3月25日

川原伸司インタビュー ④ ゴールデンボイスの松田聖子と絶望を歌える中森明菜

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『川原伸司インタビュー ③ 稀代のプロデューサーが目撃した松田聖子と中森明菜』からのつづき

現在はフリーの音楽プロデューサー、作曲家として活躍を続ける川原伸司へのロングインタビュー。最終回は日本を代表する2大歌姫、松田聖子と中森明菜に関する話の後篇をお届けする。

名付け親は杉真理、もうひとつの作曲家名義・羽佐間健二


― 川原さんは作曲家・平井夏美として「Romance」(1981年)と「瑠璃色の地球」(1986年)を松田聖子さんに提供していますが、実は中森明菜さんにも「忘れて…」(1991年)という曲を書き下ろしています。しかも作詞は明菜さんご自身。

川原:「二人静-『天河伝説殺人事件』より」のカップリングに入れた曲だよね。ワーナーに「二人静」をプレゼンしたら急遽シングル化されることになったので、もう1曲、カップリング曲が必要になって。マネージャーさんから「本人が書き溜めている詞があるので、よかったら見てください」と言われていたので、その中にあった「忘れて…」に僕が曲を付けたんです。

― そういえば平井夏美のデビュー作になった「Romance」もシングル「風立ちぬ」のカップリング曲でした。

川原:急に書かなくてはいけなくなった状況も同じだね(笑)。

― 但しこちらは “平井夏美” ではなく “羽佐間健二” 名義。どうして変えたのでしょう。

川原:自分みたいな新参者の作家が、聖子さんに続いて明菜さんにも曲を書くなんて、ちょっとおこがましいなと。それで以前から使っていた “羽佐間健二” という別のペンネームにしたわけ。ちなみに名付け親は杉真理くんで、ビートルズの「エリナー・リグビー」(1966年)に登場する “ファザー・マッケンジー” に由来しています。彼はくだらないことが大好きでね(笑)。よくこういうペンネームを考えてくれるんです。



松田聖子と中森明菜にボーカルディレクションの必要なし!


― 作曲家の目で見た、歌手・松田聖子と中森明菜の魅力は。

川原:2人ともものすごい才能を持ったボーカリストですよ。たとえば自分が作った曲が採用されて、あるアーティストが歌うことになった場合、普通はスタジオに行くと「こう歌ってほしい」というのが必ずあるわけ。それって「これは自分の曲で、あなたにお譲りするにあたってはここが物足りない」という意識があるからなんだけど、2人に関してはそれがない。「ここはこういうニュアンスでやってみて」とか、そういうボーカルディレクションをする必要がないんです。「瑠璃色の地球」は後年、中森さんも『歌姫2』(2002年)でカバーしてくれたけど、見事な歌唱で「畏れ入りました」という感じでした。

― 全く異なる個性を持つ聖子さんと明菜さんですが、天性のボーカリストという点は同じなんですね。

川原:聖子さんはゴールデンボイスの持ち主だから、彼女が歌ってくれるだけで曲の輝きが100倍になる。中森さんも感情表現が巧みで曲を盛っていく力がすごい。「川原さん、こんな感じでいかがですか」と言われたら「なんの問題もありません」って言うしかないの(笑)。その2人が歌番組で共演していた時代の音楽界は本当に華やかで活気があったと思いますね。

作家として、プロデューサーとして接した松田聖子と中森明菜の想い出


― 両陣営に関わったプロデューサーは川原さんだけだと思いますが、スタジオにおける聖子さんと明菜さんはそれぞれどういう存在でしたか。

川原:聖子さんとは作家としてのお付き合い。僕の場合、たまたま2曲ともいい形で世に出たこともあって、彼女にとっては川原というより、作曲家・平井夏美のイメージが強いと思います。「瑠璃色の地球」が収録された『SUPREME』(1986年)に関しては『SUPREME SOUND PORTRAIT』(1986年)というインストゥルメンタルのアルバムを企画して、ご本人からすごく感謝されたこともいい想い出です。



― 明菜さんはいかがでしょう。

川原:彼女とはプロデューサーとして、オリジナルアルバム『UNBALANCE+BALANCE』(1993年)や、カバーアルバム『歌姫』の1~3(1994~2003年)で仕事をしましたけど、スタッフに対する気遣いに溢れた方でね。スタジオでレコーディングしていると、芸能界の方は叙々苑の焼き肉弁当とか、有名店のお寿司とかを差し入れとして用意してくれたりするんですが、中森さんは「ピザを焼いたので、皆さんで召し上がってください」と。「え~、いいの? ありがとう」と言いながら美味しくいただきましたけど、手作りのピザを焼いてきたのはあとにも先にも彼女だけです。あれほどのビッグアーティストなのに、そういう面を持ち合わせている。おそらくみんなとの距離を縮めようとしていたんじゃないかな。決して人付き合いが得意なタイプではないのに、そこをあえて頑張るところが中森さんなんです。



― お二人ともデビューから40年以上経ちますが、今も女性歌手のツートップと言っていい存在です。

川原:聖子さんは40周年のアルバム(『SEIKO MATSUDA 2020』)で「瑠璃色の地球」をセルフカバーしてくれたんだけど、さらに磨きをかけているよね。あれだけのキャリアがある人なのに、まだ勉強をしている。アーティストの中には自分が築いてきた実績や理論にとらわれて、創作の幅を狭めてしまう “体系化の呪縛” に陥る人がいるけれども、聖子さんにはそれがない。権威主義的でなく、自由なところは明菜さんも同じだと思いますね。

― 明菜さんはここ数年、活動を休止していますが、デビュー40周年を迎えた今年はNHK総合で放送されたライブ映像が高視聴率を獲得。新事務所設立のニュースがSNSでトレンド入りするなど、寧ろ存在感を増しています。80年代を知らない若いファンも獲得し続けているのは時代を超えた普遍的魅力があるということでしょうか。

川原:格差社会とかパンデミックも含めて、今は未来が見えにくいでしょう? 日本は戦後、高度経済成長からバブルまでイケイケの時代があって、その後もずっとそのスタイルを追い求めてやってきたから、ある意味での絶望やデカダンス(退廃)は日本人にはない感情だったと思うんです。でも少子高齢化や非正規雇用の増加などで社会全体が不安に覆われるようになった。そんな時代に絶望を歌えるのが中森明菜なんです。キリスト教圏では、たとえばビリー・ホリデイとか、絶望を体現するような歌い手がいるけれども、日本のポピュラー歌手では珍しい存在だよね。



“絶望” を体現した増田惠子が、中森明菜の鋳型になった


― 絶望といえば、川原さんはかつてピンク・レディーのケイさん(増田惠子)を「絶望的な声の持ち主」と評したことがあるとか。

川原:そうそう(笑)。ピンク・レディーが歌う洋楽の選曲は僕がやっていたから、ソロコーナーでケイちゃんが歌う曲には「ホテル・カリフォルニア」や「朝日のあたる家」とかを選んでいたの。

― いずれもケイさんの声質が生きる、陰影に富んだ楽曲です。

川原:「ホテル・カリフォルニア」はビーチ・ボーイズが描いたような陽光煌めく西海岸ではなく、その裏側の絶望を歌っている。太陽の光が強い分、影はいっそう暗いんだという作品じゃない? それはピンク・レディー2人のコントラストに通じるものがあった。

― 天真爛漫なミイさん(未唯mie)と、陰を感じさせるケイさんという?

川原:そう。ピンク・レディーとして歌うときはそれが中和されてミラクルなヒットに繋がったんだけど、ソロで歌うときのケイちゃんは絶望を体現できる声だったんです。それで思い出したけど、僕はケイちゃんが中森明菜の鋳型になった、と思っているの。2人とも80年代は同じ研音に所属していて、所属レコード会社も同じワーナー。ケイちゃんは中森さんより早くソロデビューして成功を収めていたじゃない?

― 中島みゆきさんが提供した「すずめ」(1981年)ですね。

川原:その経験が明菜プロジェクトに生かされた。中森さんは声が低くて、アイドル的ではないけれど、こういうシリアスな声でもやっていけるという感覚を、スタッフはおそらくケイちゃんのときに掴んだと思うんです。ただケイちゃんの声は絶望的ではあるけど、退廃はない。ところが中森さんの歌には絶望も退廃もある。それは(筒美)京平さんも言っていたことでした。



筒美京平が評価した中森明菜“あんな退廃を歌える人って日本人にはいないよね”


― そうなんですか!? 筒美京平さんは明菜さんに曲を提供したことがなかったので、少々意外なお話です。

川原:一度、生の歌声を聴いてみたかったみたいでね。1994年に中森さんがパルコ劇場で『歌姫ライブ』をやったとき「観たい」と言われて手配したことがあるんです。そうしたら「あんな退廃を歌える人って日本人にはいないよね」と。京平さんがそう言うことは珍しかったからよく憶えている。

― 明菜さんに興味を持たれていたんですね。

川原:京平さんの中にも絶望感やデカダンス感があったから、組んでいたら面白いものができたかもしれないね。残念ながら、その機会はなかったけれど。それはともかく、さっきも言ったように今の世の中は絶望や退廃の方向に向かいつつあるから、それも中森さんの歌が求められる理由の1つじゃないかと思います。

― 明菜さんも聖子さんも現役ですから、再び川原さんとのタッグが実現することを祈っています!

(取材・構成 / 濱口英樹)


いかがでしたでしょうか。音楽プロデューサー・川原伸司さんが語ってくださったお話を全4回にわたりお届けしました。音楽シーンの節目、その現場にいたからこそ語ることのできるお話、とりわけ、2大歌姫である松田聖子と中森明菜のお話は本当に興味深いものばかりでした。川原さん著『ジョージ・マーティンになりたくて』を併せてご覧いただくことで、面白さがより身近に感じられることと思います。貴重なお話をありがとうございました!

▶ 川原伸司に関連するコラム一覧はこちら!



2022.09.05
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