジテレビ系)にレギュラー出演し、布川敏和(シブがき隊)の弟を演じた。また、息っ子クラブとしての初のアルバム『7 JUNK BOYS』が発売され、ここではメンバーごとにソロ曲が用意されている。作家として鈴木雅之の参加もあった。さらに、2月15日には日本武道館公演が開催された。



デビュー2年目、武道館でのライブはファンの高揚感が最高潮に達した時間となった。ところが、そこにまさかの展開が待っていた。ライブの終盤、メンバーはステージに並んだ。そして、リーダー格の沢向がマイクを手にこのように告げた。

「俺たち息っ子クラブは2月15日の今日をもって解散します」

客席は悲鳴に支配された。武道館公演が実現し、ファンはこれから躍進していく彼らを見ていたかっただろう。しかし、それは果たされず、残酷にもその場での解散が宣言されたのだ。どんな事情があったのかはわからない。本人たちの意思ではないだろう。息っ子クラブは結成から1年も経たずに、周囲の大人たちに活動を止められたのだ。なお、同日の昼には渡辺満里奈の握手会イベントが開催され、これが日本武道館で1日に2つのイベントが行われた最初の例とされている。

おニャン子クラブのように成功しなかった理由とは?


息っ子クラブがおニャン子クラブのように成功しなかった理由は複数考えられる。まず、おニャン子クラブのファン層は主に男性であったため、男性グループである息っ子クラブは推し活の範疇に入らなかったことが一因だ。たとえば、会員番号18番の永田ルリ子をひたすら推していた人が、息っ子クラブにも夢中になるケースはめったになかったのだ。

このことから、新たなファン層を開拓する必要があった息っ子クラブだが、『夕やけニャンニャン』出演が週一で『夕食ニャンニャン』はネット局が少なかったうえに5ヶ月で終了してしまったため、顔を売る機会がおニャン子クラブと比べ物にならないほど少なかった。その上、息っ子クラブがデビューした1987年の秋はすでに『夕やけニャンニャン』の視聴率、おニャン子クラブのレコードセールスも絶頂期に比べるとかなりダウンしており、関連グループとしての恩恵を受けることが難しくなっていた。

さらに、フジテレビの色が強すぎたためか、あるいは旧ジャニーズ事務所と競合するからか、息っ子クラブは他局の音楽番組、アイドル番組にほとんど出られなかった。しかも、母体であるフジテレビ自体も局をあげて大プッシュする様子もなかった。解散後、ソロデビューが果たされたのは沢向要士と岩城憲のみ(いずれもバンド形式)。他の5名のなかにはそのまま表舞台を去るメンバーもいた。

9ヶ月で解散も30年後に再結成が実現した息っ子クラブ


息っ子クラブが昭和のアイドル史を振り返るような場で取り上げられる機会は少ない。しかし、多くのメンバーにとって息っ子クラブでいた9ヶ月はかけがえのないものだったのだろう。

結成30周年を迎えた2016年9月に、7名中6名が再結集した。都内のライブハウスで再結成ライブを開催し、沢向が作詞、岩城が作曲した新曲「ウェルカムKISS」を披露したのだ。以後、彼らはグループとしての音楽活動を継続していく。2017年7月には追加公演を開催したが、ここに内海和子、立見里歌が来場して、30年ぶりのおニャン子クラブと息っ子クラブの邂逅が実現した。



さらに 2019年10月には、配信限定で33年ぶりのシングル「真っ白いパレット」(岩城の作詞・作曲)をリリースするに至る。 その後もメンバーの交流や音楽活動は続き、SNSや動画サイトを通じてファンに発信し続けている。そこでは、50代半ばになって第2の青春を楽しんでいるメンバーの姿を見ることができる。

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2023.11.07
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