11月9日
歌姫から女王へ。お茶の間にロックを持ち込んだアン・ルイスの多大なる功績
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アン・ルイスのシングル「六本木心中」が再リリースされた日
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photo:Victor Entertainment  

アン・ルイスの代表作のひとつとなる「六本木心中」のシングルがリリースされたのは1984年10月5日のことだった。しかし、それからわずか1ヶ月後の11月9日にジャケットのデザインが一新されて、再発売されている。

現在でも中古レコード店でよく見かけるのは、だいたいがサングラスをかけた写真の後者の方が多い。実は音源も違っていて、後から出された方にはイントロにライヴではお馴染みの「1・2・3・4!」のカウントが重ねられているのだ。

同じ盤でジャケットが差し替えられることは珍しくないが、品番そのままに音源も変更された例はそれほど多くはないだろう。判りやすいものでは、グッと遡って、井沢八郎「あゝ上野駅」で途中に台詞が入れられた例なんかがあるけれども。

この再発が功を奏してか「六本木心中」は有線やカラオケで支持されてロングヒットとなる。六本木を舞台にしたテレビ朝日の深夜ドラマ『トライアングル・ブルー』のエンディングテーマに使われたこともヒットした要素のひとつとして数えられよう。最初のリリースから1年以上経った86年1月に、「六本木心中」と称した12インチシングルがリリースされているのは、ロングヒットの何よりの証し。その間、フジテレビ『夜のヒットスタジオ DELUXE』で見せた事務所の後輩・吉川晃司との過激なパフォーマンスも、当時はかなり話題になった。

「六本木心中」に続くシングル「ピンクダイヤモンド」も同じく湯川れい子が作詞、NOBODY作曲、伊藤銀次編曲、さらに次の「あゝ無情」では佐藤準がアレンジを担当するも、作詞・作曲は変わらずに歌謡ロック三部作が連なったわけだが、そもそもアン・ルイスのこうした路線は、78年の「女はそれを我慢できない」に端を発している。

71年のデビューからわりと抑えめの曲調による歌謡曲路線が続き、74年の「グッド・バイ・マイ・ラブ」で大きく開花した後もミディアムテンポの作品が続く。そして、77年唯一のシングルとしてユーミンが提供した「甘い予感」を歌った後、78年5月にそれまでの作品とは趣を異にしたファンキーな楽曲が登場。それが14枚目のシングル「女はそれを我慢できない」であった。

タイトルはジェーン・マンスフィールドが主演した50年代のアメリカ映画からのいただきだろう。過去には阿久悠の作詞による「女はそれをがまんできない」(71年)という曲を大信田礼子が出し、これはあまり売れなかったが、アンの「女はそれを我慢できない」はヒットした。後にバラードはあまり好きじゃなかったと語っている彼女にとって、快心の一作であったことは想像に難くない。

作詞・作曲はザ・ワイルド・ワンズのリーダー、加瀬邦彦である。72年の「許されない愛」をはじめ、GS の後輩にあたるジュリーこと沢田研二へ数々の作品を提供していた加瀬がアンに提供したのは、「危険なふたり」を彷彿させるロックテイストの激しいナンバー、GS やジュリーが開拓したいわゆる歌謡ロックの継承者は意外なところにいた。

加瀬の提供作が3枚続いた後、山下達郎による「恋のブギ・ウギ・トレイン」、竹内まりやによる「リンダ」と秀作が連なった後、82年に出された約2年ぶりのシングル「ラ・セゾン」はなんと作詞に三浦百恵(結婚・引退後の山口百恵)、作曲が沢田研二という豪華な布陣。ここで伊藤銀次がアレンジャーとして登板し、歌謡ロック路線が復活する。

この頃、アン・ルイスのテレビでのパフォーマンスはまるで水を得た魚のようにイキイキとしていた。翌83年には同テイストの激しいナンバー「LUV-YA」をリリース。作曲に NOBODY と、翌年の「六本木心中」に至る伏線が整った感がある。

「六本木心中」のヒットが日本の音楽シーンに与えた影響は非常に大きい。沢田研二を歌謡ロックの先駆者とすれば、ジャンル間にあった垣根を完全に取り払ってより深く浸透させたのがアン・ルイスではないだろうか。

時期的に見ても、その後日本の大衆音楽の主流となってゆく J-POP や J-ROCK の地固めに、アン・ルイスが定着させた歌謡ロック路線が大きな役割を果たしたことは間違いない。そこに「ロックンロール・ウィドウ」の山口百恵が一役買っていたことも興味深いのだが、そう考えると宇崎竜童とアン・ルイスのコラボも見てみたかったなどと思ってしまう。

その後の歌謡曲テイストを感じさせる J-ROCK の面々、B'z や GLAY をはじめ、シャ乱Qやゴールデンボンバー、さらにはゲスの極み乙女。や夏の魔物に至るまでの系譜を見ていると、ロックをお茶の間に持ち込んだ歌姫、アン・ルイスの存在感はますます大きなものに…。

そして、そんなことを改めて認識させられたアルバムが、2018年10月24日にリリースされた『アン・ルイス・グレイテスト・ヒッツ・ウィズ・カヴァーズ』である。

アン・ルイス監修によるこの2枚組には、本人選曲のベストに加え、それらと同じラインナップで楽曲提供者やアン自身によるセルフカヴァーのほか、所縁のアーティストがカヴァーした作品も収録されている。なんといっても大滝詠一、山下達郎、竹内まりやの歌が揃って収められたのは圧巻。

NOBODY の歌唱が収録されなかったのは諸事情があるのだろう… 正に、あゝ無情であるが、その代わりにアン本人による英語ヴァージョンのセルフカヴァーが収められている。

新しく編まれたアルバムで「歌謡ロックの女王」の快活な歌声を聴けるのが嬉しくてならない。

2018.11.09
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