9月4日

テレビに出ないアーティスト!我らが浜田省吾はサングラスも外さない?

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浜田省吾、人気の高まりを把握することが出来なかった3つの理由


日本のポピュラー音楽シーンにおいて “バンドブーム” の波が本格化していなかった1980年代中頃、以前に比べて浜田省吾の名前を聞く機会は明らかに増えていた。人気が高まっていることはなんとなく分かった。しかし、ライブを観に行くようなファンを除いては、浜省人気の上昇がどれだけのレベルなのかをリアルに把握することが難しかった。それには主に3つの理由が考えられる。

【1】“マイナーメジャー” な存在だった時期が長かったから
【2】誰もが知るようなヒット曲がなかったから
【3】テレビに出演しなかったから

【1】と【2】は連動しており、ロックバンド・愛奴での活動を経て1976年4月に「路地裏の少年」でデビューしてから10年弱。これといったヒット曲はなく、アルバムが爆発的に売れている訳でもなかった。特にキャリアの序盤はニューミュージックの絶頂期と重なっていたが、浜省はその波に今ひとつ乗れなかった。ただ、10年も続けられたということは、一部では、熱狂的な支持層があったと考えられる。音楽ファンにそれなりに名前が浸透していた。こうしたことから、“マイナーメジャー”なミュージシャンとしてのイメージが強く、徐々に売れてきたことがどうもピンとこなかったのである。

【3】について補足すると、“マイナーメジャー” 時代の浜省はテレビ出演歴がゼロではなかった。1979年7月発売のシングル「風を感じて」がカップヌードルのCMソングに起用された関係で、日清食品が提供する『ヤングおー!おー!』(MBS系)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に出演したことがあった。しかし、この経験は以後の浜省をテレビから遠ざけることになる。

オリコンチャート1位!「J .BOY」の大ヒット


1980年頃からは、社会的メッセージ色の強いロックを指向し始めた浜省は、ホール規模の全国ツアーも行うようになり、徐々にファンを掴んでいった。日本武道館でコンサートも開催した。ただ、テレビが地上波一択の時代(NHKのBSが試験放送を始めたばかり)に、音楽番組に出ない、ヒット曲もない浜省の人気がどれほど高まっているかは実感しづらいものだったのだ。

そんな状況下で、70年代から浜省を知る人を驚かせたのが、1986年9月に発表された10thアルバム「J.BOY」の大ヒットである。レコード、CD、カセットテープで発売されたこの作品は、オリコンウィークリーチャートで初登場1位を獲得し、4週連続でトップを走った。特筆すべきなのは、「J.BOY」は冷やかしでは手が出しづらい2枚組で、しかも、タイアップなし、カラミなしのオーガニックだったことだ。浜省人気は “ガチ” なものだったといえるだろう。

それだけ売れたということは出荷枚数も多かったということである。レコード店では目立つ場所にポスターが貼られ、商品が派手にディスプレイされていた。それを見れば、多くの人が「あの浜省が売れている!」と実感できた。そして、「J.BOY」をきっかけに浜省を聴くようになった人も増えた。やがて、バブル景気と空前のバンドブームが手伝った市場拡大で、浜省はロック界の大物として確固たる地位を獲得することになる。

浜省人気がさらに高まったのは、1981年9月リリースの7thアルバム「愛の世代の前に」の収録曲「悲しみは雪のように」の再録バージョンが、1992年にテレビドラマ『愛という名のもとに』(フジテレビ系)の主題歌として起用されたことである。ドラマ人気もあり、この曲は浜省史上初のシングルの大ヒット曲に。さらに「愛の世代の前に」のみならず、過去のアルバムがチャートを再浮上するなどの現象も起こった。



「悲しみは雪のように」が大ヒットもテレビには出ず


しかし、浜省はそれでもテレビに出なかった。たとえばタモリに「次は初登場、浜田省吾さんで~す」と紹介されることも、「『カウントダウンTV』をご覧の皆さんコンバンワ! 浜田省吾です」とやることもなかった。

矢沢永吉から藤井風まで、めったにテレビに出ない大物を担ぎ出している『紅白歌合戦』からもオファーがあったと考えられるが未だに出場したことがない。2000年代以降はNHKの『ON THE ROAD 2001』など、自身を特集した番組に限り何度かテレビに顔を出したものの、売れてからの浜省が地上波の音楽番組を新譜のプロモーションの媒体として利用したことはないのである。

テレビに出始めた “テレビに出ない” 大物ミュージシャン


テレビに出ないミュージシャンの系譜は、70年代にフォークブームを牽引した吉田拓郎、井上陽水、あるいは泉谷しげるあたりから始まっている。しかし、彼らもやがてその態度を軟化。井上陽水は80年代には『ザ・ベストテン』(TBS系)や『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に出るようになったし、吉田拓郎は90年代に『地球ZIG ZAG』(TBS系)、『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系)にレギュラー出演した。泉谷しげるのタレントとしてのテレビ出演歴は数え切れない。

松山千春は1985年には『ハロー!ミッドナイト』(TBS系)という深夜番組にレギュラー出演。1985年、かのライヴエイドがフジテレビ系で放送された際は、東京のスタジオに多くの国内ミュージシャンが集められた。そこには矢沢永吉、小田和正、佐野元春ら普段はテレビに出ないビッグネームもいた。矢沢はその後、1994年に『アリよさらば』(TBS系)など複数のテレビドラマに主演、出演し、小田は『クリスマスの約束』(TBS系)という音楽特番をレギュラー化させている。

昭和期にデビューしたキャリア40~50年のミュージシャンが、売れてからテレビに出演しないケースは本当に数が少ない。浜省以外の大物では、ソロデビュー以降は静止画、音声のみの出演に限っている山下達郎ぐらいではないだろうか。

サングラスを外さないミュージシャンの代表格、浜田省吾


話はいささか脱線するが、浜田省吾は“テレビに出ないミュージシャン”であるとともに“サングラス外さないミュージシャン”という肩書きも長年、堅守している。脱線を承知で、この点についても触れておきたい。

サングラススタイルが固定のミュージシャンは珍しくないが、浜省のように、デビュー以来、公式に1度もサングラスを外したことがない例は少ない。

井上陽水、THE ALFEEの桜井賢、元CHAGE and ASKAのChage(以前はチャゲまたはCHAGE)、TM NETWORKの木根尚登、ゴスペラーズの村上てつやにはサングラスをかけていないジャケット写真がある。ラッツ&スターの鈴木雅之、爆風スランプのサンプラザ中野くん、TRFのDJ KOOもなんらかの機会に外したことがある。逆にコブクロの黒田俊介はいつの間にかサングラス固定スタイルを返上。TCR横浜銀蝿RSのメンバーのなかで、オフィシャルにサングラスを外したことがないのは翔のみである。

他に数少ない例として挙げられるのは、盲目のシンガーソングライター・長谷川きよし、2018年に他界した森田童子あたりだろうか。こうして並べてみると、やはり浜省は極めて希少な存在なのである。

ツアー「ON THE ROAD 2022」開催予定


…… 以上、いささか脱線が過ぎたことを反省しつつ着地を目指したい。

多くのファンを掴み、名盤として語りつがれる「J.BOY」から36年が経った。あの頃のリスナーは、青春時代を遠い日の出来事として振り返る年齢になっているが、浜省は今も己のスタイルを貫き通している。ファンは、テレビに出ないから、サングラスを外さないから支持している訳ではないだろう。しかし、長い時間が経ってもブレない姿勢は一方でファンが浜省を誇らしく思う点でもあるのだろう。

9月からホールツアー『ON THE ROAD 2022 Welcome Back to The Rock Show “EVE”』がスタート。その途中、12月29日に浜田省吾は70歳の誕生日を迎える。



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2022.09.04
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