6月5日

二大スターからの贈り物。アン・ルイスは「ラ・セゾン」で返り咲く!

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アン・ルイスのシングル「ラ・セゾン」がリリースされた日
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私の憧れであり今でも親友の、陽子さんという女性がいる。

出会いは大学時代のバイト先。昼夜かまわず遊びに出かけたり、バンドを組んでみたりと、ハタチ前後の楽しく濃厚な時間を一緒に過ごした。普段は柔和な空気感の陽子さんなのだが、ひとたびマイクを握ると別人格が現れる。

ハードロックが大好きなのだ。

ジャニス・ジョプリンなど歌わせたら、神々しくてひれ伏したくなるほどカッコイイ。そんな陽子さんが、カラオケでよく歌っていたのがアン・ルイスだった…。

ランダムにアン・ルイスの曲を聴いていると、その音楽性の幅広さに驚かされる。昔ながらの歌謡曲からポップなオールディーズのカヴァー、そして彼女の真骨頂であるギラギラのハードロック。アンの姉御肌的な雰囲気は、一瞬にしてすべてを自分の歌にしてしまう、その包容力から来ている気がする。

初期のヒット作「グッド・バイ・マイ・ラブ」の作詞家・なかにし礼に、弱冠14歳でそのセンスを見初められてデビューを果たしたというのも頷ける話だ。そして、70年代後半には、「甘い予感」(作詞・作曲:松任谷由実)、「恋のブギ・ウギ・トレイン」(作詞:吉田美奈子 / 作曲:山下達郎)と、ニューミュージックサイドからのアプローチにも応え、アンは限りない可能性を見せつけた。

そんな中、彼女の中にくすぶる火種をいち早く見抜いていたのは、78年「女はそれを我慢できない」を生み出した加瀬邦彦だろう。そう、沢田研二のプロデューサーである。

この曲では、歌謡曲とロックの融合に加えて、ナイル・ロジャースばりのカッティングギターとディスコビートが効いている。そして、見逃せないのがアン・ルイスの行く先を示すかのようなツンデレの歌詞だ。今にも華麗な蝶となって羽ばたいて行きそうな “型” が、すでにここで出来ていたのだ。

そして80年、アンは桑名正博と結婚。竹内まりやからの祝福の曲「リンダ」を、この上なく幸せな表情で歌うその姿は、小さな夢を叶えた少女のような可憐さだった。アン・ルイス24歳。翌年には男の子を授かる。

80年といえば、昭和歌謡史に残る事件が起こった年でもある。人気絶頂のスター、山口百恵の引退だ。山口百恵も同じく14歳でデビュー。わずか17歳の時に、自らの希望で宇崎竜童、阿木燿子を作り手に指名し、それまでのアイドル歌謡の概念を覆してヒットを連発。たった7年半で芸能界を去った。

山口百恵とアン・ルイス、全くキャラクターが違うように思えるふたりが、実は大親友だったというのは、こういった意志の強さが似ていたからなのだろうか。

80年10月放送『夜のヒットスタジオ』山口百恵最終出演回。歌手仲間たちがそれぞれ百恵の持ち歌を歌い、その前後に百恵への贈る言葉を添えるというリレー企画での事。たいていの歌手は “幸せになってね” といった惜別のニュアンスが交じる言葉を用いた中で、アンが放った言葉は “いつまでもお友達でいようね” であった。“さよなら” のつもりはまるでなく、ふたりの仲の良さがうかがえるワンシーンだ。

多忙な毎日の中、ふたりはプライベートでどんな話をしていたのだろう。音楽のこと、ファッションのこと、恋愛のこと、将来の夢のこと、そして憧れのジュリーのこと…。

第29回 NHK紅白歌合戦(1978年)、大トリを飾ったのは、紅組代表・山口百恵「プレイバックPart2」、白組代表・沢田研二「LOVE(抱きしめたい)」。まだ10代にもかかわらず、紅白といった大舞台で堂々と自分の好きな歌を歌い上げる百恵の姿を、アンは羨望と嫉妬の思いを抱きながらも、親友として誇らしい気持ちで見ていたことだろう。

結婚を機に引退をした山口百恵。かたやアン・ルイスは、結婚~出産後もマイクを置くことを選ばなかった。

1982年6月5日、アンの26歳の誕生日でもあるこの日、待望の復帰作「ラ・セゾン」を発表する。クレジットには、「作詞:三浦百恵 / 作曲:沢田研二 / 編曲:伊藤銀次」。

“アン・ルイスさんは沢田研二さんの大ファンだったんですね。それで僕にご指名がきて「あたしも「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」みたいなのをやりたい」と。過激なのをお願いしたいって言ってて。沢田さんに作曲、山口百恵さんに作詞を依頼して「ラ・セゾン」ができたので、これをアレンジして欲しいという話でした”(『伊藤銀次 自伝 MY LIFE, POP LIFE』より)

アンは、マイクを置いた親友の意志を継ぐかのように、自分の意志で自分の歌う歌を決めたのだった。

ここから堰を切ったようにアンの快進撃が続く。「LUV-YA」「薔薇の奇蹟」「I Love Youより愛してる」、そして決定打となる84年の「六本木心中」。伊藤銀次の指揮のもと、ディストーションギターを要としたバンドサウンドを打ち出し、それに負けないド派手なヴィジュアルと抜群の歌唱力で自身のスタイルを揺るぎないものにした。「リンダ」から僅か4年の出来事。アンはこの年に離婚、百恵は第一子を出産する。

それから3年、ふたりは変わらずに連絡を取っていたのだろう。違う道を選んだ親友の姿に、もし自分も別の道を歩んでいたらと、仮定のストーリーをときどき見出しながら…。

歌手として、ともに10代からステージに立ち、それぞれの時代を築いたふたり。同世代の女の子に比べて、セルフプロデュースの力が極めて高かったふたり。そんなふたりが、今度は制作陣として、歌という名のギフトを贈り出す側に立つ。

87年、またひとり、歌の神様に選ばれた女性のデビューに熱いエールを送るように。

鈴木聖美「シンデレラ・リバティ」
作詞:三浦百恵、作曲:アン・ルイス

※2018年6月5日に掲載された記事をアップデート

2019.06.05
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カタリベ
1972年生まれ
せトウチミドリ
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